CMの歌でも活躍。
1983年デビュー。
ヘヴィーメタルの女性ロックシンガーのパイオニアとして、活躍。
デビュー時は「麻里ちゃんはヘビーメタル」のキャッチコピーであったが、半分はアイドルのように扱われて、思うようなことも出来ないかもしれないが、自分なりに頑張ってやりたいことをやるチャンスを広げていた。
ヘビメタだけのジャンルに捉われることなく、もっと幅広く自分の世界を広げたいと活動。
L.A.のスタジオでの録音は、スタッフ(エンジニアとミュージシャン)が素晴らしい上に、音響も好きだった。馴染みの日本食の店も紹介。当時、苦悩していた自分についての話があった。
結局は自分が頑張るしかない。
NHKソウルオリンピックの放送テーマソング「Heart and Soul」のヒットしたが、1993年にはライブ活動を休止する。ハードなライヴに精神的にも体力的にも限界が来ていた。
ライヴが減ると売り上げも落ちていった。周囲にいたスタッフも一気に消えていった。
苦難の時代、歌で生きることの厳しさ、自分と向き合うことの大切さを教えてくれたのが
ロサンゼルスで出会った人々だった。今回、L.A.を再訪した浜田は、現地の友人と再会
「30年後もルックス変わらないと思うよ」と現地の当時のスタッフが言うくらい、本当に51歳とは思えないルックス。
歌うことに主を置いて生きてきたので、一般の女性の人生とはかなり違った生き方になっている。そういう面で寂しさがないと言えば嘘になりますが、と音楽に生きる魅力的なミュージシャンの微笑みが印象的でもあった。
2002年 ライヴを赤坂BLITZで再開して、ファンが自分を歌を待っていてくれたことを実感。
2014年 デビュー30周年を超えて、パワフルに歌い上げる浜田姉妹に感動しっぱなしの30分間であった。
1 Heart and Soul
1988年発表。同年のソウルオリンピックのNHK放送テーマソングに選ばれた。
(Gt)増﨑孝司、藤井陽一
(Ba)山田友則
(Key)増田隆宣、中尾昌文
(Dr)宮脇知史
(Cho)浜田絵里
2 BLUE REVOLUTION
1985年発表。デビューから2年、満を持してリリースされた初のシングル。ハードかつポップなテイストのこの曲は「ヘヴィメタル・クイーン」浜田麻里の名を日本中に広めた。
3 Return to Myself ~しない、しない、ナツ。
1989年 化粧品のCMソングに起用され、初のNo.1ヒットに輝く。多くの人にとって浜田麻里の代名詞的一曲。
4 Stay Gold
ヘヴィかつドラマティックな現在の浜田麻里を象徴する一曲。曲終盤の壮絶なシャウトが聴き手を圧倒する。2010年のアルバム「Aestetica」収録。
1983年デビュー。
ヘヴィーメタルの女性ロックシンガーのパイオニアとして、活躍。
デビュー時は「麻里ちゃんはヘビーメタル」のキャッチコピーであったが、半分はアイドルのように扱われて、思うようなことも出来ないかもしれないが、自分なりに頑張ってやりたいことをやるチャンスを広げていた。
ヘビメタだけのジャンルに捉われることなく、もっと幅広く自分の世界を広げたいと活動。
L.A.のスタジオでの録音は、スタッフ(エンジニアとミュージシャン)が素晴らしい上に、音響も好きだった。馴染みの日本食の店も紹介。当時、苦悩していた自分についての話があった。
結局は自分が頑張るしかない。
NHKソウルオリンピックの放送テーマソング「Heart and Soul」のヒットしたが、1993年にはライブ活動を休止する。ハードなライヴに精神的にも体力的にも限界が来ていた。
ライヴが減ると売り上げも落ちていった。周囲にいたスタッフも一気に消えていった。
苦難の時代、歌で生きることの厳しさ、自分と向き合うことの大切さを教えてくれたのが
ロサンゼルスで出会った人々だった。今回、L.A.を再訪した浜田は、現地の友人と再会
「30年後もルックス変わらないと思うよ」と現地の当時のスタッフが言うくらい、本当に51歳とは思えないルックス。
歌うことに主を置いて生きてきたので、一般の女性の人生とはかなり違った生き方になっている。そういう面で寂しさがないと言えば嘘になりますが、と音楽に生きる魅力的なミュージシャンの微笑みが印象的でもあった。
2002年 ライヴを赤坂BLITZで再開して、ファンが自分を歌を待っていてくれたことを実感。
2014年 デビュー30周年を超えて、パワフルに歌い上げる浜田姉妹に感動しっぱなしの30分間であった。
1 Heart and Soul
1988年発表。同年のソウルオリンピックのNHK放送テーマソングに選ばれた。
(Gt)増﨑孝司、藤井陽一
(Ba)山田友則
(Key)増田隆宣、中尾昌文
(Dr)宮脇知史
(Cho)浜田絵里
2 BLUE REVOLUTION
1985年発表。デビューから2年、満を持してリリースされた初のシングル。ハードかつポップなテイストのこの曲は「ヘヴィメタル・クイーン」浜田麻里の名を日本中に広めた。
3 Return to Myself ~しない、しない、ナツ。
1989年 化粧品のCMソングに起用され、初のNo.1ヒットに輝く。多くの人にとって浜田麻里の代名詞的一曲。
4 Stay Gold
ヘヴィかつドラマティックな現在の浜田麻里を象徴する一曲。曲終盤の壮絶なシャウトが聴き手を圧倒する。2010年のアルバム「Aestetica」収録。