Shpfiveのgooブログ

主にネットでの過去投稿をまとめたものです

パール判事の判決文に「弁論主義」による解釈を加える事の是非

2017-06-12 19:30:28 | 近現代史関連
この文章は極東国際軍事裁判におけるパール判事の判決について

「南京事件」についての該当部分に対して「弁論主義」から考えるのは妥当か?

という趣旨についてのものであるということを、あらかじめお断りしておきます。


なぜ、そのようなことをわざわざ指摘するのかというと、ネットの一部にはこのような主張をする人物がおり
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-175.html

>ようするに、弁護側から数万の虐殺があったことについての否定がなされなかったから、その点については判事として裁判上のルールにしたがって認めざるを得なかったわけであって、検察側から提出された証拠をすべて認定したわけではありません。むしろ「検察の提示した十数万から数十万もの大虐殺とする証言や証拠に強い疑問を呈した」のです。数万の虐殺行為は事実関係を争われなかったのです。

>どうしても「弁論主義」というものを理解したくない(理解できない?)お方がいらっしゃるようです。

→それを鵜呑みにする一部ネトウヨもいるようなので

そもそもキミらは「弁論主義」って、なんだかしってるの?

ということを確認してみたくなったというのが動機となっています。


(以下は本文です)

とりあえず弁論主義というのは、判決の基礎となる事実に関する資料の収集・提出は「当事者の権能・責任」であるとする原則の事を指します。
なお、訴訟の開始や決対象の設定、判決によらない訴訟の終了などを当事者の意思に任せる処分権主義を含む場合もあります。

一応言っておくと、事実関係が、弁論主義により自動的に認定される事はありません。

弁論主義というのは要するに、裁判官が予断を持たないようにさせるための原則であり、また弁論主義は主に民事訴訟法上の原則です。

どちらかというと軍律法廷に近い性質も持つ東京裁判においては、立証責任は純粋に検察側にあるはずです。

弁論主義とはあくまでも立証責任が誰にあるかということを明確にするための原則で認識で間違いありません。

そもそも「極東国際軍事裁判」に対して、なぜ弁論主義が採用された、という事を前提とした主張をするのかが、まず理解できませんけど。


「東京裁判」は国際法を無視した裁判である、と主張していた方が随分といらっしゃったように思いますが(笑)。


弁論主義というのは、そもそも民事訴訟において採用される事がほとんどで、これは私的自治の訴訟上の反映とするのが通説とされています。

なお私的自治というのは

「個人の私法上の法律関係を、個人の自由な意思に基づいて律すること」

を言い、近代私法の一原理です。

さて、これには3つのテーゼがあります。

第1に、当事者が主張しない事実の扱いとして、その事実を当事者が主張しなければ、判断の基礎とすることはできません。

例えば、貸金返還請求訴訟の場合に、被告が既に弁済していることが証拠として認められる場合であっても、当事者が弁済の事実を主張していない限り、弁済の事実があったことを前提に判断をすることはできません。

第2として、当事者間に争いのない事実の扱いについてですが、当事者間に争いがない事実はそのまま判断の基礎としなければいけません。

再び貸金返還請求訴訟の例をあげると、被告が既に弁済していることが証拠上認められる場合であっても、「被告自身が未だ弁済していないという自己に不利益な事実を認めている」場合は、弁済をしていないことを前提に判断する必要があります。
ただし通説では、判断の基礎とされる「当事者間に争いがない事実」というのは「主要事実」であるとされます。
間接事実にかかわる証拠や自白については、たとえ当事者間に争いがなかったとしても、それがそのまま判断の基礎とされるわけではありません。

第3に、職権証拠調べの禁止というものがあり、事実認定の基礎となる証拠は、当事者が申し出たものに限定されます。

例えば貸金返還請求訴訟において、被告が既に弁済したか否か証拠上はっきりしない場合で、裁判所としては別の証拠があれば事実認定できると考えた場合でも、当事者が申出をしない限りその別の証拠を調べることはできません。

さて、そもそも「極東国際軍事裁判」に「弁論主義が採用されていた」というなら、その挙証責任がまず、主張している側にあるはずですが

仮にそれはおくとしても、例えば

「弁護側は、南京において残虐行為が行われたとの事実を否定しなかった。彼らはたんに誇張されていることを言っているのであり、かつ退却中の中国兵が、 相当数残虐を犯したことを暗示したのである」という部分を持ち出し、パル判事は弁論主義の原則により自動的に事実認定しただけというのであれば

弁論主義によれば、当事者が事実を主張していない限り、その事実があったことを前提に判断をすることはできないわけです。

また、判断の基礎とされる「当事者間に争いがない事実」というのは「主要事実」であるとされます。

なぜ弁護側は

南京において「日本軍により」残虐行為が行われたとの事実を否定しなかったのでしょうか?

少なくとも、この点において「当事者間に争いがなかった」以上は、「主要事実」として認定されます。

また当事者(日本側)が事実を主張していない限り、その事実があったことを前提に判断をする事はできませんから、逆にいうと弁護側も、その事実を認めた(否認しなかった)という事になってしまいます。

以上2点だけをもってしても、パル判事は弁論主義の原則により自動的に事実認定しただけ、という主張は成立しません。少なくとも弁護側が事実関係を否認しなかった事は、結果のみから見ても、疑う余地がないからです。

仮に他の方から反論らしきものがあったとして

「極東国際軍事裁判」に「弁論主義が採用されていた」というなら、その挙証責任。

なぜ弁護側が、南京において「日本軍により」残虐行為が行われたとの事実を否定しなかったのか、根拠をあげての説明。

少なくとも、この2つについて、第三者を納得させられるような主張がなければ、特に対応しませんので、ご了承ください。

「2020年までに日中間で戦争」中国人の半数が予想 日中の感情悪化を欧米メディア懸念

2017-06-10 00:01:39 | 国際情勢
楽天ニュースより
https://news.infoseek.co.jp/article/newsphere_20575/

>9日、「第10回日中共同世論調査」の結果が発表になった。調査では、中国に悪印象を持つと答えた日本人の数が、93%と過去10年間で最悪となった。
 欧米のメディアもこの調査について報じている。
【中国人の過半数が日本との戦争を予想】
 フィナンシャル・タイムズ紙とタイム誌は、日中の軍事衝突の可能性を予想する数字が高いことを懸念している。
 調査に応じた中国人のうち53%、日本人の29%が、2020年までに日中間で戦争が起きるのではと予想している。また38%の日本人が、戦争は避けられると答えたが、2013年からすると9ポイント減った。
【「国際ルールを守らない中国」という印象】
 日中間では、日本による尖閣諸島の国有化、中国の防空識別圏(ADIZ)設定など、相互に感情を害する出来事が続いている。5月と6月には尖閣諸島の北の海域で、中国軍の戦闘機と自衛隊機が危険な距離まで異常接近した。
 共同通信によると、10日、中国公安辺防海警部隊の船が、尖閣諸島周辺の日本海域に侵入した。今年22回目だ。しかし昨年同時期の54回よりは少ない。フィナンシャル・タイムズ紙では、中国が同じく領有権を巡り対立しているフィリピンやベトナム沖の海へ重点を移しているためではないかとの専門家の見方を伝えている。
 しかし他国に対するこのような動きもまた、日本人の中国に対するイメージを悪化させているようだ。良い感情を持たない理由として最も大きかったのが、「国際的なルールと異なる行動をする」の55.1%だった。
【なぜ日中は対立するのか】
 フィナンシャル・タイムズ紙では、テンプル大学のジェフ・キングストン教授が、日本人の持つ中国への悪感情の要因を説明している。キングストン氏によると、日本のタブロイド紙などが、中国が「戦争を挑発する行為」をしていると書き立て、既に日本国民の中にあった中国に対する敵対的な感情を煽っているという。また、政府も中国の脅威を主張し、不安を拡大させている、と批判している。
 約1年前には、安倍晋三首相と習近平国家主席との初の首脳会談に向けて前準備が進められていた。しかし、安倍首相の靖国参拝で関係が急激に悪化。批評家は、日中関係の悪化について、首相は靖国参拝で関係改善の努力を損なったし、頑固な超国家主義者だとの印象があるためだ、としている(フィナンシャル・タイムズ紙)。
 タイム誌は、国同士の非難の応酬は幾分か減ったが、国民間の反感には依然根深いものがある、と報じている。ウォールストリート・ジャーナル紙は、日中間の相手に対する悪感情は依然強いとしながらも、約80%の日本人、70%の中国人が関係改善を望んでいると数字を挙げた。

→以上の記事に対しての所感ですが

まず中華人民共和国の国益を考えても、日中の全面戦争は百害あって一利なしです。

冷静になって考えればわかる話なんですが、現在の「中国の経済的繁栄」は「貿易」によって維持されています。

そして、その「貿易」は

アメリカが担保する「自由貿易という政策」と、「航海の安全」によって維持されているんです。

確かに中国国内の一部には「愛国勢力を結集して釣魚島を奪回し、弱腰の政府を打倒の上、一気に民主化する」などと息巻いている人たちもいるようですが(笑)

世の中、そんなに甘くはありません。

そうなった時の中国を待っているのは、アメリカを中心とする勢力による「経済封鎖」です。

仮に、日中間の戦争が不孝にも勃発したとして

米軍は後ろで見てるだけで戦わなかったとしても、台湾、あるいは沖縄の在日米軍に対する直接的な脅威をアメリカが容認するはずもなく

その時に、かつての大日本帝国に対して行ったのと同じような「経済封鎖」をやるくらいのことは、アメリカにとり造作もないことなんです。

アメリカと中国との間に秘密協定などかあらかじめ成立していない限り、これはやるでしょう。

現在の中国は太平洋に向けての出口を持っていません。
(だから中国は尖閣諸島をほしがっています)

中国が尖閣諸島を軍事的に占領したとしても、その「占領」を問題なしとする国際的なコンセンサスを得なければ、直ちに太平洋に向けての出口にはなりません。

そもそも、中国が尖閣諸島を得ようと思うのだったら、軍事的に占領するなどというリスクを犯すよりも、アメリカと秘密協定を結んだ方が、余程現実的なはず。

が、アメリカは「うん」と言っていません。

アメリカの世界戦略を考える上で「日本列島」は、地勢学上、とても重要なんです。

日本列島を米軍が押さえているがゆえに

ロシアも、中国も太平洋に向けての出口がない状態におかれています。
(ロシアは北方領土というか細い出口を持っていますが)

アメリカの繁栄は「世界の海を支配する」ことによって成り立っています。

なら、中国が「その一角」を軍事占領するという強行手段に出たとしたら、どう対応するかも見えているでしょう。

中共海軍には「掃海部隊」が整備されていません。

ゆえに米軍の高性能潜水艦への対処法として機雷を撒いたとしても、その位置座標を克明に記録し、それを撤去することさえ簡単ではないんです。

極端なことを言えば、我が国が自衛隊に配備されている(必要なら増備してもいいでしょう)高性能潜水艦を使って、魚雷の代わりに沢山の沈底式機雷を積載し、中国の主要港湾付近、あるいはマラッカ海峡などにこっそりと撒いたとしても、中国にとっては一大事です。

中共海軍には「対潜作戦能力」と「掃海能力」の両方が欠けていますので、それがなされてしまった瞬間から中東の石油も、オーストラリアの石炭も入ってこなくなります。

中国は石油、石炭の純輸入国であり、世界最大のエネルギー消費国です。

いうまでもなく機雷により船舶や積み荷が損傷するということであれば、もはや外国籍の商船は中国沿岸に近寄ることは、ほとんど出来なくなります。

機雷が完全に除去されない限り、世界の保険会社は南シナ海、東シナ海、黄海を通航する予定の商船との新規の保険契約は出来ないでしょう。

そして資源が入ってこなくなれば、中国経済は成り立たなくなります。

アメリカが「中国の弱点」が、まさに国が「輸出入で成り立っている」ということ、それ自体にあることを熟知しており、本当に必要なら、その流れを断てばいいと思ってもいます。

仮に中国が陸路、ロシアから資源を輸入しようとしても、尖閣諸島の軍事占領という挙に出てしまった中国を、ロシアが(重要顧客であるドイツなどヨーロッパ諸国への供給分を取り崩してまで)積極的に支援するとは考えづらいものがあります。

そもそもロシアは「中国が日本を支配下におく」ことを望んでいませんし。

アメリカは、別に日本に対して「友人である」などとは考えていないでしょう。

が、自国繁栄の源泉である「世界の海洋支配」の重要な拠点として、また、兵站を考えた場合の戦略上の要衝としての「日本列島」を自国の影響下に置き続けることは望んでいるはず。

ここを中国が見誤って「軽率な行動」に出た場合、その代償は高くつくと言わざるを得ません。

そもそも中国近海が「安全な海」でなくなった時点で

中国の繁栄は終わってしまいます。

そうなった時に

我が国が無事ですむかどうかは、別の話になりますけど。

前川前次官の証人喚問問題は「日本国憲法」なるものが形骸化している証拠の一つである

2017-06-06 23:56:49 | 日本国憲法
前川前次官の証人喚問、自民が拒否 加計学園問題
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK5V2T7WK5VUTFK001.html

民進、共産、自由、社民の野党4党は26日、学校法人「加計(かけ)学園」が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、「行政がゆがめられた」などと証言した前川喜平・前文部科学事務次官の証人喚問を求める方針で一致し、与党側に求めた。安倍晋三首相が出席する集中審議も要求したが、自民党は証人喚問を拒否し、集中審議は「即答できない」と答えた。

民進、共産など野党4党の国会対策委員長は26日午前、国会内で会談。疑惑の解明には、前川氏の証人喚問と首相を直接ただす予算委員会での集中審議が必要との認識で一致した。

その後の自民、民進国対委員長会談で、民進の山井和則国対委員長は「首相の今までの説明が事実と違うとの大きな疑惑になっている。与党は説明責任を果たしてもらいたい」と前川氏の証人喚問と集中審議を求めた。一方、自民の竹下亘国対委員長は「証人喚問は必要ない。話としては面白いが、政治の本質に何の関係もない」と拒否。集中審議については「調整が必要で即答できない」と答えた。

(朝日新聞デジタル 2017年05月26日 12時08分)

→この件について、つくづく思ったのは、仮にも「護憲」、もしくは「改憲阻止」を標榜する野党の皆さんが

「日本国憲法」について、なーんにもわかっていない

ということです。

そもそも「日本国憲法」第65条はこうなっています。

行政権は、内閣に属する。

当然ながら行政権は内閣府にありますので、例えば獣医学部なりを新設するかどうかの決定権は内閣にあります。

しかるに

前川氏はそれを「行政が歪められた」と評したわけです。

これは言い換えると

国政選挙により選ばれた政治家による「内閣府の決定」について

国政選挙により選ばれたわけでもない官僚(正確には前川氏は元官僚)が

国の施策や方針を「自分たちの判断で決定し」、国政選挙により選ばれた政治家(国民の代表)が、それを覆したことについて

「行政が歪められた」

と明言したわけです。

そして「与党追及」を行う野党の皆さんも、この「日本国憲法」第65条に規定された「行政権は、内閣に属する」という事実を完全否定して、与党に「説明責任」を追及し

前川氏の証人喚問と首相を直接ただす予算委員会での集中審議を要求している

そして、与党も「内閣に属する行政権を行使したにすぎない」と反論することもない。

「日本国憲法」(少なくとも第65条)って、何のためにあるのでしょうか?

それとも「日本国憲法」なるものは国家の最高法規を自称していても

実務にあたる官僚もですけど

国政の側も、内心はそう思っていないということでしょうか?

とりあえず「護憲」を主張する一部野党の人たちも

「憲法」の意味なんか、サッパリわかっていないというお話です。

「みちびき」は、日本版GPSなどと呼べるようなものではない

2017-06-05 23:18:33 | 国際情勢
現在、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と内閣府の特別の機関の宇宙開発戦略推進事務局により、主に日本周辺限定で利用可能となる地域航法衛星システムとして、準天頂衛星システム(Quasi-Zenith Satellite System、QZSS)の構築が進められています。
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXMZO17056810Q7A530C1000000

>2017年6月1日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と三菱重工業は、準天頂衛星システム(QZSS)「みちびき」2号機を載せたH2Aロケット34号機の打ち上げに成功した。みちびきは、人工衛星からの測位信号(電波)を使って位置情報を算出するGNSS(測位衛星システム)の1つ。GNSSでは米国のGPS(全地球測位システム)が最もよく利用されており、代名詞的な存在になっている。
 みちびきは「日本版GPS」とも呼ばれる。初号機は約7年前の2010年9月11日に打ち上げられた。JAXAは今回の2号機を含め、2017年内に合計3機を打ち上げ、2018年度から4機体制で本格運用を開始する。これには、位置情報を利用する各産業から大きな期待が寄せられている。

→が、現状ではこの「みちびき」は、アメリカのGPS衛星を補完する為の機能しか持っていません。

また「みちびき」の効果は日本周辺限定の機能しか持っておらず、軍事用としての機能も持っていないません。

あくまでも、通常の市販されているカーナビなどでの使用を想定しています。

そしてアメリカはこれより数倍精度の高い軍事用GPSをとっくの昔に持っており、わざわざ日本の「みちびき」を使用する理由もありません。

北朝鮮が「みちびき」について「スパイ衛星だ!」などと騒いでいるようですが

過大評価というべきでしょうね。


いわゆる「押し付け憲法論」について、その経緯

2017-06-05 23:13:27 | 日本国憲法
我が国が受け入れた「ポツダム宣言」の第12項についてですが

ポツダム宣言

http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
(前記諸目的が達成せられ、且日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合国の占領軍は、直に日本国より撤収せらるべし)

との文言があることから考えても、もし「憲法改正」を行うのであれば日本国民が主体的に行うべきであったにもかかわらず、結果的にみると、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) などの強力な指導の下で決められたとしか言いようがありません。

事実関係でみても

マッカーサー3原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html
>2月1日付け毎日新聞に掲載された「松本委員会案」の内容が日本の民主化のために不十分であり、国内世論も代表していないと判断したマッカーサーは、民政局に対して憲法草案を作成するよう命じた。その際、マッカーサーは、憲法草案に盛り込むべき必須の要件として3項目を提示した。いわゆるマッカーサー3原則である。その3原則のうちの一つが、第9条の淵源となった戦争放棄に関する原則であった。

少なくとも「日本国憲法」が、この「マッカーサーノート」をベースに作られたことについてはは疑問の余地がありません。

さて「ポツダム宣言」を条約である、と考えた場合、我が国のみならず、連合国もこの宣言の内容に拘束されるはずです。

わかりやすく言うと、ポツダム宣言に定められた「範囲を超えた以上のこと」を、日本側に要求してはならない国際法上の義務が発生します。

もっともポツダム宣言受諾の際に、連合国による有権解釈権があった、という論点は存在しますが、これとても「不法な解釈」まで許されるわけではありません。

このことは

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
(吾等の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、『吾等が外れることもない。』執行の遅れは認めない)
 (『』付けは私)

という条文からも裏付けられます。

さて「ポツダム宣言」は、日本側に対して「憲法の改正」を要求しているでしょうか?

原文をお読みいただければご確認いただけると思いますが、憲法の改正を直接要求した条項は存在しません。
(あれば、その時点でハーグ陸戦条約第43条違反です)

ハーグ陸戦協定

第四三條 國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶對的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ。
(国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。)

 ただし民主主義的傾向の「復活強化」、基本的人権保障の確立、軍国主義の除去などの義務の履行は必要とされていましたので、事実上「ある程度の改正」は必要だったわけです。

帝国憲法を全面的に、かつ根本的に改正すべし、という要求は、ポツダム宣言のどの条項にもありません。

しかるに「マッカーサーノート」には

天皇主権→国民主権

戦争放棄

などがあるわけです。

仮に「松本委員会案」による憲法改正案に問題があったとしても、試案ですからやり直しをさせればよかっただけの話です。

さて我が国の敗戦により、GHQによる占領統治が行われたわけですが、ではGHQに憲法案を作成する権限があったのでしょうか?

答え 「ありませんでした」。

その権限は、FEC(極東委員会)にあったのです。

 それについては、FECの設置を定めた1945年12月28日に発表された「モスクワ外相会議コミュニケ」の中に明記されています。
(日本管理法令研究会「日本管理法令研究」1巻7号に収録)

その7項目のうち、2項目に「極東委員会及び連合国日本理事会」という箇所があり、そのなかの「3 合衆国政府の任務の第3節」には

但し日本の憲政機構、若くは管理制度の根本的変更を規定し、又は全体としての日本政府の変更を規定する指令は、極東委員会の協議及び合意の達成のあった後に於てのみ発せられるべきである。

と、あります。

マッカーサーが、なりふり構わず短期間に憲法案の作成を急がせ日本政府に提示したのは、予定される2月26日のFEC第1回会議までになんとか既成事実を作りたかったからであり、これは国家間の約束から、第1回会議に至るまでのグレーゾーンの中に逃げ込むための手段だったわけです

アメリカ合衆国の意向として、確かに昭和天皇の「戦争責任」を追求するよりも、その存在を戦後の統治に役立てたいというものがありましたが、昭和天皇を裁判にかけて天皇制を廃止すべしとする国々(旧ソ連、オーストラリアなど)を含む極東委員会(FEC)が設立され、昭和天皇を裁判にかけて「天皇制」を廃止すべしとする決定がなされれば、マッカーサーといえども従わざるをを得なくなります。
(ちなみにアメリカ合衆国自体も「天皇制」の廃止は、必ずしも否定していませんでした)

マッカーサーは上記の意図からも「天皇制」を残すべきである、と判断していましたからFECができて上記のような決定がなされる前に、「象徴天皇」という形をとり、民主主義の憲法案を急いでつくらせ、それを日本政府に受け入れるよう迫ったというわけです。

なお実際には「憲法9条 」については、時の総理であった幣原喜重郎の発案であった、という説があります。
http://kenpou2010.web.fc2.com/15-1.hiranobunnsyo.html

>それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。
世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。だが何らかの形における世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。
凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。
そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。この例は世界を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。
要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展しその同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行うほかはない。このことは理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた訳だ。

(中略)

この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。もっとも天皇制存即と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。

(中略)

この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。
松本君にさえも打ち明けることのできないことである。
(引用終了)

この話は、時々「日本国憲法は押しつけではない」という論法の根拠として使われますが、問題点がふたつ。

>そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが

そもそも占領軍側の「命令」として出た時点で「押しつけ」であり、発案者が誰か、ということよりもそちらの方に問題があります。
またこの事は、その後官僚などが自分の提案を実現させたいときに「アメリカという外圧」を使うという伝統を作ることとなりました。

>松本君にさえも打ち明けることのできないことである。

少なくともその時点で、松本烝治国務大臣による憲法問題調査委員会により「憲法改正要綱」が作成され、正規のルートで総司令部に提出されていました。
これを無視して事実上の「命令」という形で「マッカーサー草案」を受け入れる、という形にした事は、その後の「日本国憲法」に影をおとすことになります。

いずれにしても、昭和天皇が処刑され、「天皇制」廃止ということにでもなれば、我が国は近年でいえばアフガニスタン、あるいはイラクなどのような内乱状態になり、戦後統治も戦後復興もままならなくなり、疲弊しきっていた我が国は更に無茶苦茶になっていたでしょう。

事実として言えば、マッカーサーが、昭和天皇を裁判にかけず天皇制を残そうとした理由はいろいろ考えられますが、自身が日本の戦後処理の最高責任者であったこと、及びアメリカ主導で日本の戦後統治・復興を図ることで今後の日本にアメリカの影響力を及ぼそうとしたということが大きいかと思います。
この当時、すでにに米ソの対立は始まっていましたし、場合によっては昭和25年の朝鮮戦争は、朝鮮半島ではなく戦後間もない我が国で行なわれていた可能性もあります。

なので

「押し付け憲法}=悪

という単純な図式にはなりません。

ただし「GHQ案が押し付けではない」というのも、また事実ではありません。

そして日本国政府もそのまま受け入れたのではなく

『あくまでも日本国政府が修正・整序し、戦後の新しい議会(国会)が帝国憲法第73条の改正手続によって議決し、天皇が公布した』

という形式を整えたのが「日本国憲法」ということになります。

問題はその後、憲法を一度も見直すことができないまま、長い長い年月を無為に過ごしてしまったことになります。

なおアメリカのセオドア・H・マックネリー教授は、「日本国憲法」前文の原典として、「(1)アメリカ合衆国憲法 (2)リンカーンの ゲテイスバーグの挨拶 (3)マッカーサー3原則 (4)3国のテヘラン会談の宣言 (5)アメリカの独立宣言」をあげています。
(『憲資・総』第35号より)

ただし「国民意思の主権を宣言し、この憲法を制定」(昭和21年3月6日草案前文)するという国民主権の宣言規定の根拠については示されていない、という事も付け加えておきます。


※ハーグ陸戦条約第43条は交戦中の占領に適用されるものであり、交戦後の占領である「日本国憲法」制定には適用されない、という主張が存在しますが、我が国の交戦状態が終結したのは、国際法上は「サンフランシスコ平和条約」締結後ですので、この論点は無意味です。
そもそも「ポツダム宣言」に明文で「抜本的な憲法改正」を要求すること自体が第43条違反であり、ゆえに、それは行われていません。