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週刊 新大土壌研

新潟大学農学部農学科 土壌学研究室の活動日記です 『週刊』を名乗っていますが、不定期に更新していきます

エーゲ海の都市イズミールから

2010-07-23 | MN
この写真はエーゲ大学土壌学科圃場の写真です。土壌学科教員が31名、女性が11名でした。学科長のDilek先生は女性でした。奥に見えるのはオリーブの木です。オリーブの木は一度植林すると伐採禁止とのことです。
2枚目の写真はRapunzel村の有機農業です。1986年から会社が販売と指導を行っています。
約900haの農地が有機農業です。タバコ、ブドウ、トウモロコシ、小は麦、オリーブ、ごま等40種類が栽培されています。
3枚目はこの村の農民です。インタビューをしました。すべての農民は携帯電話で情報が入り、インターネットも90%以上の農家にあり、農業に利用しているとのことでした。
堆肥は前述した作物残渣と牛フンを利用して、2t/1haです。
イタリアの有機農業の村と定期的に交流していると話していました。
後継者問題は日本と同じように深刻で村から30名がとかに出たと話していました。
収入は週1500から7000USドルとのことです。

イズミールです

2010-07-22 | MN
 アンカラ大学C先生の運転で、朝7:30にアンカラを出発して、夜20:30にエーゲ大学ゲストハウスに着きました。まだ、日は沈みません。途中、トルコの問題土壌で荒涼としたアルカリ土壌地帯を通過して山脈を越えてエーゲかに近づくと、雨量が多くなるためか緑が多くなり、土壌も黒くなり、優良な農業生産地帯に変わりました。
 H先生やB君からも報告があると思います。
 ようやく時差に慣れて、トルコ時間6:30までぐっすりと寝ることができました。

トルコです

2010-07-21 | MN
 H先生、博士課程のM君と7月18日成田を出発して、19日早朝、カタールのドーハを経由して、19日17:30にアンカラに着きました。時差は6時間です。現地は夜の8:00頃まで
明るいです。
 20日は朝9:00から夕方4:30まで有機農業・菌根菌・土壌修復のワークショップを行いました。夏休みにも関わらず、延べ100名が参加しました。有機農業に関してはトルコ農業を発展させる手段として関心が高く、plant protectが専門の先生の名刺には有機農業スペシャリストと書いてありました。
 今、トルコ時間21日4:30(日本時間10:30)です。
 今日から24日ま、レンタカーでイズミール・アンタルヤの有機農業の現場を見学に行きます。
 土壌学科の前です。 

鹿児島です 

2009-12-10 | MN
 先ほど、鹿児島に到着しました。
 明日は科研費を使い有機農業学会メンバーで行っている調査の打ち合わせと理事会です。
 12日から13日まで鹿児島大学農学部で有機農業学会です。
 初日、私がコディネーターした「有機農業にとって土とはなにか?」です。
 インドネシアほどではないですが、鹿児島は温かいです。

 ところで、N.H.先生の書き込みにAMFの写真がありました。Sriさんが指導したのかと思いました。

 懐かしい顔や風景の写真ばかりでした。

 N.H.先生はじめH先生、S先生、O先生御苦労さまでした。
 

ハルピンを立ちます。

2009-11-27 | MN
 現在時間、5時30分、外気温度は-19℃です。
 これから空港に向かいます。
 昨夜の送別会で黒竜江省水利科学研究院の方たちが月に1回家庭料理を山家君に御馳走してくれることになりました。また、農村や農地現地調査に山家君を同行してくれることになりました。
 中国語だけでなく、さまざまな経験ができて良かったです。
 Miss Guan Lingには大変お世話になりました。空港でお別れです。
 昨日、Lingさんは黒竜江大学の近くで分子生物学の本を4冊購入していました。

今日は黒竜江省水利科学院に出かけました。

2009-11-26 | MN
今日は黒竜江省水利科学研究院で土壌改良技術について共同研究することが決まりました。
昼は山家君が52度のお酒をコップ2杯飲んでいました。私の代わりに乾杯をしてくれました。
研究院の副院長初め、山家君と今後交流することを約束していました。関さんも同様です。H先生の訪問の時も案内してくれると約束してくれました。
本日のハルピンの最高気温-9℃、最低気温-19℃です。
明日、副院長が車で迎えに来てくれて、関さんも空港まで同乗します。
残念ながら、いよいよ、明日朝8:05の飛行機で帰国です。
これから送別会です。

黒河市の朝

2009-11-26 | MN
黒河市の朝の様子を添付します。宿泊ホテルの名前は「北苑兵館」で主に警察や軍の関係者が宿泊していました。今年の9月にできたばかりの新しいホテルでした。
内部は床暖房で25℃ぐらいありましたので下着1枚で寝ることができましたが、翌朝起きると外は-30℃の世界です。
 外ではこの写真を撮影後、一斉に煙が立ち上り、1日が始まります。
この市では関東軍が遺棄兵器だけでなく、多くの中国人を細菌部隊に送り込んで迷惑をかけた場所です。