神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.151 傷ついた犬の目は 3  

2024-04-25 21:21:03 | 新聞記事

    狭山湖:25日

(1)No.149で取り上げた河村たかし名古屋市長の発言に対して撤回を求める署名運動が始まりました。当然と思います。

 河村氏の発言内容のヒドサは、No.150で取り上げた柳沢協二氏へのインタビューの内容と比べるとよくわかります。なんと言い訳しようと、戦争を煽っていますし、英霊思想を言っています。

 河村氏は、市長の立場にありながら、おそらく憲法の平和原則などの精神を理解していないでしょう。だから、大事な式典のあいさつなのに、先入観として持っている考えなしの持論をしゃべって批判を受けることになるのだと思います。
 そういう市長の音頭で「サンキューベリーマッチ」とか「高度な道徳的行為」と言われても、駆り出されて死地に追いやられた「戦没者」は浮かばれないのでないでしょうか。

   
    〽ことしのぼたんはよいぼたん

(2)ところで、No.150で触れませんでしたが、柳沢さんは、憲法13条の「個人の尊厳」のことをいっていました。大事なことなので、そこをとりあげましょう。
 まず、柳沢さんが、「そこ〔英霊の思想〕には、他者の人生を自分の道具として考える政治指導者のおごりがあります」とプーチン大統領の発言などを批判します。
 すると、それを受けて記者が、「権力者に道具として利用されず、犠牲の問題を冷静に考えていくためには、何を大事にしいけばよいのでしょう。」と問い返しました。
 これを受けて、つぎのように言います。 
 「自分の人生の目的を他者に強制されることなく自分で決めることが、ひとがひととして生きる原点だと確認すべきです」
 「日本国憲法では、個人の尊厳や幸福追求権を定めた第13条などにその精神が刻まれています。」
 「そうした価値に対する畏怖の念を持つことこそが政治の原点だと考えるべきでしょう。」
 
(3)こうしてみると、柳沢氏と河村市長との違いが明瞭です。いちばんの違いは何でしょうか。それは、憲法遵守の姿勢の有無です。憲法尊重の姿勢のありなしは、憲法に依拠して国民の権利を説き、その実現をいうところによく現われてきます。
 プーチン氏と河村市長を同列に言うつもりはありませんが、それでも共通しているところがあると私は思います。それはどこかというと、出発点が、「法」とか「国民の権利」ではなく、「国」や「自分」にあって、「国のため」とか「自分の考え」で政治をおこなっていることがわかるところです。
 政治家が、「法」とか「国民の権利」とかを言う前に「国」や「自分の考え」を言うのは「独裁の思想」です。そういう習癖や思想を持つ人は政治家に最も不向きです。
 河村さんには発言を撤回するとか見直してほしいと思います。
 言うまでもなく、プーチン氏はすでに犯罪者として裁かれるべきと思います。

   
    

(4)みなさんは、あの「大東亜戦争」といって遂行された戦争はいつ終わったと思ってますか。
 もちろん、戦闘は終わりましたし、一応の取り決めはできています。
 でもそれは、領土問題ひとつとっても、不当な取り決めで、北方領土は4島になっているだけですし、基地問題なども、日本が平和国家になる道を決めておきながら、むしろ邪魔してきました。
 それどころか、まだ不発弾の発見が続くなど、終戦処理費はかかり続けています。直接の戦費はもうありませんが、間接の戦費はこの先まだいくらかかるかわかりません。わからないから、帳簿を閉じられません。つまり、永久に終わりません。
 さらに、戦争で受けた軍人の戦傷・非戦闘員の被害(空襲・原爆など)は生きている限り続きますし、戦没者の遺骨収集でさえ終わっていません。
 これでわかるように、戦争には、始まりはあっても、たいがい終わりはありません。終わりは、政治決着というだけです。たいがい、ウヤムヤのうちに終わり・・・です。
 
 ずいぶん硬いなりましたが、目をそらさないようにしましょう。
 死者が身をもって警告しているのです。

   
コメント
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