8月5日、9日読了
『陽昇る国、伊勢 古事記異聞』 高田崇史
2022年11月30日刊行
初読。再読。
「古事記異聞」シリーズ第5作。
主人公は『出雲』を研究テーマにしている大学院生、橘樹雅(たちばなみやび)。
読み流せる内容ぢゃなかったので、読み了えてから、すぐに読み返しました。
結論をまとめます。
「外宮先祭」は何故か?
外宮の祭神は、元来、実は太陽神であり伊勢の地主神である饒速日命(天照国照彦火明櫛玉饒速日命)が祀られていたのではないか。なればこその男千木。
その後、持統天皇の時代に、その本来の男神に成り替わり、天照大神を伊勢の神として内宮を造設、天孫降臨神話を創作することによって孫への皇位継承を正当化したのだろう。
そして、豊受大神とは実は市杵島姫命で饒速日命とは夫婦神。この夫婦神の子孫が猿田彦神。その猿田彦神が伊勢の地主神として、猿田彦神社などに祀られている。
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以下、ご参考
能『三輪』の謡に曰く、
「おもへば、伊勢と三輪の神、一体分身の御事、今更何と磐座や」
とあるのを知り、雅は伊勢への興味が湧いたのだった。
出雲と三輪、三輪と伊勢、伊勢と出雲…
伊勢の内宮は内削ぎの女千木で鰹木は偶数本なのは祭神が天照大神なので当然としても、外宮は祭神が豊受大神という女神なのに外削ぎの男千木で鰹木が奇数本なのは何故か?
天照大神は崇神天皇の時代に宮中から追い出され、数十年に渡り24ヶ所も彷徨った挙句に、垂仁天皇の時代になってようやく伊勢に落ち着いたと云う。
歴代天皇は伊勢神宮に参拝していない。初めて参拝したのは明治天皇。
持統天皇は伊勢に行幸しているが、参拝した記録はない。
現代の皇大神宮が創建されたのは文武天皇二年のこと。
天照大神は持統天皇をモデルとして創出され、天孫降臨神話は持統天皇から孫の文武天皇への皇位継承を正当化するものだった。
斎王(いつきのひめみこ)は、伊勢の神を祀るために朝廷から差し出された皇女であり、巫女であると同時に「神の妻」だった。
ということは、伊勢の神は男神だったということになる。
持統天皇の時代に、その本来の男神に成り替わり天照大神を伊勢の神として、天孫降臨神話によって孫への皇位継承を正当化したのだろう。
『伊賀国風土記』によると、伊賀国と伊勢国は同じ国で孝霊天皇の御代に分かれたとあり、猿田彦神が伊勢一帯を治めていたとある。
つまり伊勢の地主神は猿田彦神だ。
二見興玉神社の主祭神は猿田彦神であるにもかかわらず、本殿の千木は内削ぎの「女千木」で鰹木は六本。女神を祀る造りなのは何故か?
→二見興玉神社の祭神は、市杵島姫命であり、猿田彦神は夫婦岩の沖合に祀られている。
豊受大神宮別宮の月夜見宮の祭神は天照大神の弟神である月読命。
社殿の千木は外削ぎで鰹木は五本、男神を祀る造り。
21年間お世話になったgooブログが終了するとのこと、残念でなりません…