仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

「三輪山の古代史―大和王権発祥の地から古代日本の謎を解く」 千田稔ほか

2007-02-27 10:54:51 | 讀書録(歴史)
「三輪山の古代史―大和王権発祥の地から古代日本の謎を解く」 千田稔ほか
お薦め度:☆☆☆+α /
2007年2月20日讀了


三輪山を御神體とする大神神社が開催した文化講座「三輪山セミナー」を単行本化したもの。
執筆者(講演者)は、上野誠、千田稔、和田萃、門脇禎二、塚口義信の5名。
目次は以下のとほり。

1.山の邊の道をめぐつて-和田萃
2.三輪山へ獻上された出雲神の和魂(にぎみたま)-門脇禎二
3.大神神社と出雲-千田稔
4.島の山古墳から見た三輪王權-千田稔
5.三輪山と卷向山-千田稔
6.「崇神紀」の傳承空間-千田稔
7.初期ヤマト政權と櫻井茶臼山古墳・メスリ山古墳の被葬者-塚口義信
8.平城京生活者の三輪山-上野誠

私にとつて興味深かつたのは、「三輪山と卷向山」。
邪馬臺國畿内説に與する千田稔が、アマノヒボコ傳承から邪馬臺國が畿内にあつたといふ假説を檢證してゐる。
「大國主命=大物主命」は云はずと知れた出雲神だが、これが銅鐸祭祀の對象だとする。
一方、鏡の祭祀はアメノヒボコが持つてきた「奧津鏡・邊津鏡」に端を發するといふ。
すなはち、アメノヒボコ系の渡來人と土着の「大國主命=大物主命」との爭ひが、いはゆる「倭國大亂」だといふのだ。
そして、勝利者はアマノヒボコ勢力であり、その勢力が纏向の邪馬臺國だといふわけである。
その證據に、アメノヒボコと關はりの深い兵主神社のうち、「大」のつく大兵主神社といふのが櫻井市穴師にある。
ここはアメノヒボコ勢力が勝利宣言をした場所だといふわけだ。

確かに私もアメノヒボコが古代史の鍵を握る人物(集團)だと思ふ。
ただ、その傳承が果たして彌生時代まで遡れるものなのかどうか。
まだまだ十分な檢證が必要だと思ふが、ひとつの假説としては面白いと思つた。


三輪山の古代史―大和王権発祥の地から古代日本の謎を解く

學生社

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