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神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.445 ふりをしない

2025-03-28 23:53:01 | 余録
(1)きのうのコレクション『マルクス経済学レキシコン』の編者・久留間鮫造先生のようでありたい、あるべし、そう思っています。ことマルクスの著作を読むに於てはそうです。
 しかし、これは「盲信」ということではありません。わからないことはわかったふりをしない、勝手な判断や読み込みをしない、ということです。

(2)おもしろいことに、たとえばマルクスの代表作である『資本論』について、今年になってある哲学者?が自著で示した解釈について新聞に登場していました。それから、昨年もなにかの賞を取ったという若い人が本を書いていました。そこでいろいろなことが言われていました。でも、私には、その人がそう思っているだけとか、そういうのは「勝手」くらいにしか思えませんでした。

(3)マルクスはもう100年も前の時代の人です。そもそも無謬ではないでしょうし、時代の限界もあり得ます。その批判はありえます。しかし、気をつけなければならないのは、マルクスに対する自分の無理解を常に警戒することです。
 たとえば、「マルクスが言っていることが自分の感覚と合わないのは、マルクスが、ではなく、自分が理解できていないからではないか、いや自分が間違っているからではないか」ようにです。私から見て、この精神が久留間先生の基本だと思います。

(4)通常、半可通の人ほど、マルクスが云々といいます。
 いまテレビに物知り顔で出ている人がいますが、この人は、『資本論』について解説して、「もっと簡単に言える」といいました。そうなら、「それでやって見せてくれ、現代を解明してみせてくれ」と言いたいところです。こいうように、これまでマルクスに凭〔もた〕れてマルクスの批判をいうのが普通にありました。
 そもそも、学生であった私が『資本論』全3巻を「通読」するだけのために、かれこれ2年かかりました。これは内容理解とは別です。ゼミで1巻を読み通すのでさえ1年では大変です。そういう『資本論』を、解説本でなく、そのものをぜひ読んでほしいものですが、実際は読み通すことさえたいへん膨大な本です。

(5)その本のどこかを読んだ人が、半可通のままなにか主張すると、他の半可通がこれを批判し、するとまた第3の半可通がこれを批判するというように「議論」が活発化します。すると、ああでもない、こうでもない、いややっぱりこうだと主張しあった人々が本を書き、やがてその分野の有名人ができるというのがとかくの構図です。
 まあ、「わかんない人」が書いた本を、入門者とか「わかんない人」がわかりたいと思って読むけど、やはりわかんない・・・。これがこれまで見てきた論争です。

(6)そうなれば、当人は有名人になり、出版社は儲かります。その一方で、読者はいい面の皮・・・。
 ある時、出版社って武器の世界の「死の商人」みたいなところがある、と思ったことがあります。つまり、あおって儲ける・・・。結局は紙くずばかり・・・。新聞広告を見ているとそう見えませんか?
 嗚呼。

   
    赤い花 先客あり

【コレクション 202 レオナルド・ダ・ヴィンチ】
 レオナルド・ダ・ヴィンチの全作品・素描集です。
 このパンフの大きさは、A4判4㌻です。A3判の用紙を二つ折り急いてできています。
 きょうこれを見てふと思ったのは、ホキ美術館の収集作品などで話題になっている細密画との違いです。
 最近の細密画は、感覚的・印象的に捉えられた日常のある場面を精緻に描こうとするものです。ざっくり言って、写真と見まがうほどに精緻に描いて観客を圧倒することに主眼があります。精緻だということそのことで話題性が呼び起こされればよいのだと思います。ですから、描く対象やテーマは、腕前を証明・発揮できる対象ならば、とりあえずは構わないわけです。描く場面に時代性とか、自分が絵を描く葛藤が意識されているわけではないともいえそうです。
 これに対して、ダ・ビンチの作品も細密ですが、その精緻さには彼の思想・問い・時代性が込められていて、それが観る側の感情・感興を奮い立たせ、作品の中に引き込みます・・・。ダ・ビンチの描いている精緻さは、単なる現実のある場面の正確描写ではなく、彼の思想・問いがそこに表わされたものといえばよいでしょうか。
 というようなことで、今日は、ああでもない、こうでもないと遊んでしまいました。
 
 全体は、
 1㌻ 下に掲載
 2㌻ 装丁見本 刊行案内 696㌻ 26,250円 
    内容紹介 第1部:手紙・契約書・日記・書類
         第2部:全絵画作品紹介
         第3部:素描・ドローイング・スケッチ
   著者紹介:フランク・ツォルナー 1956年生。1996年よりライプチヒ大学教授。 
        専門は中世・ルネサンス美術史。
        ほか略。
 3㌻ 本文見本 下に掲載
 4㌻ レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像 短評 
    発行元:タッシェン・ジャパン 1998年  
 
       1㌻


        3㌻


 それから、もう一つ。
【コレクション 203 レオナルド・ダ・ヴィンチ展】
 こちらは、六本木ヒルズでのレオナルド・ダ・ヴィンチ展の1枚もののチラシです。上のパンフと一緒に保存してありましたから、載せておきます。もう説明はいらないでしょう。
     
       表側


      裏側

 以上です。
 今日はここで。

    
      黄砂に霞む多摩川の春 (27日15時)
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No.444 教訓にはなるかな!

2025-03-28 00:52:06 | 雑評
(1)山林火災、現場はどうなっているのでしょうか。宮崎県は終息のようですが・・・。

(2)明日から雨が降るようですが、その雨は10mmとか30mmといっていて、どれほど効果があるのか心もとない。いまの時代に雨乞いは変ですが、しかし当事者の胸の内は雨頼みの心境なのではないか。まだ人工降雨という話は聞きませんが、なんとも歯がゆいかぎりです。

(3)先般の大船渡の山林火災以降だけでももう何日も火災のニュースを見ました。
 見ていて思ったのは、やはり子供の頃に出った火災のことです。これについてはちょっと前に書いたのでダブりますが、もう70年近くも前のことです。
 あの頃は、私が育った群馬県藤岡市には常備消防署がありませんでした。いまのような常備消防署ができたのは、小学校に上がってからの1~2年生の頃に、いま消防署がある宮本町に新設されと思いますから、昭和33~4(1958~9)年です。
 その以前のことはわかりませんが、私が記憶しているのは、祖母の実家の公民館に、江戸時代以来の喞筒〔ポンプ〕車がありました。これは、大八車の上に水桶とシーソー式の喞筒が載っているだけのものです。

(4)火事が発生したとわかると、誰かが火の見櫓に上がって半鐘を鳴らします。一方、消防団がポンプ車を引き出して消化に向かいます。しかし、シーソー式のポンプですから水圧が足りず、ホースを長くするには限界があります。水も、まだ水道はありませんでしたから、鶴瓶〔つるべ〕井戸からくみ出します。しかも、今のようなポリバケツはなく、金属製のバケツがあったと思いますが、まだ木の桶も現役でしたから、それで水送りをしたわけです。
 近くに農業用の用水路がありましたが、それができたのは、その火災より前だったか後だったか記憶がありません。

(5)オット脱線しかかりました。
 そういう遅れた状態でしたから、火災が発生して初期消火に失敗してしまえば、発生元はまずまあ全焼は免れません。ですから、火消しというものの、延焼を防ぎ、できる被害を限り小さくするというしかなかったのではないでしょうか。
 
(6)何が言いたいかというと、火災が発生すると、もちろん消化もしますが、それよりも延焼防止策を取り、同時に、周辺住民は避難してしまうのではなく、家財道具家から運び出して避難させ、藁屋根から吹きあがって落ちてくる飛び火を自力で防いだということです。
 小学校1~2年生だった私は、叔父や叔母が運び出して来る家財道具の間に濡れ雑巾を持って消したものです。

(7)あの火災のニュースを見ていると、火が近づくと、避難指示のアナウンスがあり、周辺の住民の皆さんは安全なところへ避難して〔させられて〕、あとは、「プロ」の消防署や消防団に任せろとなっているようです。しかし、その消防団員は、出来合いの地図で現場確認をして消火活動をしています。机上で消化を指揮しているようです。市の消防団員が恒常的に近隣の山を踏破しているならともかく、そういうことは聴いたことがありませんから、ほとんど現場を知らない。そういう人たちが、現場を一番よく知っている近隣住民を避難〔=排除〕させておいて机上で活動している。これでは実地・演習と変わらないのではないでしょうか。

(8)そうして避難解除になって戻ってみたら、我が家は丸焼けになっていた。家財道具など残せなかったとただ涙を流すだけ。いったい現場を一番よく知る人を排除しておいてよいのか。装備が向上して技術が備わってきて、それに過信していないか。もちろん人の犠牲は減るだろう。

(9)そもそも、地震・台風〔突風〕・火災など、なんでも行政のアナウンスで避難させるのでよいのか。
 ふだんは「自助」といいながら、危険が迫ったとだけ言って住民を避難させるのは、住民に被害が出た場合の行政責任の回避にすぎないのではないか。
 火災の時は、「自助」の本領を発揮させるときなのではないか。

   
    道に椿:かの花も 苦しきことのみ多かりき
       山本周五郎「五弁の椿」の主演女優、みな愛しい。


【コレクション 201 マルクス経済学レキシコン】
 きちんとしたことをやるには時間がかかります。
 学者も、当世は、何本論文を書いたかと点数計算されて、自分を失っている向きが多い。
 若い人でも、文科省の補助金をもらって、それに併せてせっせと論文を書いて出版しているのを見ます。
 じっくりとやらないでは、よいことにはならないでしょう。まあ、「点数を稼いで、就職先さえみつかれば安泰」という向きには言うことはありませんが、・・・。
 今も昔も、『資本論』わかんな~い!は正常。わかったふりとか、ましてや「間違っている」なんていうのを面白がって読むのは、怠惰の極み、何もわかっていないからです。

 このパンフは、A5判12㌻、A4判の用紙3枚を重ねて二つ折りしてできています。
 下には、1・2・10・12㌻を載せました。
 全体は
 1㌻ 下に掲載 
 2㌻ 下に掲載 
 3~7㌻ 各巻の内容紹介
 8~10㌻ 解題 大谷禎之助 『マルクス経済学レキシコン』と久留間先生
 10㌻ 久留間鮫造 下に掲載
 11㌻ 本文組み見本
 12㌻ 刊行案内 A5判 6万8千円 1995年 大月書店

  12㌻                  1㌻


           2㌻


        10㌻

 以上です。
 今日はここで。

   
    〽庭のサンシュウの~ :はじめて見ました。
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