仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

「雪山讃歌」の謎

2011-05-16 18:24:00 | 日々雜感
雪山讚歌 をいつ覺えたのか記憶にない。
おそらく小學校の頃だと思ふのだが。

このところ、風呂で歌を歌つてゐる。
そのうちの多くは70年代フォークなのだが、それ以外に「雪山讚歌」がある。
この歌は、アメリカの歌「いとしのクレメンタイン」のメロディーに、當時京都帝大山岳部員だつた 西堀榮三郎 が歌詞をつけたものとして知られてゐる。

歌詞の長さはいつたい何番まであるのだらうと思ふほどだが、私が歌へるのは1番、2番、4番、9番。
ただし、2番は間違へて覺えてゐた。
「輝く尾根に春風そよぐ」のところを「明日は行かうよあの頂きに」と覺えてゐたのだ。
こんな歌詞はない。
「明日は登ろよあの頂きに」だつたら7番にあるのだが。

それはともかくとして、先日、風呂場で歌つてゐて氣が付いた。
4番の歌詞だけが、ほかと較べて異質なのである。
この歌は「雪山讚歌」なのだから當然のことながら雪山に登つてゐる情景の筈だ。
それなのに「テントの中でも月見は出來る」とはどういふことか。
ましてや「雨が降つたら濡れればいいさ」とは言語道斷。
雪山で雨に降られることの恐ろしさを 西堀榮三郎 ともあらうお方がご存じない筈はないのだが・・・

雨に濡れたら外氣温の低下とともに體温が一氣に奪はれ、低體温症となつて遭難する可能性が非常に高い。
夏山ですら凍死することがあるほどなのだから、雪山では致命的だ。
この歌詞が生まれたのが昭和2年1月。
まだナイロン製品は出囘つてゐないのだから尚更のこと。

とすれば、この4番の歌詞は雪山での情景ではないと考へるのが妥當だらう。
「雪山讚歌」の中に夏山の情景が紛れ込んでゐたわけだ。
この歌を知つて以來40年ほど。
何の疑問も持たなかつた自分がむしろ不思議に思へる。
テントの中からの月見といふ魅力的な情景に惹き込まれて、雪山との齟齬に氣づかなかつたといふことだらうか。

ちなみに9番の歌詞は大好きな歌詞で、快心の山登りが出來た時は山を下りながらいつも心のなかで口遊んでゐた。
山のご機嫌がよい時になんとか登らして貰つてゐる、そんな氣持ち。
また來るときにも笑つておくれ。





雪山讚歌
  作詞  西堀榮三郎
  作曲 P.モントローズ


1.
雪よ岩よわれらが宿り
俺達や街には住めないからに
俺達や街には住めないからに
2.
シールはづしてパイプの煙
輝く尾根に春風そよぐ
輝く尾根に春風そよぐ

3.
けむい小屋でも黄金の御殿
早く行かうよ谷間の小屋へ
早く行かうよ谷間の小屋へ

4.
テントの中でも月見はできる
雨が降つたら濡れればいいさ
雨が降つたら濡れればいいさ

5.
吹雪の日にはほんとにつらい
ピッケル握る手が凍えるよ
ピッケル握る手が凍えるよ

6.
荒れて狂ふは吹雪か雪崩
俺達やそんなもの恐れはせぬぞ
俺達やそんなもの恐れはせぬぞ

7.
雪の間に間にきらきら光る
明日は登ろよあの頂に
明日は登ろよあの頂に

8.
朝日に輝く新雪踏んで
今日も行かうよあの山越えて
今日も行かうよあの山越えて

9.
山よさよならご機嫌よろしう
また來る時にも笑つておくれ
また來る時にも笑つておくれ





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