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名こそ惜しけれ

2005年05月14日 | 歴史
日本列島には大小15万の古墳があって、大きい方の古墳の主はその地方の王(きみ)だったわけで、王様がたくさんいた。
それが中国から律令制を取り入れることで一つになってしまった。
その奈良朝時代に、国民をすべて国家つまり天皇の所有にした。
お上が貴い鉄の鍬(くわ)を貸し出し、お上の田んぼを耕し、お上が税を取っていく。ところが律令体制による公地公民制度は貴族のレベルで崩れて荘園制度になった。
取り立てた税は国に入らず貴族個人にはいる。しかし、貴族が京から現地に行って、生活を支える地面たる荘園の農民のために政治をすることは絶対ない。働く百姓は苦しくて、気の強い者たちは逃げていく。そうすると関東の親方が「おれの子分になれ」と引き受けてくれる。

水田は山から始まった。山に段をつけて平らの棚に谷川から流れる水を受けてため、田植えして根づいたころにサッと水を抜く。稲の原産地は、雨季でびしょびしょのときに根がつき、乾季になると太陽が照り付けてサッと乾く。こういう稲の原産地の気候条件を開墾によって人工的に作りだした。
鉄は平安中期から後期にかけ価格が安くなり、平民でも手に入れやすくなった。それが関東に及び、親方がどこかから仕入れてきた。
関東平野は大きな水流が何本かあった大雑把な大地で、これだけでは水田は駄目なのです。鍬・鋤で水を引き開墾して田んぼをつくった。

そうするといくら開墾しても、けしからんと土地の者に殴り込ませて追い払うか自分の荘園に繰り込む。繰り込まれた方はおじいさんと父親が作り俺が相続したと思っている。
日本中の開墾百姓、開墾農業主が、自分たちの所有権を安定させるために、律令が及ばない地として関東を独立させ、新しい政権をつくろうとした。それが鎌倉幕府だった。鎌倉幕府の成立によってはじめて日本式の国ができた。それもお百姓の国ができた。
もちろんお百姓とはいわず、鎧兜を着ているから武士ということにした。要するに鎌倉幕府は土地相続問題裁判所であった。
源頼朝は自前の勢力を持ってできた政権ではなく、シンボルだった。頼朝は自分がお飾りであることを知っていた。実際に政権を担ったのは関東の開墾農場主たち、つまり北条氏を筆頭とするひとびとだった。

日本歴史において関東が果たした重要な役割の一つが鎌倉幕府の成立で、ここからすべての面にリアリズムがはじまった。自分が開墾したところはおれの地面だという「一所懸命」は、一つの所に命を懸ける。鎌倉幕府を成立させたひとびとの言葉が、いまだに残っている。

もう一つ、関東で重要なことがある。日本の仏教は哲学的で、それまで倫理、道徳はなかったに等しい。それに代わるものとして、恥ずかしいことをするなという精神が、坂東武者から起こった。
当時から「名こそ惜しけれ」というのがモラルの中心になった。この「名」は名声欲の「名」でなく、恥ずかしいことをしたら「あいつが」といわれる、その「名」をいう。倫理、道徳を西洋式に叩き込まれなくても、われわれ日本人がこの社会で、なんとか大間違いをせずにこられたのは関東から広まって江戸末期あるいは明治以後までつづいた「名こそ惜しけれ」だろう。

鎌倉幕府成立から、日本社会あるいは国家は中国や朝鮮のタイプから大きく離れ、以後近代までアジアの他の国とはずいぶんちがう社会を形成させた。

/「日本人の成立―開墾農民たちの政権」(朝日ジャーナル)司馬遼太郎1986.5.30を要約
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3 コメント

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菜こそ押しけれ (osan3)
2005-05-14 17:54:21
鎌倉幕府以降、二度と「天皇の親政」や「貴族政治」に戻ることはなかった。中国や朝鮮と最も違うのは、皇帝の絶対的権力を背景にした官僚による中央集権制度を採ることなく、西洋と似た「封建制度」体制を採る方向に進んだことだと思う。



江戸時代の「幕藩体制」という封建制が、合衆国体制に近く、それが各藩での殖産を促して、維新の原動力となり、さらに西洋の技術の早期消化の下地になった。



中国や朝鮮では、中央からの簒奪が酷く、生産力や技術力の蓄積がなされなかった。儒教の影響・中華思想の影響も無視できないが。

★菜こそ押しけれ…「名こそ惜しけれ」の誤変換!
「平将門」もよろしく。 (一風斎)
2005-05-15 07:46:57
>iinaさま

トラックバックありがとうございました。



さて、小生、melma blogにて、現在「平将門」に関して

文章を書いている最中ですので、貴ブログの記事を

興味深く拝見しました。

URLは、melmaのものですので、

こちらも一度ご覧いただければと思います。



では、また。
TB(Notes2~続・即興ナル日常) さん へ (iina)
2009-10-06 09:30:51
突然に、4年ほど昔のブログにTBがあって驚きました。
「バイ・ネームで仕事を!」の趣意が分かりませんが、著作活動には
名を明かして責任を明確にという趣旨でしょうか。記事を発表することで
対価があると考えますが、名を公表しないのであれば著作料を貰わないのでしょうか?

例えば、ブログ等は名乗らずに投稿できるため、いじめを助長させ
社会悪を形成しています。いまや「名こそ惜しけれ」の精神はドコへ
いったのでしょうか?

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