市ヶ谷日記

喜寿を超えた老人です。日々感じたことを、過去のことも含めて、書き記しておこうと思います。

策士「小池」、策を誤る。選挙の後は、自民改革の勢力として、希望の党に期待

2017-10-15 | 独吟

 衆院選が終盤を迎えるなか、小池氏率いる希望の党の形勢がおかしくなってきた。

 都議会選挙で都民ファーストを大勝に導き、衆議院選挙で希望の党を起ち上げるまでの間、小池氏の勢いは向かうところ敵なしであった。しかし、ここにきてテレビ、新聞、週刊誌などにみられる彼女の評判がすこぶる悪くなってきた。

 小池氏、そして希望の党の退潮は、小池氏自身が衆院選に打って出なかったことが大きな理由である。希望の党のほとんどの候補者にとって、代表を欠く選挙では政策を訴えるのに相当の努力が必要であるし、また、投票する側から見ても希望の党に期待するイメージがなかなか湧いて来ない。

 こうした兆候を嗅ぎ取ったメディアは、小池氏の「排除の論理」や「外国人参政権」などを槍玉にあげ、束になって希望の党を攻撃し始めた。小池氏は都政を投げうってでも、衆院選挙に出馬すべきであったのである。その方が傷は浅く、選挙戦におけるダメージは少なかったと推測する。

 筆者は都民の一人であるが、小池氏が知事を辞め、国の総理大臣になるのに何の抵抗も感じない。おそらく東京都民の大部分がそうした感覚であったはずである。

 ただ、希望の党を巡るこのような波乱は衆院選の帰趨にそれほど大きな影響を及ぼすことはない。おそらく希望の党に向いていた票が自民、立憲、維新等に分散し、前回の衆院選で議席を失った自民候補の復活に多少は寄与すると思われるだけである。

 希望の党は、衆院選挙の後、立憲民主党との間に一線を画し、独自の路線を歩むべきである。安倍政権に反対するあまり野党色を強めれば、立憲民主党グループに埋没しかねない。

 小池「希望の党」は、あくまでも「自民の補完勢力」として自民党のリベラル的・ポピュリズム的要素を削ぎ落す方向に進むべきである。そうでなくては、小池氏が希望の党を起ち上げた意味も、「排除の論理」等で民進党リベラル派を追放した意味も、なくなってしまうからである。