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移転しました(2014/1/1)

平清盛 #50(最終話) (2)

2012-12-31 | ヒストリ:平清盛

続き。(間に合った…!)
 
●源義経の死
最後に纏められていた義経の話。
義経が京都で任官し兄頼朝との不和が生じた所から始まりました。
そこから有名な「腰越状」、そして平泉へと流石に急ピッチで話が進んでいましたが、あの流れだと頼朝が悪人のようではないかorz
兄頼朝の政治スタンスを理解していなかったために義経は平泉で死ぬ羽目になったと思うんだよね。
だから兄に幾ら一族兄弟だからと情に訴えてもなあ。
兄弟(だから自分は特別)でしょ?と情に訴えるほど立場が悪くなる^^;

屋島・壇ノ浦の両戦は義経が迅速に終結させました。
戦争が早く終わるのはいいことなのだけれど、それ故に東国武士の活躍の場を奪ってしまっている。
屋島の戦いの方は義経は東国武士たちを置いてけぼりで出陣し、彼らが屋島に到着した頃には戦は終わってた…
壇ノ浦ではほぼ陸地で見てるだけ。
…あー…
軍功を立てないと恩賞が貰えないんだよねー^^;
そりゃ東国武士団は不満だわ。
東国から大事な所領(一所懸命)から離れて来たくもなかった西国くんだりまでわざわざ出てきたっちゅうのに、やったことと言えばほぼ見てただけ。

頼朝は戦に敗れ13歳で伊豆に流されたため、独自の所領もなければそこを本拠とする武士団も持っていない。
東国武士と頼朝の関係は忠義忠誠とかではなくて、簡単に言うと契約です。
だから利害関係をきちっと押さえていないとまずいという点がある。利益がなかったら彼らは離れていってしまう。
頼朝は平氏討伐が長期戦になる事を覚悟していたようなんですね、東国武士に与える恩賞のために。
というか、ある程度長期化して欲しかったんだと思う。
それに時間をかけてでも3種の神器を取り戻し、安徳天皇や二位尼(時子)を生還さたいというのがあった。
これはその後の後白河との交渉のカードとして使うつもりだったんだと思う。
 
それなのにああ義経がそれなのに!さっさと平氏を滅亡させてしまったー!^^;
3種の神器のうち草薙剣が紛失した挙句、安徳天皇入水。
平氏は滅亡したけれど目的は達成されないまま終わってしまった。

ちょっと…義経さん空気読めなさすぎ…
頼朝困惑。東国武士からはブーイング。
平家物語では梶原景時が頼朝に義経は勝手過ぎる(自専)と”讒言”をする訳ですが、別に景時が義経を怨んでとかそういうことではなくてだなー。
そういうことを言われるのにはそれなりに理由があって、景時は東国武士のブーイングを代表しただけだろう。

そして戦後、義経は京都で後白河の引きによりそれまで平氏が独占していた御厩司に補任されます(平たく言うと親衛隊の隊長)。
(※義経は一の谷合戦の後に検非違使・左衛門尉になっており、更に壇ノ浦後には頼朝の推挙で伊予守にもなっている)
その上生き延びて捕虜になった平時忠の娘と結婚して。

……。
…………。
あれ、これ大丈夫…?
義経さん、立場が平氏の後釜みたいになっていらっしゃるのだけど…
後白河は後白河で独自の武力を持っていないので義経を手放したくないという思惑もあったと思います(義経以前は平氏が後白河の中心的武力)。
だから頼朝が義経を伊予守に推挙して京から引き離したいと思っても上手くいかないし、その上義経も頼朝が冷淡になって来たのが分かるので動きたくない。

しかもこの御厩司、職務の関係から平泉、奥州藤原氏とも関わりがあったそうで。
義経は青年期を平泉で過ごしていて、平泉とは深い関わりがあります。
平氏が斃れた今、頼朝にとっての最大の懸念は奥州藤原氏であるというのに……
まかり間違えば鎌倉は北方の藤原氏と西の義経に挟まれてしまう訳で。
これでは状況的に鎌倉に対する背信を疑われても仕方ないと思う。


それともうひとつ。
源氏の歴史は身内同志の殺し合いの歴史だという事は今まで何度か書いてきましたが、本当にそうなんですよね。
源義家の時代のすぐ後では、義家が次期棟梁としていた息子が殺害されています。
次弟とその一族がその嫌疑を受けて最終的に義家の孫為義に討伐され、一族滅亡状態。
ただこれは冤罪で、首謀者は次々弟義光でした。謀略で嵌めた。
要するに棟梁の座争いで、ライバルと成り得る人間を義光が次々と消していった。

義光は甲斐武田氏の祖で武田信玄の出自を触れる際によく名前を聞く人物ですが、源氏が凋落した理由はこの人が始めた同族争いにあります。
頼義・義家父子やその先祖が築いた名誉を失墜させ、財産をすべて潰した。
ドラマでも為義の頃の落ちぶれ方は凄かったけれど、あれは一族間の棟梁の座を巡る争いが原因でした。
為義・義朝の代にしても保元の乱で一族が分裂、辛うじて義朝が残ったものの平治の乱でどうなったかはご存じの通り。

一族分裂が導く事態。
頼朝はその辺りのことをずっと考えていたと思うんだよね。
東国で鎌倉殿の位置を築いても、兄弟や一族の人間が力をつけてきたらそれを脅かさないとも限らない。
可能性のある芽を予め摘んでおくという意味もあったと思うし、頼朝の近親者の話をすれば嫡庶の別をリストリクトにした方がいいと考えていたんではないかなー。
現に頼朝はライバルになりかねない兄弟を手にかけているし。
また富士川で主力で戦った源氏の有力一族武田信義もいいがかりで殺されているし、他にも殺された一族がいます。
ただ、平氏討伐後間もない段階で同族を潰していく頼朝に「おかしい」と声を上げている人がいて、しかし頼朝はそれに怒るどころか褒めているそうで。
非情だとか冷酷だとか、そういう謗りを受けることを分かっていてやっている節がある。

一方の義経は頼朝が神経を擦り減らしている東国武士との和も計らない。
その上京都では後白河の軍事勢力になりかけてたし(本人がどう意識していたかは別として)、その上平氏の(以下ry)、奥州藤原氏と(以下ry)。
だから
「平氏滅ぼしたら兄ちゃんに褒めてもらえると思ったのに。検非違使・左衛門尉になったのだって一族の誉れでしょ?(※そんな事ない)」(腰越状)
と兄弟の情に訴えた所で、そもそも弁明の方向性が間違ってる。
東国武士と不和とか後鳥羽院がとか平氏の後釜とか奥州藤原氏がと気をもんでいる時にこんな事を言ってこられてもなあ。

 (もっと他に言わなきゃいけないことあるでしょー!)

あーなんてーか…
頼朝が非道とか冷酷とか、そういう事じゃなくてさー
義経が空気読めなさすぎたんだよきっと…

上記したように頼朝には頼るべき独自の武士団がなかったので、富士川の戦いで義経が駆け付けた時は嬉しかったと思うんだよね。
それに婚姻関係を見ているとうまくやればそれなりに重用された可能性もあるんじゃないかなあ(義経の正室は頼朝の乳母の孫。範頼と頼朝嫡子頼家の妻も同様)。
歴史にイフは禁物だけど。

で、義経は行き場を無くして平泉を頼り、後の結果は周知の通り。
この辺りの話は今まで何度か触れているのでいいですか。



この1年、続けてドラマを見るというのが苦手な私にとっては大変な長丁場でございました…
なんだかんだ言いつつ見続けて、見逃しは2・3回だけかな?
始まる前~第1部の半ば辺りまではかなり斜に構えていましたが、2部は大変私好みでした。
元々「やあやあ我こそは」的な合戦が大好きな所から歴史に入ったので、大鎧が画面を行き来するのを見るのだけでも大興奮。わはは。
源義朝と藤原頼長、崇徳天皇がもの凄く印象に残ったわー。
玉木宏、あのノリで木曽義仲してくれんかな…
3部はちょっとバタバタしていて中々落ち着いて見られない回が多かったのだけれど、まー何と言うか。
安定してしまうと政治の話が中心になってきてしまうので、目を引くような動きが乏しく、ダイナミックな見せ場が少なくなっていくというのは中々辛い所だったかと思います。
しかも最後の結末は滅亡やしなぁ…く、暗い…^^;

私個人の感想としては、歴史ドラマとしてはかなり面白い部類に入るドラマだったと思います。
しかも割と丁寧に史料・資料を拾い上げて違和感なくドラマの中に織り込んでいて、うまくエピソードを入れてくるなと感じる所も多かったです。
ただ、清盛が目指していた”武士の世”とか国作りはどういったものかとか、清盛が為した事の日本史的な意義とか、そうした事がドラマの中で語られることは結局なかったように思います。
後白河や貴族との確執とか、そういう事の他に、もっと大きな所からの視点があれば良かったのに。

ドラマの中で散々言われてきた「武士の世」っちゅうのがなあ。
もっとはっきり清盛の言葉として内容を語らせた方が良かったのではないかなーと思います。
キモになる言葉なのに分かりにくいことこの上なかった。一体何をどうしたいのか。
 
で、初っ端から視聴率が悪いと叩かれ続けた番組でもありましたが、私はとても面白かったと思います。
低視聴率だからと言って内容がクズだった訳ではない。
メディアでは「馴染みがない時代だから」とか、「大河に清盛なんて悪役・アンチヒーローw」みたいな感じで批判され続けていましたが、その言葉を聞く度にだなー、こう…怒りがだな…フツフツと…

悪役とかアンチヒーローとか言っていた人はどれほどを知った上でそう言っていたのだろう。
殆どが”悲劇の英雄義経”というかなり一方的なフィルターを通してではないかな…
それに清く強く正しい人間じゃないと主人公になる資格はないってかー
悪役のイメージの強い人物はドラマの主人公になる資格もないってか。じゃあ日野富子はどうなんだ。
清く強く正しい権力者が一体どれほどいると思ってるのか聞いてみたいわ。きれいごとばかり。

それに「時代に馴染みがない」と言いつつ同時代の義経が主役なら絶対にそんなこと言われないと思うと更に腹が立つんだよね。
(義経は大して好きでないから余計に腹立つ…)
確かに人間関係のややこしさはあるし、知らなければ理解しづらい面白さはあったと思う。
その辺りは番組と同時にツイートじゃなくて、番組内でフォローすべきだったんじゃない?
どれだけの人間が番組見ながらツイッターしてると思ってるんだ…
 
馴染みがない時代だからという理由で他の時代を忌避して幕末と戦国をループで回しているというのなら酷い話だと思う。
視聴率が低くなりそうというのが大きいのだろうけどなあ…
馴染みがないからこそ普及に努めるのが公共放送だろう。
それができないというのは、その力量がないと自ら告白しているのと同じだろう。

来年もどうせ福島の話をするなら私は新島八重じゃなくて保科正之でして欲しかった。
スタート時は幕末で視聴率取れそうだし、女性史で明るくしやすそうだからというのもあるのだろうけど。
来年のを楽しみにしている方には申し訳ない言い草ですが、被災地を元気づけるという意味でも、色々な意味でも保科正之の方が相応しかったんじゃないか…(まだ言う)
どーせ視聴率の為に戦国時代するんでしょ?だったらそれでよかったじゃん(投げやり)

来年はそうだなー多分見ないかそんなに見ないだろうなー^^;
明治の風俗には心惹かれるんだけど、女性史に興味ないのよ私…

こんな感じで間飛び飛びながら1年続けてきた平清盛レビューも今回でおしまいです。
レビューちゅうかなんちゅうかという感じですが。
昔から平清盛が好きなので、少しでもドラマを見ている人の”清盛像”に新しくプラスの印象が加わればいいな~と思いながら書いていました。
好きな時代とはいえ元々のホームベースは近代なので大変だったわー^^;
それでも色々と思い出すことがあったり勉強になる事があったりして楽しかったです。
ここまで読んで下さった皆さま、ありがとうございました!
  
次源平合戦あたりの話題に触れるのは、史跡紹介の時だと思います!
当分先です!(笑)
 
 
なんかもう今日は出て来れない感じがするので。
今年1年お付き合いくださいましてありがとうございました。
来年もよろしくお願いします!良いお年を~^^



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6 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2013-01-01 05:50:10
去年も色々とありがとうございました。

清盛のことは置きまして、
保科正之大河化、本当に熱望です(署名もしたし)

幕末の會津は、正直、大河とかでは、もうやらないで欲しいんですよね。
やっても、昔の大型時代劇の『白虎隊』みたいに、濃縮して濃縮してのが、まだよいです。

・資料がない→事実じゃない
 →捏造認定
・悲劇的→有能なのに、時代に 流された
・美化されてる→真実を暴いて アンチ唱える俺かっこいい

というのが、もう嫌になるというかウンザリです。

幕末やるなら、容保公より前、もしくは、明治中心で、戊辰戦争に、ほとんど絡まない世代をお願いしたいです。

新年早々グダグダすいません。今年もよろしくお願いします。
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>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2013-01-03 08:29:25
あけましておめでとうございます!
こちらこそ昨年は色々とありがとうございました。
 
清盛置かないで下さいよ~(あ、御覧になってなかったんですよね?^^;)
幕末会津については前書いた時も熱くなっちゃいましたが、まあ本当に…

幕末は初めの方で終わるでしょうが1年間も会津系でホットな話題を提供し続けるというあたりに(色んな意味で)空恐ろしさを感じるのは私だけでしょうか。
特に戊辰の辺りはどう描かれてもかなりな批判を浴びるような気が…

○○絶対とか○○至上主義とかアンチ△△とか△△好き許さないとか、子供じみた事を言わずにもうちょっと冷静になれたら大分違うと思うんですがねえ。
どんなに嫌いでも良い所は良いし、どんなに好きでも悪い所は悪い。
この程度でいいと思うんですが…

今年もよろしくお願いいたします。
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リアリズム (iina)
2013-03-16 10:22:32
日本は、鎌倉時代にいたってリアリズムになったと司馬遼太郎は申します。たしかに、「一所懸命」のことば
通り律令制度より領地を安堵する裁判権を鎌倉幕府がもちました。

頼朝も、もう少し義経くんを諭して源氏の執るべき態度を知らしめておくべきでした。どうにも軍事的天才の義経
くんに政治力を理解させることは難しいかったかも分かりませんが、源氏三代で滅ぶことを知る後世の我々から
みると、惜しいことでした。

広瀬武夫中佐がお好きでしたか。日露戦争で部下を救いに戻って死に「軍神」になりました。万世橋駅前に
銅像ができていたらしく、戦後の行方を追う小説を先日に読み上げたタイミングです。

なお、iinaは古代史にまつわる「もののはじめ」を運営しています。
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>iinaさん (ヒジハラ)
2013-03-16 14:27:08
コメントありがとうございます。

頼朝がもっと義経に思う所目指す所を理解させていればその後の歴史はどうなっていたかというのは興味深いですね。
ただ、頼朝自身も義経がまさかあれほど鎌倉の雰囲気を読めないとは思っていなかったのでは?と思います。何となくですが。
頼朝には力になる親族や側近がほとんどおらず、自分の所領も武士団もいない状態からのスタートで、初めは義経をそれなりに頼りにしていたようですし。
本当に、両者がベストな形で協力し合えたらどんな歴史になっていたんでしょう。
 
そうなんです。
広瀬武夫のファンです。追いかけ始めてそろそろ20年になろうとしています(笑)
お読みになられた小説はもりたなるお氏のものでしょうか。

貴サイトには何度か伺わせて頂きました^^
七支刀の件は興味深く読ませていただきました。
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日露戦争の軍神 (iina)
2013-03-18 12:59:53
さすがは広瀬武夫のファンですね。
もりたなるお著の「広瀬中佐の銅像」でした。

頼朝については、こんなこともアップしてました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a0008d02f19a49c381d53a3083f53016
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>iinaさん (ヒジハラ)
2013-03-18 21:56:52
司馬さんの文章で北条政子と「名こそ惜しけれ」の精神の話を読んだことがありますが、大まかな内容はiinaさんのブログに上がっているものと同じだったように思います。
西洋のような宗教の縛りのない国の人々の長い間の規範になったものが「名こそ惜しけれ」という恥の文化であった云々。
ただこの頃ではこの恥の文化もなくなっていきつつあるような気がしてなりませんが…
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