石火矢町(いしびやちょう)ふるさと村 武家屋敷
現在の石火矢町は江戸時代の初期、備中松山藩初代藩主池田長幸の時代の城下町拡張に伴って家臣の屋敷地として整備されたのが始まりとされる。
江戸時代には上ノ中丁と呼ばれ、中級武士の屋敷が建ち並んでいた。この一角には武家屋敷旧折井家・旧埴原(はいばら)家が公開されており、武家の住まいを詳細に再現しているほか、資料館ではゆかりの武具などを展示しています。
石火矢町さと村は、岡山県下7か所の「ふるさと村」の一つで、昭和49年12月に指定されました。この「ふるさと村」は、通りの両側に土塀が続き、明治維新以後120 年以上になる現在も、武家屋敷としての面影を深くとどめ
る石火矢町と、紺屋川(こうやがわ)(伊賀谷川(いがだにがわ))に沿って桜と柳の美しい並木が続き、高梁キリスト教会や藩校有終館(ゆうしゅうかん)跡などのある紺屋川美観地区の2つの地域で構成されています。
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