(前日からの続き)
で、その生命の本体というのは、もう素直な
素直な神様の光なんです。
いいですか、生命というのは、本来、けがれも
しなけりゃ、傷もつかない、まっ白な、純白な、
かがやきつづけている神様の光なんです。
それが、みなさんのからだの中、肉体も、
幽体も、神体もずっとつらぬいて、宇宙神の
み心にまでずっとつながってるわけなんです。
人間は、みんな、そういうすごい生命を
一人一人持ってるんです。
私からみると、そういう何物にも痛まない、
傷つかない、神様の生命を持っているという
ことに気付いた人間は、かがやいています。
業というものが、人間の出すおもいという
ものが、辺りをおおっちゃって、それが自分
だと思いまちがいをしている間、私たちは
とっても苦しいんだけれど、実は、人間を
突き動かしている生命というものは
かがやいていて、まっすぐに、すなおに神様に
つながってるものなんだということなんです、
私は、それをいうために、生まれてきた
人間です。
そして、もっと突きつめていくと、肉体を
はなれても、この生命は光を放し、光を失う
ことはない。
なぜなら、肉体は器、入れ物なんです。
みなさんは、今、この世での役目を
果たすために、肉体をまとっていますけれど、
みなさんを生かしている生命の光は、永遠の
ものなんです。
いいかえると、生命の流れというものは、
尽きることなく、神の世界にむかって
流れている、悠々と流れている。
このことを知って、どうか、素直に、私は
明るい、私の生命はかがやいていると思って、
祈りの生活をつづけて下さい。
それでは、ありがとうございました。
五井 昌久
昭和61年7月21日夕方 自宅にて
で、その生命の本体というのは、もう素直な
素直な神様の光なんです。
いいですか、生命というのは、本来、けがれも
しなけりゃ、傷もつかない、まっ白な、純白な、
かがやきつづけている神様の光なんです。
それが、みなさんのからだの中、肉体も、
幽体も、神体もずっとつらぬいて、宇宙神の
み心にまでずっとつながってるわけなんです。
人間は、みんな、そういうすごい生命を
一人一人持ってるんです。
私からみると、そういう何物にも痛まない、
傷つかない、神様の生命を持っているという
ことに気付いた人間は、かがやいています。
業というものが、人間の出すおもいという
ものが、辺りをおおっちゃって、それが自分
だと思いまちがいをしている間、私たちは
とっても苦しいんだけれど、実は、人間を
突き動かしている生命というものは
かがやいていて、まっすぐに、すなおに神様に
つながってるものなんだということなんです、
私は、それをいうために、生まれてきた
人間です。
そして、もっと突きつめていくと、肉体を
はなれても、この生命は光を放し、光を失う
ことはない。
なぜなら、肉体は器、入れ物なんです。
みなさんは、今、この世での役目を
果たすために、肉体をまとっていますけれど、
みなさんを生かしている生命の光は、永遠の
ものなんです。
いいかえると、生命の流れというものは、
尽きることなく、神の世界にむかって
流れている、悠々と流れている。
このことを知って、どうか、素直に、私は
明るい、私の生命はかがやいていると思って、
祈りの生活をつづけて下さい。
それでは、ありがとうございました。
五井 昌久
昭和61年7月21日夕方 自宅にて