道に迷ったらそこでそのままオバサンになる。
でも相変わらず白いうさぎを追いかける。
萩尾望都さんの1975年のマンガ『11人いる!』
大好きな作品だった。
しかし続編の『続・11人いる!東の地平西の永遠』というのはそれほどではない。
なぜかというと、ラストの爽快感が違うからだ。
爽快感というか、開放感というか、それとも親未来感だろうか。
(親未来なんて言葉あるかな)
長い間、このラストシーンの気分はどこかで味わっていると感じていた。
何年か前になって、それはやっとピンと来た。
それは1959年公開の白黒のハリウッド映画『十二人の怒れる男』だったのだ。
考えてみたら、二つの作品はまったく違うのに共通点が多い。
まず、密室で物語が運ばれる。
登場人物も初めから終わりまで同じである。
そして多数決。
『十二人の怒れる男』
陪審員に選ばれた12人の男達。年代も境遇も思想も違う。
被告の少年は父親殺しで裁かれている。
状況から見て、最初はまず間違いなく少年は有罪と思われる。
しかし、一人が、もう少し吟味してもいいのではないか、と言い出す。
そこから、次第に様々な疑問点や矛盾が浮かび上がってくる。
でも陪審員同士は決して和気藹々ではないし、裁判の結果に無関心で大勢に流されちゃうような人もいる。
そんな流れの中で、あるきっかけから、思いがけない方向に審理が進む。
陪審員達は、お互いに名前も住所も知らない。
知る必要がないし、個人的につながりがあってはならない。
しかし全てが終わり、それぞれが裁判所を出て行く時、
一人の老人がある人物に、自分の名前を名乗る。
もちろん、それっきりもう会うこともないはずなのに。
そうせずにはいられないからだ。
自分はやり遂げた、または誰かがやり遂げるのに力を貸せた、
その高揚した気持ちに感動した。
分かれて四方八方に散っていく登場人物たちが潔くて、
アメリカってこんな率直なところがあるんだな、それ結構いいな、と思った。
『11人いる!』
SFタッチのお話だ。
宇宙大学への入試は、一つの宇宙船に10人の受験者を乗せて、
目的地に向かって何日共同生活ができるか、という課題である。
この受験生達もまた、様々な星の様々な境遇である。
試験が開始してすぐ、10人でなく11人いることが発覚する。
その時点で試験を放棄するか否か、結局続行することになるが
受験生達の間には疑心暗鬼とライバル意識が生まれてきて
段々ギクシャクした雰囲気になる。
実は仕組まれた謎があるのだが、その謎が明らかになるのは、
多数決で試験のギブアップが決まった時だった。
すべてが明らかになった後、分かれてそれぞれの星へ帰っていく受験生達。
その未来はたくさんの方向があり、たくさんの可能性に満ちている。
その開放感!私はラストシーンに恍惚となるほどだった。
どっちを先に見たのか覚えていないけど、
この二つのラストシーンの素晴らしさは、忘れられない。
若者にも中年にも老人にも「未来へ」はある。