仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

『西域から来た皇女 本当は怖ろしい万葉集2』  小林 惠子

2009-01-12 00:18:04 | 讀書録(歴史)
『本当は怖ろしい万葉集』シリーズの第2作。

前作の  『本当は怖ろしい万葉集』 では、「古代韓國語」で萬葉集を讀む試みに頼る部分が多かつたが、本書ではそれほどでもない。
萬葉集では時代がすすむにつれて、「略體歌」が減り1字1音表記になつてゆく。
つまり、漢字を表音文字として取り扱ひ、「ひらがな」のやうに讀むことが出來るやうになる、といふことだ。
さうなると、もはや「古代韓國語」とやらで解讀する餘地がなくなるといふことだらう。

さて、「古代韓國語」の出番が減つたとはいへ、本書で展開される著者の主張は一般常識からは懸け離れてゐる。
別に一般常識がすべて正しいといふわけではないので、懸け離れてゐることはよしとしよう。
しかし、假説を導きだすためのロジックが脆弱だ。
假説を立ててもその檢證が出來ないため、假説をそのまま前提にしてまた新たな假説を立てて行く。

一例を擧げよう。

【事實1】
『日本書紀』には、683年から686年にかけての筑紫大宰の名前が記されてゐない。

【著者の假説1】
その時の筑紫大宰は三野(みの)王である。

【著者の假説2】
名前を記載しなかつた理由は、「三野王が大津皇子に任命されて筑紫に行きながら、大津朝打倒の立役者として働いたからに他ならない」

これらの論理展開には、假説1の根據が必要だが、著者の示す根據は殆ど想像の域を出てゐない。
また三野王が「大津朝打倒の立役者として働いた」といふ具體的な行動についてはまさに想像そのもの。
さらに著者は最後にかう書いてゐる。
「『書紀』が三野王が筑紫大宰だつたことを伏せてゐること自體、三野王が大津朝を裏切つた事實を暗示してゐると私は考へてゐる」

ちよつと待て。
「『書紀』が三野王が筑紫大宰だつたことを伏せてゐる」といふのは著者の立てた「假説」に過ぎない筈。
それをもつてして、「三野王が大津朝を裏切つた事實を暗示してゐる」とはどういふことか。
だいいち、「三野王が大津朝を裏切つた事實」といふけれど、それも「事實」などではなく著者の「假説」に過ぎない。

本書を讀んで、「砂上の樓閣」といふ言葉があるのを思ひだした。
また、例へは適切ではないかもしれないが、「ひとつ嘘をつくと、その嘘をつき通すためにたくさんの嘘をつかなければならなくなる」といふ言葉も思ひだした。

このシリーズには第3作として、『大伴家持の暗號』といふ著作があるらしい。
怖いもの見たさで、讀んでみようか。


本当は怖ろしい万葉集 (2)
小林 惠子
祥伝社

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<參考>

本当は怖ろしい万葉集―歌が告発する血塗られた古代史

祥伝社

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<參考>
お薦め度:☆☆☆☆

聖徳太子の正体―英雄は海を渡ってやってきた

文芸春秋

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4 コメント

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読んだわけではないのですが (かんさいや)
2009-01-12 21:11:59
このあたりの歴史は興味ありますねえ
実は、近所の道路を複線化しようとしたところ、なんと遺跡が出てしまいまして、その遺跡が重要な遺跡かもしれないのですよ
大阪の北のほうはけっこう遺跡が出ていて、銅鐸の型なんてのもあって、銅鐸の型はめずらしいので、もしやいまだ見つからざる邪馬台国かもしれないのです
大げさだけど大阪の遺跡に注目してます
(茨木市の藤原鎌足の古墳はよそでしたw)
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賀正 ()
2009-01-12 22:34:28
新年明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

本年も宜しくお願い致しますm(_)m
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かんさいやさん (仙丈)
2009-01-12 22:49:24
確か茨木のあたりで、銅鐸の鑄型が發見されてゐましたねえ。
何といふ遺跡だつたか・・・
「東」がついたと思ふのですが、思ひだせません。
銅鐸は古事記や日本書紀にはまつたく登場せず、「續日本紀」に「なんだかわからんもの」として登場するらしいです。
つまり、いまの天皇家とは關係ない祭器だつたやうですね。

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落さん (仙丈)
2009-01-12 22:50:27
こちらこそ、今年もよろしくお願ひします!

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