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自分はおばさんであるという自覚を持つのは難しい

2024-05-09 | つれづれ
おばさんが書いていますが、御婦人は不快に感じる可能性がなきにしもあらずなので読むのを自衛してください

自分はおばさんであるが、おばさんであるという自覚を持つのはなかなかに難しい。

おばさんにも
おばさん(前段階)
おばさん(グレードC)
おばさん(グレードB)
おばさん(グレードA)
おばあさん(前段階)…
みたいな段階が実はあるのだけれど、そんなものはおばさんになってみないと分からなかったことであるし、おばさん前段階以前の若い時代には全く興味のないことであった。

なってみて初めて分かるおばさん階段。
でも正直おばさんである私にとっては自意識として常に今が一番若い状態であるので、ここはおばさん密林の入口で、まだおばさん大森林の奥地の奥の景色は全然分からない。
おばさん(グレードA)でしょ、と思ってたら大森林の奥地から見たらおばさん(前段階)かもしれない。

実に奥深しおばさん道。

まぁとりあえず、おばさんになって思うのは、美容系は「何したっておばさんはおばさん」であるということである。
高級クリームを塗ろうが、しみを除去しようが、植毛して、脂肪吸引して、糸リフトして髪の毛ツヤツヤにしようが、周りのおばさんよりちょこっとマシになるだけで「おばさんはおばさん」である。

幼児や若人を見ていれば全然違う生き物であることは自明の理である。

私が若人の顔の見分けがつかずお坊ちゃまお嬢様状態になっているのと同様に、若人からみたらおばさん達は単なるおばさん集団である。
ただ若人の方が老眼のおばさんよりはよく見えるし頭の働きが良いので、個体識別は若い人の方ができているかもしれないが、高級クリームを塗ってるおばさんとそうでないおばさんくらいの違いで、(そう何度も傷に塩を塗らないで欲しいと自分でも思うが)おばさんはおばさんである。

おばさん自身といえば、自分の若かった頃を知っているので、ある日鏡に写った自分自身の姿を見て大層びっくりして、慌てて色々するわけだが、それらはすべてあくまで自分が健やかに過ごすための「自己満足」だと自覚していれば適当な範囲で収まる気がしているし、自意識としても健全な気がしている。全く向上心がないのもあまり良くない。
おばさんだから…といって何も感じなくなるとそれはそれで第三者から見た清潔と健康の範囲を超えてしまうことがあるので、「適度なおばさん」でいることは大事だと思っている。

おばさんとして「羨ましいな…」と他のおばさんを羨んでいる所があって、それは、スタイル(身長や骨格)がよければ、表面の皮や脂肪がでろでろになったところでスタイルの良いことには変わらない所である。
骨格だけは裏切らない…と密かに思っている。産まれながらに良い骨格を持った人、素晴らしい。あなたは「背の高いおばさん」又は「足が長いおばさん」という上級おばさんになれるでしょう。
繰り返すが、私のような下級おばさんだろうがスタイルの良い上級おばさんだろうが、おばさんはおばさんである。

おばさんはある日から㊗おばさん!となるわけではなくて、次第におばさんになってゆく。

目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったり記憶ができなくなったり代謝が悪くなっていったりするのだけれど、これは、だんだん、じょじょに進んでいくので自分自身ではなかなか気が付けない。

だから私もおばさんだけれどおばさん界に入っていたことに、ある日、突然、気がついた。

私の自意識だけで気がついたわけではなくて、できていたことができなくなったり、周りからの反応や評価が変わったことによってリフレクション的に気がついたわけである。

たとえば、おばさんはよく「図々しい」と言われるが、実際に脳の前頭葉の機能が落ちていって他者に配慮できなくなるという機能的な衰えによって真に我慢するものを我慢しなくなった結果図々しい行為をするようになったパターンと、若いときから実は図々しい行為をしているが周りからの評価が図々しいとされてないパターンがある。
理想主義の過激派ね、とか、コミュ強お話好きね、とかそういうやつである。前者はきついおばさん、後者はおせっかいおしゃべりおばさんとかある日言われたりする。

若人に煙たがられるお局様という存在だって、若いうちはお局様などとは呼ばれない。
おつぼね様の悪口を隠れて言っている女子たちは実はみーんなまるっとまとめて総じておつぼね様予備軍であったりする。
おつぼね様と言われない陰湿でもない穏やかなおばさんになれる人は若いうちから基本的にそういう行動形態はない。
ま、ようは若い人はみなおじさんおばさんになって、若い頃の特徴そのままに〇〇おばさん、〇〇おじさんになるのです。なりたくなくてもなっちゃうのです。
自然現象であることにあと20年くらいしたら分かるはず。

あとよく、目下の人間に昔話をするのが好きと言われたりするが、これは最早新しい出来事を記憶できず、幼少期から20代くらいの若い時の記憶しか残っていないので、そういえば…とふと思い出すのはとうに20年30年以上前のことだったりする。
最近の出来事として「これこれがさー」と話しだしたら「私まだ5歳でしたね、その時」とか場合によっては話し相手が産まれる前の出来事だったりする。
最近驚いたのは第2世代Kpopが15年前だったし、ガンダムSEEDは20年前だったし、ワンピースの掲載開始は約30年前で、ポケモン初代も約30年前でサトシが最近引退したと気がついたことである。
お前達、つい最近できたはずだったじゃん…!みたいな感覚である。

「人の話を最後迄聞かない」のも同様の要因で、短期記憶として1次記憶場所に記憶を納めきれないからである。
本人の自意識としては、若い頃と変わらず人の話をふんふん聞いているつもりである。

そうして、目も悪くなって耳も悪くなって脳みそも…と気づいて自身がおばさんであることにようやく気がつくわけである。

最近思うのは、年をとると、欲求がだんだんなくなっていってなんでも流せて丸くなる人と、何でも許せずイライラする人に分かれるみたいだということである。(私は後者)

物わかりがよくなって「どうでもいい」「なんでもいい」と思えるものの範囲が広がって諦めることばかり覚えて良くも悪くも執着という感情からは遠ざかっていって最後にはきっと生きることに対する執着もなくなっていく…みたいな穏やかな老人になりたかったが、どうやら自分の両親を見ると最後まで無理そうである。悲しい。

まだまだおばさん街道は序の口なので、もうすこし進んだらまた振り返ってみたい。


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