素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

別に三原先生をdisってるわけじゃないですよ。(台詞読んで出てきた感想だからね)

2015年02月25日 20時04分12秒 | 日記
今日の産経新聞の文化の紙面で「生活保護を考える」という記事がありました。
内容は、生活保護を扱った漫画を紹介して、その作品で描かれる物語から、生活保護とはどういうものなのかを考えて行こうというもの。

紹介されてたのは、柏木ハルコ先生の「健康で文化的な最低限度の生活」と三原順先生の「はみだしっ子」

柏木先生の作品は、生活保護担当に配属された公務員が主人公の話で。
様々な要因(薬物、精神病、夫のDV、その他)で生活保護受給にまで転落してしまった人たち相手に仕事するというものみたいなんですが。
その中でちょっと興味を持ったのは「これ以上世間様に迷惑をかけられません。死にます」と役所に電話して、実際に翌日自殺してしまった人の話で。
まさか死ぬと思ってなかったからか、主人公はショックを受けるんですけど。
先輩が「気にするな。この仕事、真剣にやってたら身が持たない」「ま、ここだけの話、1ケース減って良かったじゃん」

だけど、部屋の片づけをするために、その人の部屋に行って、その人がどれだけ生きるための努力をしていたかに気づいてですね

生活保護は国民の血税で賄われているけど、死んで良かった、なんて言ったらダメだ、と思うという。

なかなか読み応えありそうだな、と思いました。

で、三原先生の方は、とある台詞が紹介されてました。

「例えば、橋の下で眠ったら処罰するという法律があるとして。橋の下で眠れば誰でも処罰するとしたらこれは平等な法律だろうか?」

平等でしょ。

「じゃあ、こう聞いたら?実際に橋の下で眠らなければならないのはとても貧しい人たちで、こんな法律は、そんな貧しい人たちをいじめるのに役立つだけなんだ、と。さっきのようにすぐ、平等だと応えられるかい?」

平等でしょ(即答)

平等ってのは、適用される可能性あるのが社会の構成員全員、そしてそれを破れば誰でも同じ結果になるという事実だけで十分で、実際に適用されるケースは弱者がほとんど、なんてのは平等でない理由にはならない。

何のためにその法律が定められたのかと、その法律を定めるにあたり、起きる不都合に対して、何らかのセーフティネットが用意されているか?は気になるところですけど。
例えば上記橋の下睡眠処罰法の場合は、そのセーフティネットとして宿無しの人が無料で宿泊できるような、WIZでいうところの簡易寝台みたいな公営宿泊施設を用意しておくとか。
「貧しいひとたち」「弱者」って言葉で思考停止しちゃいけませんわ。

私は法律ってのは、人間がこの世になんとか理想世界を作るために、必死で知恵を絞って考えた決まりだと思ってますからね。
だからまぁ、法律は守らないといけないし、法律を貶めるようなことも言っちゃイカン。

無論、納得いかない法律に関しては、積極的に「納得いかない」と声をあげていくべきだとは思いますけど。
それで多数の賛同者がつくなら、きっとその法律は改正されるでしょう。
そうならないなら、多分納得いかないキミの方がおかしいんだと思いますよ。
少なくとも、その社会では。

上記台詞、実際の三原先生の作品を読んで無いので、どういう経緯で出てきたのか分からないですが。
(だから三原先生の作品自体をクサす気持ちは全く無いです)
もし、法律を軽視して「弱者を虐げるような悪法は守らなくていい」なんて結論に導くために出てきた言葉だったら。

非常に不愉快ですね。
左巻きにそういう論法で自分の違法行為を正当化する手合い多いからなぁ。
(多分違うと思いたいけど)