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玉之浦椿が生まれた山

2020-03-23 19:16:36 | 五島列島の世界遺産と椿

 

 東シナ海と玉之浦湾を隔てる半島の一部をなす、福江島の南西部に突き出た大瀬﨑を訪ねました。


 井持地区から大瀬山(標高250m)へ上る道を進むと、大瀬﨑灯台展望台に出ました。

 
 駐車場の脇に「ハチクマの渡り」と題する掲示があります。


 「ハチクマは、両翼を広げた長さが130cmになる大型のタカです。夏に本州などで繁殖し、秋になると越冬のため東南アジア方面に向かいます。

 (中略)日本に飛来したほとんどのハチクマが五島列島を経て東シナ海を2~3日かけて大陸に渡りますが、大瀬山で見られる渡りの規模は日本最大で、毎年ジーンズ中に7000~20000羽あまりが記録されております。

 

 日の出前から始まるたくさんのハチクマの飛び立ちは見ものです。

 見頃:9月中旬から10月初旬」


と記されていました。


 この時私はまだ、五島列島の地理を十分に認識していなかったのですが、「ハチクマの渡り」が象徴する、五島列島が果たした歴史上の役割に、後で気付かされることになります。

 

 

 展望台から、大瀬﨑の白亜の灯台が望めました。

 

 明治9年に着工し12年に初点灯した灯台は、根室の納沙布灯台や御前崎灯台などを設計した、英国人R・ブラトンの設計と言われます。

 


 大瀬﨑灯台展望台の近くに、人間国宝の故北村西望の手による「祈りの女神像」が設置されていました。


 この像は、太平洋戦争のとき、多くの兵士が大瀬﨑を日本の見納めとして南方戦線に旅立ち、帰らぬ人となった霊を慰めるため、昭和53年(1978年)に建立されたそうです。

 

 

   
 その場所から、複雑に入り組む玉之浦湾を眺めることができました。


 そして、足元に茂る木はほとんどがヤブツバキです。

 


 展望台を下り、玉之浦湾沿いに国道384をはしると、車窓に、これが海だろうかと思うような景色が広がりました。


 湾を挟んで対岸に見えるのはたしか、さっき訪ねた大瀬山のはずです。

 


 何とも不思議な時が流れていました。

 

 周囲に細波の音一つ聞こえません。

 
 今回の旅では、実に様々な光景に出会いましたが、私にとって、この「玉之浦の凪」が、最も心に残る風景の一つになりました。

 

 「玉之浦の凪」が常時現れるのか、それとも今回が千載一遇の幸運だったのかはわかりません。

 しかし、こんな凪が何処にでも見られるわけでないことは確かです。

 


 小雨降る国道384号を北へはしりました。

 


 そして私が是非とも見たかったのが父ヶ岳(461m)です。

 
 というのも、あの有名な玉之浦椿は、昭和22年に父岳の中腹で炭焼き業者によって発見され、それが昭和48年(1973年)に長崎の全国ツバキ展に出品されるや、瞬く間に、その名が世界に知れ渡ったのです。


 しかし残念なことに、原木は心ない人達の濫獲によって枯死し、現在はその姿を見ることができません。

 
 ですがせめて、玉之浦椿が生まれた場所を見ておきたいというのが私の願いでした。

 
 それにしても、昨日見てきた久賀島や今日の福江島を含め、五島列島に自生するヤブツバキの数は想像もつきません。


 その一株毎に数千の花が咲いて実を付けますが、その中の一花が、万に一つの突然変異を起こし、その実生から玉之浦椿のような名花が生まれます。


 その意味でも正に、玉之浦椿は「ツバキの島 五島」に生まれるべくして生まれた銘椿なのです。

 

  
 追伸 2020.03.28
  世界遺産推薦決定という資料に「玉之浦椿発祥地碑」という記述を見
 つけました。もう一度福江島を訪ねたいと思います。
 
 
 
 

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玉之浦の教会と神社

2020-03-22 22:22:51 | 五島列島の世界遺産と椿

 

 「五島椿物産館」から40分ほどはしると、進行方向右手に玉之浦湾が見えてきました。


 見えているのは玉之浦湾で最も奥の、笹海と呼ばれる場所のようです。


 鏡のような水面に、まるで秘境の湖にでも来ているかような錯覚を覚えました。


 4、5年前に九州の梅を巡ったときに訪ねた、天草下島の早浦もこんなだったことを思い出しました。



 天草も五島も「伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されましたが、地形的に共通するものがあるように思います。

 

 
 笹海から10分ほどで井持浦協会に到着しました。


 この辺りは、長崎の大村藩からのキリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で働せていた地区だそうです。


 井持浦教会は1897年(明治)30年に創建されましたが、1899年に、五島列島司牧のペルー神父が信徒に呼びかけ、この教会に島内の奇岩・珍石を集め日本初のルルドを作り、その傍らに井戸を掘って、聖地ルルドの聖泉の水を混入したそうです。

 

 この霊水は病を治すとされ、全国のクリスチャンの聖地となっているそうです。

 

 

   
 ルルドとは、フランスのピレーネ山脈の麓にある村の名です。


 1858年、ルルド村の14歳の少女が近くの洞窟で聖母マリアと出会い、聖母から示された泉を人々が飲むと、不治の病が治る奇跡が次々と起こり、ルルドはカトリック最大の聖地となったそうです。

 


  井持浦協会の裏手へまわると、石を積み上げた場所にマリア像が飾られ、石を積んだ場所の横に水道の蛇口があって、それをひねると聖水が出てきました。
 


 その横の説明文の末尾に、「このルルドにも本物のルルドの水を混入してあるので、マリア様への信仰をもってお飲みくださいと」記されていました。
 

 

 井持浦協会を出て玉之浦のアコウに向かいました。

 

 玉之浦のアコウは長崎県五島市 玉之浦町玉之浦小浦の大山祇神社の境内にあります。


 アコウは中国南部から台湾、南西諸島、九州、四国、本州の団地に分布するクワ科の常緑高木で、このアコウは昭和27年に県の天然記念物に指定されています。

 

 
 主根は目通し10.3m、その樹上の3.3mのところから周囲6mもある支柱根が地中に降ります。そして、その支柱根と主幹の股下を参道が通っています。

 

 


 玉之浦のアコウは、見る者を驚かせる、複雑怪奇な樹形を見せていました。

 

 ほぼ予定通りにスケジュールをこなし、のんびりと玉之浦湾沿いの道をはしっていると、小さな入り江の集落に、白い尖塔に十字架をかざした小さな教会に気付きました。


 近づいて行くと、玉之浦教会の看板を掲げていました。


 いつかテレビで、北欧の小さな漁村の光景を見た記憶がありますが、その時の光景に重なる、こんなにメルヘンチックな風景に日本で巡り合えるのは五島列島だけのことかもしれません。

 

 
 そしてもう一つ、同じ集落の背後に小さな神社を見つけました。

 
 昨日訪ねた久賀島では、島の人々の20%程度がクリスチャンだそうです。

 
 多分この辺りも、全ての人がクリスチャンという訳ではないでしょう


 そんな小さな集落で、夫々の人々が肩寄せ合うように営む平和な暮らしを、玉之浦教会と玉之浦神社が静かに語っているような気がしました。

 

 
 
 

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福江の大ツバキと細御寮大ツバキ

2020-03-21 22:48:16 | 五島列島の世界遺産と椿

 

 椿園を出て、ナビに任せて「福江の大ツバキ」を目指しました。


 車のフロントガラスの先に小さな島が見えていました。

 

 黒島かもしれません。日本で人口が最も少ない島で、平成30年の人口は2人だそうです。

 

 佐渡などへ行くと、島の西海岸では水平線しか見えませんが、福江島は、何処へ行っても、海面のどこかに小島や岬が見えていた気がします。


 五島列島の景色が優しく感じられるのは、そんな特徴がそう思わせるのかもしれません。

 


  多くの矢印を伴う案内表示に導かれ、迷うことなく「福江の大ツバキ」に到着しました。

 

 


 添えられた解説の概要は


「県天然記念物 福江の大ツバキ


 ツバキは常緑で潮風等にも強いことから防風林として植えられてきた。 


 ここ大窄地区でも、開墾の際に、防風林やツバキ油を採る為によく植えられており、現在も民家脇に数多くみられる。


 なかでもこの大ツバキは樹齢が数百年を超えるといわれる。


 昭和42年の指定当時は4本並列していたが、現在は2本となってしまった。


 東側のツバキが、幹回り1.95m、樹高10.50m 西側のツバキは、幹回り1.80m、樹高8.60mである。」 と記されていました。


 数年前に訪ねた富山県の氷見市の「長坂の大椿(2014年枯死)」の幹回りは2mで、年輪から樹齢370年が確認されていますから、このツバキの樹齢が300年を超えているのは間違いないはずです。


 1797年(寛政9年)、現在の長崎県長崎市北部の外海地区(当時は大村藩)から108名が五島に移住し、土地が与えられたのを切っ掛けに、外海地方の潜伏キリシタンが五島へ移住を始めますが、このツバキはその頃から既に、この場所で花を咲かせていたようです。

 

 
 「福江の大ツバキ」を見終え、次に玉之浦の井持浦協会の住所をナビにインプットしました。


 そして大浜集落の細い道をはしっていますと、道路脇にとっても素敵な光景を目にしたのです。


 多分、湧き水を利用した集落の水場だと思うのですが、水が湧き出る近くに枝を伸ばした、風情ある姿のツバキが、水場に赤い花を滴らせていました。

 ツバキの赤い花は、清らかな水の中にも滴り落ちています。

鬼岳に降った雨が伏流水となって湧き出た水を恵みとして、日々の暮らしのなかで利用してきた島の人々、そしてその水場を赤いツバキが飾っています。 

 五島の人々とツバキの関わりを象徴するかのような光景を目にして、私は何度もカメラのシャッターを切っていました。

 

 
 大浜の集落を過ぎてほどなく、「五島椿物産館」の表示が見えたので、寄り道をすることにしました。


 県道から逸れて数分で物産館の駐車場に着いたのですが、建物の中の竈に火が燃え盛っていました。


 近づいてゆくと、作業をしていた方が、塩を作っていると説明してくれました。


 塩田は何度か見たことがありますが、海水を初めから煮詰めて塩を作るのは初めて見ました


 丁寧に説明してくれたので、お土産にと思ったのですが、塩=高血圧という意識があって、御免なさいをしました。 

 

 

 物産館の陳列を見終えて、車に戻ろうとすると、建物の裏で大きなツバキが枝を広げていることに気付きました。

 

 


 幹の傍に掲げられた解説文に


 「細御寮 福江島最大級の大ヤブツバキ (推定樹齢約400年)

 

 細御寮は熱心なキリシタン大名第19代宇久純尭の娘で、兄に第20代五島(旧姓宇久)純玄公をもつ絶世の美女でした。

 

 朝鮮出兵に出陣した豊臣秀吉は、この評判を聞き、文禄3年(1594年)使者を送って名古屋に迎えさせました。

 

 細御寮は夫宇久盛長へ貞節の心を示すため、自ら小指と髪を切って出発し、名古屋に至る途中に自害、五島家菩提寺大円寺に葬られました」


 と記されていました。 

 

 

 解説にある推定樹齢は細御寮が命を絶った1594年から類推したのでしょうが、残念ながら、幹回りから推測して400年はちょっとオーバーです。

 

 しかし、それはそれとして、ツバキ愛好家であれば一度は見ておきたい一株であることはに間違いはありません。

 

「五島椿物産館」を出て、県道49号に戻ると、車は少し小高い場所に差し掛かりました。


 海に向かって谷が切れ込んでいます。

 


 谷の中を覗くと、急斜面に数多くのヤブツバキが緑の葉を茂らせていました。


 そして私はこの光景に、「やっぱり五島はツバキの島だ」の確信を更に深めたのでした。

 


 追記2020.03.28
  上に示した画像周辺は「琴石椿群生地」と名付けられていることが分りました。

 

 その資料(世界遺産推薦決定)には、五島市の椿群生地として、次の15か所が紹介されていました。

 

 南越椿群生地 奈留島
 長浜椿原始林(県指定) 久賀島
 亀河原椿原生林 久賀島
 堂崎椿林
 宮原椿林
 観音平椿林
 樽角坂椿林
 岳・渕ノ元椿群生地
 浜窄椿林
 木戸下椿林
 平松椿林
 琴石椿群生地
 香珠子椿自生林
 鎧瀬椿林
 五島椿森林公園

  

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五島椿森林公園

2020-03-20 22:11:15 | 五島列島の世界遺産と椿

 

 鬼岳から椿園を目指しました。


 先ほど鬼岳へ来る途中、「五島市椿園」の案内標示を目にしていたので、道路を少し戻って案内表示の場所を右折するとほどなく、「五島鬼岳樹木園」の掲示板が見えました。

 


 
 当初の予定には無かったのですが、樹木園の中へ歩を進めてみると、多くの椿品種が植栽され、落椿が散策路の周囲に紅を散らしていました。

 

 

 え! もしかしてここが椿園? 規模から考えて、そんな筈はないだろうと思い、半信半疑で車に戻り、更にその先に車を進めました。
 

 そして数百メートルもはしると、五島市椿園の表示が現れたのです。

 


 パーキングに車を停めて、五島市椿園の説明を読むと、

 

 「五島市椿園は、福江島のシンボルの一つである鬼岳の中腹に位置し、6ヘクタールの園内に260種2800本の椿を植栽しています。

 

 鬼岳には展望台、産品センター、天文台、インフォメーションセンターのほか、桜公園や鬼岳樹木園などがあり、鬼岳周辺で観る、食べる、体験する観光が楽しめます。」と記されていました。

 

 そうですか、五島市椿園は鬼岳を核とした、観光施設の一環として位置づけられているようです。


 そして、ブログを書くに当たって調べ直すと、五島市椿園と鬼岳樹木園を一つの公園として、五島椿森林公園と呼んでいることも分りました。


 広々とした園内へと歩を進めました。

 


  芝の斜面を登りながら振り返ると、木立の先に小さな島が見えていました。


 後から地図で照合すると、赤島、黄島、黒島と呼ばれる島々かもしれません。


 椿園の中に、五島椿森林公園が2010年3月に国際ツバキ協会から国際優秀椿園に認定されたことを記念する石碑が建てられていました。

 


  実は今回、五島市の福江で2020年2月29日から「全国椿サミット」と「国際ツバキ会議」の開催が予定されていましたが、コロナウイルスの感染拡大で、直前になって中止となっていました。


 私もツバキサミットに参加する予定でしたが、サミットが中止になっても、それ以上に五島のツバキと世界遺産を見ておきたい思いが強く、車で東京から長崎へ、そして長崎港に車を置いて、五島へ渡って来たという次第です。

 
 長崎までは、主にウメの名所を巡り、帰路も中国地方の梅園などを訪ねながらの旅でしたから、何れかの時期にその内容もブログにまとめたいと考えています。


 余談が少し長くなりましたが、イベントが中止となって、人気のない椿園を散策していると、枯色に染まった鬼岳が曇天の下に寛ぐ姿を見せていました。
 


 私は昨日久賀島を訪ね、五島がツバキの島であることを実感しましたが、世界に五島がツバキの島であることを知らしめたのが、昭和22年に福江島で発見された、紅色の花弁に白い覆輪が入る「玉之浦椿」というツバキの品種です。


 五島市椿園の中に、その名花「玉之浦椿」だけからなる林がありました。

 


 どれほどの「玉之浦椿」が植栽されているか、確とは分かりませんが、優に100株は超えているようにも思えます。


 「玉之浦椿」の林の中へ入ると、枝毎に「玉之浦椿」が微笑み、雅な「玉之浦椿」の落椿が林床を飾っていました。


 この光景を見るためだけに、五島を訪ね来る人も少なくはない筈です。

 

 


 園内ではその他にも、ツバキ品種「筑紫の春」などが花を咲かせ、ヤブツバキの下には、落椿が紅を地に注ぐ光景が広がっていました。

 

 

   
 帰り際に、園内の出入り口に近い場所で、根本の直径が50~60㎝を越えそうなツバキの巨木に気付きました。多分樹齢200年は越えている筈です。


 ここに椿園が設けられる前から、この地に根を張ってきた木に違いありません。


 五島列島福江島の旅は始まったばかりですが、


 今日はどんなツバキの銘木に出会えるかと、期待が大きく高まってきました。

 

 

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福江島 鬼岳(おにだけ)

2020-03-19 22:57:05 | 五島列島の世界遺産と椿

 翌朝、8時ごろにゲストハウスを出て、徒歩でレンタカー会社に向かいました。

 

 港の方角へ向かえば、多分見つかるだろうと、市内観光を兼ねて適当に歩を進めました。


 古民家が周囲に石垣を巡らせていました。

 

 石に関する知識はありませんが、石垣に使われている石が、表面が凸凹していて、沖縄などで見かけるものと同質に見えます

 


 一方、港の周囲に、車を予約したトヨタレンタが見当たらないので、公衆電話から連絡して、迎えに来てもらうことにしました。

 
 そうそう、余談ですが、私は今でもスマホや携帯を持たない、絶滅危惧種に分類されています。

 
 旅に出る時以外、自宅か植物園が生活の殆ど全てなので、スマホや携帯を持つ必要性が全くないのです。


 レンタカー会社で車を借りるとき、福江島は市街を外れるとコンビニすらないと教えられたので、スーパーマーケットの開店を待って、朝食用の弁当と昼食用の菓子パンやドリンクを買い求め、福江島の観光をスタートさせました。

 

 事前にネット情報を駆使して旅のルートを設定し、訪問予定先を時系列に揃えたプリントを用意してありますので、順にナビに入力してゆけば、訪問先を見逃すこともなく、旅が楽しめます。

 

 今日は福江島を時計回りに巡る予定ですが、それほど急がなくても、夕方までには、福江市街へ戻って来られる筈です。

 

 
 最初に向かったのは鬼岳です。


 市街を離れると、道路に面した民家が大きなヤシを茂らせていました。


 カナリーヤシだと思いますが、ヤシの種類を見分ける目に自信はありません。

 


  鬼岳の駐車場に9時半ごろ到着しました。

 


 駐車所の表示案内板に従って階段を上り、展望台に着くと、北の方角に福江の街が望めました。
 


 振り返ると、南の方角に鬼岳のピークが見えています。


 草地の中に踏み分け道が、頂上へと続いていました。

 

 
 少し躊躇しましたが、時間は十分あると思い、ピークへと向かうことにしました。

 
 鬼岳は約1万8千年まえに噴出した火山で、周辺に11の単成火山を擁する鬼岳火山群を成しています。

 

 鬼岳の標高は315mで、マグマが噴火するとき、マグマに溶けていた水などの揮発成分が抜け出て多孔質となった、スコリアと呼ばれる岩の堆積丘だそうです。

 

 揮発して抜け出る程度が軽石程でなく、揮発の程度の低い(孔の少ない)ものは火山弾や火山礫となるそうです。

 

 だとすれば、先ほど市街の民家で見た石垣の石は、沖縄本島で見かけるものと違うかもしれません。

 

 たしか、沖縄の石はサンゴ礁由来だったような記憶がありますから。

 

 旅先では、こんなことさえ興味深く思えるのが不思議です。

 


  それにしても、年をとっても知らないことばかりですね。

 鬼岳の解説を読んだ後、ピークへの道を辿っていると、火山弾と思える岩塊を見かけました。

 


 歩き始めて、15分弱で山頂に到着しました。

 


  北東の方角には、昨日訪ねた久賀島とは比較にならぬ程の平地があり、豊かな収穫を予測させる耕作地が広がっていました。
 

 

 ピークの南側に、火口壁の縁をなす尾根が見えています。

 

 
 鬼岳に登った満足感を味わいながら草原の道を下る途中、目の前に五島列島を構成する島々が見えました。

 


 今まで、様々な島を訪ねてきましたが、これほどまでに多くの島や岩礁を、同じ視野の中に見たのは初めての経験かもしれません。

 

 目にするものすべてに、興味津々です。

 

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亀河原の椿原生林

2020-03-18 11:26:28 | 五島列島の世界遺産と椿

 

 久賀島には世界遺産の「久賀島の集落」以外に、椿原生林という見逃せないスポットがあります。


 久賀島の代表的な椿原生林は、島の東海岸の長浜にありますが、今はそこへ行く道が通行不能であることが分っていました。


 しかし、若い頃からの山登りで鍛えた経験と勘で、何とかなるだろうと、それらしい場所に向かいましたが、目の前に立ち塞がるヤブを見て即座に、これを分け進むと、帰りの船に間に合わないと判断しました。


 そこで次に、島の西海岸にある亀河原の椿原生林を目指すことにしました。


 亀河原の椿原生林は久賀島に上陸した田ノ浦港の少し先です。


 田ノ浦港を過ぎて暫く進むと、ガイド板が掲げられた場所を右手に曲がり、

 


 
 舗装された畦道のような、細い脇道に車を進めました。

 


 数十メートル程の尾根を登りきると、バレーボールコート程の駐車スペースの横で、「落椿 踏みつつ来れば 海近し 内海朝生」の句碑が、旅人を出迎えてくれました。

 


 車を降りて、句碑の前から海岸に向かって轍の幅の道を歩いてみました。

 

 
 落椿の降り積もる道を進んで振り返ると、ヤブツバキのトンネルの先にまあるい空が望めました。

 

 


 この場所は冬になればきっと、厳しい西風が吹きすさぶのでしょう。


 尾根の縁に育つ椿は、風にねじ伏せられた樹形となっていました。

 

 

 尾根に立てられた掲示板に、「この亀河原の椿原生林は、明治時代に植林したものも含めて40ha(12万本)に達し、殆どが市有地である椿原生林のツバキの手入れや実の採取は、地区ボランティアの活動に因る」と記されていました。

 

 

 そして私は16半頃レンタカー会社に車を返し、久賀島に別れを告げて、17時10分発の渡船で福江港に戻りました。

 


  福江港に着くと、ネットで予約しておいた「五島ゲストハウス雨通宿」を目指し歩き始めました。

 

 

 福江島の五島市街は予想以上に大きな街で、何度も道を尋ねながら、何とか宿に辿り着いた時は、すっかり日が暮れていました。

 


  チェックインを済ませるとすぐに、食事処を求め街中に出ました。


 ネットで何軒か店を調べておいたのですが、宿を探すことに苦労したこともあり、最初に目にした居酒屋の暖簾を潜って、カウンターに座るとすぐに、五島の芋焼酎をロックで飲み始めました。

 

 


   
 目の前のガラスケースに並ぶ見知らぬ魚の名を店主にあれこれ聞いた後、勧められるままに刺身の盛り合わせを注文しました。

 
 カウンター越しの店主に、夫々の魚の名を聞きながら、ゆっくりと箸を進めました。

 


 ゲストハウスに戻ってからも、カウンターバーに座り、地酒をロックで注文しましたが、カウンターのお兄さんが後ろの部屋に入ったまま、戻ってきません。

 

 
 それもそのはず。後ろの部屋は宿のリビングで、お兄さんは長崎大学の女子学生二人と、そこで楽しく会話を弾ませていたのです。


 であれば私も、ということで、ゲストハウスに宿泊した、期待通りのシチュエーションとなって、五島列島の夜が更けてゆきました。

 

 

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牢屋の窄殉教地

2020-03-17 16:57:57 | 五島列島の世界遺産と椿

 五輪教会から戻る途中、島の東側の尾根に設けられた折紙展望台に登ってみました。

 

 この展望台は、島民の皆様の手作りなのだそうです。

 


 
 展望台から南東方向を見下ろすと、眼下に蕨の港が見えていました。

 

 
 尾根をまたいだ反対側には、久賀湾が島の中心部へ水面を伸ばしていました。

 

 画像が暗くて分かり難いのですが、展望台の周囲はヤブツバキに覆われ、葉の間から赤いツバキの花が顔を覗かせていました。

 

 
 展望台直下から、島の北の方角へ伸びる舗装された道が見えたので、電気自動車でその道を走ってみましたが、10分程先で突然道が途絶えました。


 島の東側尾根の先端の折紙鼻と呼ばれる場所に行きたいと思ったのですが、ちょっと残念でした。

 

 
 展望台で島の眺望を楽しんだ後、「牢屋の窄」に向かいました。

 

 
 路肩に車を止めて階段を上り、振り返ると、久賀湾が静かに水を湛えていました。
 

 

「牢屋の窄殉教記念聖堂」を説明する表示に


 「明治元年(1868年)長崎の浦上でキリシタン迫害が始まると、五島各地でも厳しい弾圧と迫害が始まった。


 久賀島では、6坪ほどの牢屋に八ヶ月間200名の信者が押し込まれ、悲惨な拷問が行われた。


 その結果、在牢中39名、出牢後3名の死者でるという悲惨な弾圧であった。


 その状況は外国使節団の知るところとなり、明治新政府の外交問題に発展し、明治6年ついにキリシタン禁制の高札が下ろされ、信者達は進行の自由を勝ち取った。・・云々」 と記されていました。
 

 

 世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産


 久賀島の集落⑩ の解説には


「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、移住先として選んだ4集落のうちの一つである。

 

18世紀後半以降、外海(そとめ)地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は五島藩が久賀島に開拓民を受け入れていることを知り、既存の集落と漁業や農業で共存関係を築きながらひそかに共同体を維持した。


牢屋の窄殉教地 の解説には


 久賀島の潜伏キリシタンの指導者たちは密かに大浦天主堂の宣教師に接触し、帰島して公然と自らの信仰を表明するようになりました。

 

 その結果、1868年に五島列島一円で弾圧が行われ(五島崩れ)狭い牢屋に多数の信徒が監禁され多くの死者が出ました。

 

 牢屋の窄殉教地はキリスト教解禁直前に潜伏キリシタンへ弾圧が加えられた最後の場所です。


 と記されていました。

 

 


   
「久賀島カトリック信徒囚獄の跡」に記されていた内容が悲惨でした。


 明治元年九月久賀島の信徒が捕えられ、激しい拷問を受け、十月には信徒の家をこの地に移し、牢として老若男女200余名が収容された。


 この牢屋は六坪の家牢で、さながら人間の密集地獄であった。

 

 食べ物は芋の小切れを朝夕一個ずつ、飢えと苦痛のため死者が続出した。

 

 死者は踏みつぶされて腐敗するが五日間も放置され、蛆がわいて人体に這い上がり、放尿排泄物の蓄積による不潔さと臭気は言語に絶する惨状であった。

 

 十三歳のドミニカたせは、蛆に下腹部を食い破られて死亡した。


 十歳のマリアたきは熱病に冒されて髪の毛は落ち、それでも『パライゾ、パライゾ、わたしはパライゾ(天国)に行きます』といって息を引き取った。


 その妹マリアさもは七歳の幼女であったが、『イエズス様の五つのおん傷に祈ります』と言い残して亡くなった。


 かくして、在牢八ヶ月殉教者39名、信徒の頭九名はそのまま牢に残され、全員の出牢が許可されるまでには三ヶ年を要した。


 明治政府は、絶対主義神道国家確立をはかり、祭政一致を唱え、その政策の犠牲となったのがカトリック信者である。


 と記されていました。

 

 
 牢屋の窄の地に、犠牲となった信者を弔う数多くの石碑が並んでいました。
 

 

 言葉もありませんでした。

 
 宗教とはいったい何なのでしょう。

 

 ちなみに、私は無神論者ですが、


 キリスト教もイスラム教も仏教も、人間の命以上の絶対的なものとして神を認識しているように思うのですが、この判断は正しいでしょうか。


 そして人間は、神教も含め、宗教であれ道徳律であれ、理屈が立てば他者の命を奪うことを厭わない事実を、多くの歴史が証明しています。

 

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旧五輪教会

2020-03-16 00:50:10 | 五島列島の世界遺産と椿

 教会に近づくと、手前の新五輪教会と、その後ろの旧五輪教会の建物の輪郭が明らかになってきました。

 

 
 新五輪教会は1985年に建てられた、正面に赤い煉瓦壁を設えたモダンな建物です。
 
 そしてその横に、木造建築の旧五輪教会が佇んでいました。


 ところで、旧五輪教会を訪問する時には事前連絡が求められます。

 

 長崎の教会群インフォメーションセンター

 

 
 私は事前にメールで、訪問の許可を得ていましたので、建物に近づくと、インフォメーションセンターの方が出迎えてくれました。

 

 

   
 そして丁寧に、潜伏キリシタン関連遺産である旧五輪教会の歴史と背景などの説明をしてくれました。


 この旧五輪教会堂は他と異なり、教会内部も写真撮影が可能とのことで、説明を聞きながら、私はカメラのシャッターを押し続けました。


 旧五輪教会は禁教が解けた1973年から僅か8年後の1881年に建てられ、初期の木造教会建築の代表例として、1999年に国の重要文化財に指定されたそうです。

 

 教会内部の天井は、木材がアーチ型に組み合わされた構造を示しています。


 センターの方の説明に因れば、この教会堂は船大工の手によって建てられたのだそうです。


 再び天井を見上げ、さもありなんと思いました。

 


 洋式の天井と異なり、窓は横へスライドさせる和式の引戸で、外側には雨戸が設けられていました。

 

 
 内部は三つの廊に区切られ、左側の廊の先に赤い布で囲われた懺悔室が設けられています。

 

 

   
 祭壇手前の柵に彫られた模様に気付いてレンズを向けていると、センターの方が、


 「ここに彫られているのは小麦とブドウです。」

 

 イエスが最後の晩餐の席でパンを取り、自分の体であると言って弟子たちに与え、杯を自分の血であると言って弟子たちに進めたことから、キリスト教ではパンとワインの原料である小麦とブドウが象徴的な意味を持つことを説明してくれました。

 

 
 彼はキリスト教信者ではないそうですが、私の細部に及ぶ質問に、丁寧に答える真摯な態度がとても好ましい青年でした。

 

 全ての説明が終わって、貴方の写真を撮らせてもらえないだろうか、と告げると、マスクを外し、カメラに顔を向けてくれました。


 そうそう、これだけ丁寧な説明を頂けたのですが、料金などは一切請求されなかったことを、最後に付け加えておきます。

 

 五島市にお金を落とすことが、彼の努力に報いることになるのかもしれません。


 教会の外に出ると、2018年に長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されたこと、久賀島の集落と旧五輪教会堂がその一部を成すことを説明するモニュメントが並んでいました。

 

 

   
 車を停めた場所まで戻る途中、赤い落ち椿が、旧五輪教会堂を訪ねた今日の思い出を象徴するかのように、控えめながら、印象に残る色彩で私のあゆみを見送ってくれていました。

 

 

 
 

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五輪教会への道

2020-03-15 13:19:27 | 五島列島の世界遺産と椿

 久賀島のレンタカー会社で借りた車がこれです。


 近所のコンビニで配達などに使われている電動自動車と同じものです。

 

 一回のレンタル料は3300円でした。

 

 
 電動自動車の操作説明を受けるとすぐ、私は久賀湾沿いを北上する道を、五輪教会目指して走り始めていました。

 

 
 やがて、北の方角に湾口を開く馬蹄形の島の、東の丘陵地を越えると、眼下に蕨の集落が見えてきました。


 斜面だらけの島の僅かな平地に、寄り添うように民家が庇を並べていました。

 

 
 道は蕨集落の横で、海岸線に沿って南下し、鬱蒼とした森が周囲を包み、道幅は一層細くなってゆきます。

 

 
 それにしても予想通り、この道で事故でも起こしたら、すぐに助けに来てはくれないと考えたほうが良さそうです。


 しかし、実は私は、こんな道が大好きなのです。


 こんな道を走っていると、体中の全ての細胞にアドレナリンが染み渡るような充実感に満たされます。


 但し、誤解なきようお断りしますが、暴走族ではないので、スピードは控えめです。

 


 めったに来れる所ではないので、途中で何度も車を停めて、小雨に濡れる景色をカメラに納めました。

 


 6~7㎞程も進んだ後「旧五輪教会来訪者駐車場」に車を停め、傘を片手に歩き出しました。

 


 舗装された道を、更に数百メートル歩いた所に、車両進入禁止の看板が掲げられて、

 

 

 そこから先は土の道が、海岸に向かって下ってゆきます。

 

 

 道の周囲にキブシが、水に晒した木綿糸の色合いに花を飾っていました。

 足元に名も知らぬ種類のアザミが、赤紫の花を茎先に掲げていました。


 五島の島は既に、早春の息吹の中にあるようです。

 

 


 海岸に下りて、波打ち際の堤防を進むと、

 

 
 小さな入り江の岸に、五輪教会の姿が見えてきました。

 

 2020年、五島の地域活性化を目指すプロジェクト「椿サポーター」に吉永小百合さんが就任したとき、旧五輪教会がお気に入りの場所と仰られたそうです。

 
 振り返ると、さっき土の道を下りてきた、海に突き出た尾根の鼻が見えていました。

 

 
 それにしても不思議な光景です。

 

 先ほど目にした蕨集落から、森に包まれた道をかなり走って来た先の、小さな入り江の岸に、小さな教会が忽然と現れたのですから。

 


  教会に近づくと、入り江に注ぐ小川の上流に、小高い尾根が見えて、小川の両岸は鬱蒼とした木立に包まれ、「九州自然歩道」の小道が心細げに藪の中に分け入ります。
   

 

 

 この場所には教会以外、人の気配を感じさせるものが見当たりません。


 もっとも、レンタカー会社の社長の説明に因れば、最盛期の久賀島の人口は昭和30年に3800人で、現在は300人だそうですから、現状からの印象で、潜伏キリシタンの生活を推察するのは間違いかもしれません。

 

 しかし、禁教が解かれる以前の江戸時代、潜伏キリシタンがこの島に集落を作った頃は、更にもっともっと、人里から離れた、寂れた光景だったと思うのです。

 

 福江港から直接水上タクシーで、五輪教会を訪ねる方法もありますが、手間暇かけて訪ねた、今回の五輪教会への道は、潜伏キリシタンを理解するための最善のルートだったかもしれません。

 

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五島列島へ

2020-03-14 17:23:10 | 五島列島の世界遺産と椿

 2020年2月29日午前8時5分、ゆっくりとフェリーは長崎港の岸壁を離れました。

 


 
 やがて美しい斜張橋の下を通過しフェリーは外海へと進んで行きます。

 

 
 フェリーが目指す先は、五島列島最南端の福江島です。

 


 実は今日から、福江島でツバキ愛好家によるツバキサミットが開かれる予定でした。


 しかし、予期せぬコロナウイルスの拡大で、1週間程前に突然の中止が決まっていました。


 ですから今日、私が目指す福江島に、私を待つ人は誰もいません。


 灰色の雲に覆われた、霧雨が降る東シナ海を、フェリーは淡々と航路を刻みます。
 


 やがて視界の先に、福江島と平らかな五島市街が見えてきました。

 

 
 フェリーはそのまま、小さな赤い灯台が迎える島の港に進み、

 

 
 フェリーは何事もなく、定刻の11時15分に福江港に到着しました。

 
 そして私は、この後すぐに、隣の久賀島(ひさかしま)へ渡る予定です。


 福江港の案内所で確認すると、1号桟橋に泊まる黄色い「シーガル」という小船が久賀島へ渡ると知らされました。

 

 
 渡船が出る12時5分までの間に、港付近の食堂でラーメンを食べ、久賀島を目指すシーガルに乗り込みました。


 乗客は私以外、島の住人と思しき3人だけです。

 


 船内の目立つ場所に赤字で「久賀島は交通機関が限られます。事前確認をお願いします」に続き、久賀タクシーの電話番号が記されたポスターが掲げられていました。

 

 
 私は事前に久賀島のレンタカーを予約してるあるので、島の港にレンタカー会社の迎えが待っている筈です。


 暫くするとシーガルは、小雨に濡れる港の桟橋を離れました。

 


 
 船内に掲げられたテレビに、北海道で新型コロナウイルス患者が増えているニュースが報じられていました。


 日本全国に、新型コロナウイルスの影響が及び始めたようです。

 

 
 しかしそんなニュースを横目に、船足は至って順調です。

 

 
 ところで私は近年、北海道へ渡る太平洋フェリーなど大きな船は乗っていますが、船縁で波しぶきを浴びるよう小船に乗るのは数十年ぶりかもしれません。

 
 船上から島影を写す時、手元に波しぶきがあがることに新鮮な感動を覚えたりします。

 


 視界の先に、福江島に掛かる赤い橋が見えてきました。


 順調に旅が進めば、明日はあの橋を渡る予定なのです。

 


 小船の上から、田ノ浦の瀬戸の水の上に、久賀島の印象的な白い浜脇協会が見えていました。


 それにしても、教会の周囲に人家が殆ど見えません。


 蒼緑の森を背に、白い協会がポツンと立つのみです。

 

 
 シーガルは当り前の素振りで久賀島田ノ浦港に接岸し、私は滞りなく迎えの車に乗り込み、レンタカー会社事務所のある、久賀町の中心部へと向かいました。

 

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