市ヶ谷日記

喜寿を超えた老人です。日々感じたことを、過去のことも含めて、書き記しておこうと思います。

日本は外国人に門戸を開くべきでない。難民受入れはヨーロッパよりも深刻な事態を引き起こす

2015-10-03 | 独吟
 ヨーロッパは今、中東や北アフリカからの難民で大きく揺れている。今年に入りEUに到着した難民は50万人を超え、更なる増加が見込まれている。
 難民を送り出すシリア、エリトリア、ナイジェリアなどの国々は、民族対立や内戦で治安が悪く、経済が疲弊している。一方、ヨーロッパにおける生活の豊かさについては、先にドイツやフランスなどへの移住に成功した一族や知合いから多くの情報が伝えられて来る。
 これらの国々の人たちにとって、ヨーロッパはまさに天国であり、命を懸けても移住するに値する場所なのである。国家という存在に信頼を置き、自国を最もよしとする日本人には、とうてい理解できない心情である。
 メルケル独首相がウェルカムのサインを出したことから、多くの難民が経済大国ドイツを目指している。今年中にその数は100万人に達すると言われている。ただし、ドイツ連邦政府の現地担当者による推測では、ドイツに到着した難民のうち半分近くがコソボやアルバニアなどのバルカン諸国から来た人たちであり、いわゆる「難民」ではない。また、シリア出身と自称する人たちであっても、その3割は別の国から来た人たちであると言われている。彼らは、紛争や戦争によって生命の危険にさらされている「難民」ではなく、救済の対象にならないいわゆる「経済難民」である。
 一般に、難民は、経済難民はなおさらであるが、出身国において食い逸れた人たちである。受入れ国にとっては、生活支援、職業教育、子供の保育などの分野で財政負担を強いられる要因となる。そして、文化の違いによる住民間の軋轢も覚悟しなければならない。そうしたことから難民受入れに寛容であったドイツにおいても、難民が増えるに従い、メルケル首相に対する国民の風当たりが険しくなっている。
 EU加盟国間においても、難民の受入れを巡って反対を表明する国があり、意見の対立が続いている。内相会議や首脳会議を数次にわたり開催したが、有効な解決策を決定するに至っていない。
 ひるがえって日本はどうか。これまで日本政府は難民を含め外国人の受入れに極めて慎重であった。日本政府のこうした頑なな態度については、いろいろな方面から修正が求められている。
 我が国はかつて、インドシナ難民、中国残留孤児、南米移民の日系二世などに対して、例外的に在留資格を付与したことがある。このうち中国残留孤児は、当時の国際情勢等に翻弄され、不幸な人生を余儀なくされた人たちであり、日本国民の負担で日本における生活を保障すべきであり、この措置を講じたことは正しい選択であった。
 しかし、無原則に全ての外国人に日本への流入を許すのは、極めて危険である。ヨーロッパは陸続きであるが、日本は島国であり、異文化の侵略に非常に弱い。外国人に対する門戸開放は、日本社会、日本経済にヨーロッパ以上の甚大な影響をもたらし、深刻な事態を招くことが予想される。
 政治家や経済人の一部は、高度な知識や技術を持つ有能な外国人を迎え入れ、日本経済の発展に貢献してもらう、とプラスの面を強調するが、有能な人たちとともに日本社会のニューサンスになる人たちも必ず入って来る。そして何よりも、個々具体のケースにおいて、日本政府が甘い対応をすることが心配である。
 例えば、親が不法行為をし、国外退去処分となったような場合、その子供について、日本社会に慣れ親しんでいるとか、日本語しかしゃべれないとかといった理由で、日本残留を許すことがあってはならない。
 また、シンガポールやスイスのように、独身の外国人女性が妊娠した場合、問答無用で国外退去を命じるといった冷たい対応を実行できるか否かも、重要な判断材料である。確かに、育児をしながら日本で生活する能力を有する外国人女性もいるであろうが、大部分の女性は保育を含め我が国の社会福祉事業をあてにすることになる。
 我が国は、周辺諸国の人たちから見れば、天国である。自国でお金をいくら積み上げても受けられない高度医療を安価にそして時には無料で施してもらえる。住むところがなければほとんど無料とも言える家賃で公営住宅に入居できる。働き口がなければ生活保護制度により最低賃金を上回る生活費を支給してもらえる。その上、日本人は外国人に概ね親切である。
 世界第2位の経済大国、中国の人たちにとっても、日本が天国であることに変わりがない。中国13億の人たちの一部が日本に移住して来ても、我が国の国状はコペルニクス的変化を遂げる。中国から日本への移住が自由になれば、中国の生活水準が上昇し、日本の水準が低下して両国の生活水準が同一レベルになるまで、中国人の流入が続くであろう。チベットやウィグル自治区への漢族系中国人の進出、東南アジア諸国における中国資本のアグレッシブな活躍、東京銀座を闊歩する中国人旅行者の振る舞い等を見るにつけ、空恐ろしい感じがする。
 外国人にとっては、我が国の生活保護制度も魅力である。外国人に対する生活保護の適用については、最高裁判所が「外国人は生活保護法の対象ではなく、受給権もない」と判断した(平成26年7月18日)にもかかわらず、「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」(昭和29年5月4日厚生省(当時)社会局長通知)及び同省社会局保護課企画法令係長の「対象者を永住者、日本人の配偶者等、永住者の配偶者等、定住者、特別永住者、認定難民に限定する」という口頭指示(平成2年10月25日)がいまだに活きており、日本国民に準じた取扱いがなされている。
 我が国の生活保護制度は、「保護を受けることは恥である」と観念する人たちを前提に、仕組みが作られ、運用がなされている。この点、保護を受けることに負い目を感じない外国人は、経済的合理性から、日本人とは異なる選択をする。職に就いて収入を得れば、生活保護制度で保障される収入も、生涯安心して住める住宅も、その他の地方税、国民年金保険料、医療費、がん検診等検診費用、インフルエンザ予防注射代金、介護保険施設利用料、水道料金、有料ゴミ収集代金、バス料金、給食費、高校授業料、NHK受信料、JR運賃等々の減免措置を受ける特権も失うことになるのであるから、働かない方を選ぶのが当然である。実際、外国籍の住民が多い市町村では、生活保護家庭の比率が高く、市町村財政を圧迫している。
 それ故、外国人に門戸を開く場合には、「生活保護の対象を日本国籍を有する者に限る」ことが絶対の条件である。この改正は、我が国が既に批准した国際規約や条約との厳しい調整が必要であるが、日本国憲法の改正あるいはその解釈の変更は勿論のこと、法律や政令の改正をすることなく実行可能である。
 ドイツの現実が教えるように、豊かな国が門戸を開放すれば、貧しい国から大勢の人々がやって来る。我が国の周辺には、一人当たり所得が日本の数分の一しかない国々が存在し、しかもそうした国々の人口は合わせて日本の十数倍である。人道主義、博愛主義の立場から外国人に対する門戸開放を唱える人たちは、こうした状況をどう考えているのであろうか。そして、こうした無責任な人たちの意見を無批判に受け入れる国民は、自分の事、自分の子孫の事を真剣に考えているのであろうか。
 現実は冷酷である。善人ぶっていては、我々日本国民が営々として築き上げて来た生活の質が劣化してしまう。日本をリードする政治家、官僚、学者、有識者等々は、偽善者の装いを脱ぎ捨て勇気を出して、我が国の進むべき正しい方向を国民に示すべきである。新聞、テレビ等のマスメディアも、一般国民が正しい判断ができるよう、現実に即した真実を伝えるよう努力すべきである。それにしても、日頃から将来のことを心配し、貯蓄や保険に異常な熱意を示す日本人が、外国人の受入れについて能天気であるのは、何とも不思議な気がしてならない。


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