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書籍名 抹殺された倭王たち カテゴリー 日本史
著者名 武藤義弘 発行年(西暦) 2004
出版者 理想社 値段 1500-2000円
感想 ☆☆☆
この本は3章からなつている。
第1章:日本はいつ「日本」になつたか
中國の史書に「日本」が登場するのは、『舊唐書』からである。
そこでは、
「日本」はもと小國であり、從來の「倭國」の地をあはせた、
と書かれてゐる。
また、『新唐書』ではこれとは逆に、
「日本」はもと小國であり、從來の「倭國」がその地をあはせて「日本」と名乘るやうになつた、
と書かれてゐる。
筆者の見解は、基本的には『新唐書』のサイドに立つている。
「日本」といふ國號を定めたのは大友皇子である。
大友皇子は天智天皇のあと即位してゐる。
「白村江の敗戰」により都を飛鳥から大津に遷したことで「倭」から「日本」に國號を改めたのだらう。
その後、天武は壬申の亂で大友を破り、都を飛鳥に戻すが、その際に國號も「倭國」に戻してゐる。
しかし、天武亡き後、持統は「日本」といふ名稱を復活させた。
第2章:日出づるところの天子とは誰か
『隨書』によれば明らかに男王であるにもかかわらず、『日本書紀』によれば推古女帝である。
當時の天皇は實は、推古ではなく、押坂彦人大兄皇子が即位してゐたのである。
そしてその押坂彦人大兄皇子を聖徳太子(從弟に相當する)が補佐してゐた。
これで『隨書』の記述と辻褄が會ふ。
『日本書紀』がこの事實を抹殺したのは、この天皇が精神に異常をきたしていたからだと考へる。
武烈天皇の所業は、實はこの天皇の所業を映したのではないか。
第3章:神武傳説を解く
神武は架空の天皇である。
この傳説は應神天皇をモデルにして作られたのである。
なお、應神の母、神功皇后は新羅の國から日本に嫁入りしてきた實在の人物をモデルにしてゐると考へられる。
朝鮮の史書『三國史記』によれば、西暦312年に倭國王の求めに應じて貴族の娘を倭國王に嫁がせてゐる。
そして346年以降、たびたび倭國が新羅に攻めこんでゐる。
この史實から神功皇后による「三韓征伐傳説」が作られたのであらう。
筆者は、邪馬臺國以降「倭國」の中心は一環して大和地方にあつた、とする立場を取つてゐる。
しかし、邪馬臺國はともかくとして、金印を授けられた「倭國」は北九州にあつた筈。
いつの時點で金印の「倭國」と大和地方の「倭國」が同一化したのか、その邊りが不明である。
2004年10月25日讀了
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