生死一如
生もない
死もない
生も死も
実は
ひとつにとけ合っている
という
言葉が
ありますが
これは
本当です
生も死も
ただ
ねむって
覚める
それほどの
ちがいでしか
ないのです
人間というものは
神の愛をうけながら
永遠に
進化をかさねてゆく
存在なのです
自らの光を
もっともっと
世界平和の祈りのなかで
かがやかせてゆく
そういう存在なのです
ですから
この世に生きることも
あの世に生きることも
本当はおなじなんです
ちっとも
かわったところなんて
ない筈なのです
ただね
地球という
この星を開発するために
私たちが地上におりて
一生懸命働いている間に
我々は
我々自身が光なんだということを
忘れちゃったんですよね
だから
本来の生命の姿っていうものに
かえっていかないといけない
かえれば
本当に自由になるんです
で
そのかえり方を教えるために
釈迦とか
キリストとか
法然さんだとか
色々な人が
今までに出てきたわけです
そして
最後に
私が出て
世界平和の祈りを
説いたわけです
この祈りは
本当に神の光明、大光明
なんです
この祈りのなかで
人類一人一人が
その本心の光に出会うことが
できる
真実の自分に出会うことが
できる
真実の自分とは
何だといえば
とらわれも
こだわりもない
ただ
大いなる生命に
まかせて
流れのままに
生きてゆく
そういうものですよね
ふんわりしてるんです
心配も何もしない
しなくていいんです
光なんですから
突きつめていけば
みんな光なんですからね
その光が
この肉体にともっている
だけど
この肉体が
あなたじゃないんです
光があなた自身なんです
自分自身なんです
肉体というのは
この地上でいずれ
くちてゆくものですが
生命というものは
くちてはいきません
その生命を
我々は
この胸に抱いているんです
どうぞ
このことを
しっかりと覚えて下さい
そして
祈って祈って祈り抜いて参りましょう
世界人類が平和でありますように