(1)山林火災、現場はどうなっているのでしょうか。宮崎県は終息のようですが・・・。
(2)明日から雨が降るようですが、その雨は10mmとか30mmといっていて、どれほど効果があるのか心もとない。いまの時代に雨乞いは変ですが、しかし当事者の胸の内は雨頼みの心境なのではないか。まだ人工降雨という話は聞きませんが、なんとも歯がゆいかぎりです。
(3)先般の大船渡の山林火災以降だけでももう何日も火災のニュースを見ました。
見ていて思ったのは、やはり子供の頃に出った火災のことです。これについてはちょっと前に書いたのでダブりますが、もう70年近くも前のことです。
あの頃は、私が育った群馬県藤岡市には常備消防署がありませんでした。いまのような常備消防署ができたのは、小学校に上がってからの1~2年生の頃に、いま消防署がある宮本町に新設されと思いますから、昭和33~4(1958~9)年です。
その以前のことはわかりませんが、私が記憶しているのは、祖母の実家の公民館に、江戸時代以来の喞筒〔ポンプ〕車がありました。これは、大八車の上に水桶とシーソー式の喞筒が載っているだけのものです。
(4)火事が発生したとわかると、誰かが火の見櫓に上がって半鐘を鳴らします。一方、消防団がポンプ車を引き出して消化に向かいます。しかし、シーソー式のポンプですから水圧が足りず、ホースを長くするには限界があります。水も、まだ水道はありませんでしたから、鶴瓶〔つるべ〕井戸からくみ出します。しかも、今のようなポリバケツはなく、金属製のバケツがあったと思いますが、まだ木の桶も現役でしたから、それで水送りをしたわけです。
近くに農業用の用水路がありましたが、それができたのは、その火災より前だったか後だったか記憶がありません。
(5)オット脱線しかかりました。
そういう遅れた状態でしたから、火災が発生して初期消火に失敗してしまえば、発生元はまずまあ全焼は免れません。ですから、火消しというものの、延焼を防ぎ、できる被害を限り小さくするというしかなかったのではないでしょうか。
(6)何が言いたいかというと、火災が発生すると、もちろん消化もしますが、それよりも延焼防止策を取り、同時に、周辺住民は避難してしまうのではなく、家財道具家から運び出して避難させ、藁屋根から吹きあがって落ちてくる飛び火を自力で防いだということです。
小学校1~2年生だった私は、叔父や叔母が運び出して来る家財道具の間に濡れ雑巾を持って消したものです。
(7)あの火災のニュースを見ていると、火が近づくと、避難指示のアナウンスがあり、周辺の住民の皆さんは安全なところへ避難して〔させられて〕、あとは、「プロ」の消防署や消防団に任せろとなっているようです。しかし、その消防団員は、出来合いの地図で現場確認をして消火活動をしています。机上で消化を指揮しているようです。市の消防団員が恒常的に近隣の山を踏破しているならともかく、そういうことは聴いたことがありませんから、ほとんど現場を知らない。そういう人たちが、現場を一番よく知っている近隣住民を避難〔=排除〕させておいて机上で活動している。これでは実地・演習と変わらないのではないでしょうか。
(8)そうして避難解除になって戻ってみたら、我が家は丸焼けになっていた。家財道具など残せなかったとただ涙を流すだけ。いったい現場を一番よく知る人を排除しておいてよいのか。装備が向上して技術が備わってきて、それに過信していないか。もちろん人の犠牲は減るだろう。
(9)そもそも、地震・台風〔突風〕・火災など、なんでも行政のアナウンスで避難させるのでよいのか。
ふだんは「自助」といいながら、危険が迫ったとだけ言って住民を避難させるのは、住民に被害が出た場合の行政責任の回避にすぎないのではないか。
火災の時は、「自助」の本領を発揮させるときなのではないか。

道に椿:かの花も 苦しきことのみ多かりき
山本周五郎「五弁の椿」の主演女優、みな愛しい。
【コレクション 201 マルクス経済学レキシコン】
きちんとしたことをやるには時間がかかります。
学者も、当世は、何本論文を書いたかと点数計算されて、自分を失っている向きが多い。
若い人でも、文科省の補助金をもらって、それに併せてせっせと論文を書いて出版しているのを見ます。
じっくりとやらないでは、よいことにはならないでしょう。まあ、「点数を稼いで、就職先さえみつかれば安泰」という向きには言うことはありませんが、・・・。
今も昔も、『資本論』わかんな~い!は正常。わかったふりとか、ましてや「間違っている」なんていうのを面白がって読むのは、怠惰の極み、何もわかっていないからです。
このパンフは、A5判12㌻、A4判の用紙3枚を重ねて二つ折りしてできています。
下には、1・2・10・12㌻を載せました。
全体は
1㌻ 下に掲載
2㌻ 下に掲載
3~7㌻ 各巻の内容紹介
8~10㌻ 解題 大谷禎之助 『マルクス経済学レキシコン』と久留間先生
10㌻ 久留間鮫造 下に掲載
11㌻ 本文組み見本
12㌻ 刊行案内 A5判 6万8千円 1995年 大月書店
12㌻ 1㌻

2㌻

10㌻

以上です。
今日はここで。

〽庭のサンシュウの~ :はじめて見ました。
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