Shpfiveのgooブログ

主にネットでの過去投稿をまとめたものです

憲法学舎佐々木惣一氏の「日本国憲法」欽定憲法説について

2019-10-13 20:34:45 | 日本国憲法
日本國憲法の成立は、帝國憲法によりて定められていた行動の行われた結果である。凡そ、法が、現に存する法によりて定められた行動でなく、法外の實力上の行動により成立せしめられるとき、その行動は革命であり、その法は革命により成立する、という。故に、日本國憲法を成立せしめた行動は革命ではなく、日本國憲法は革命により成立したのではない。このことは、法の規定する内容如何の問題ではないから、日本國憲法が内容上、帝國憲法を全面的に變更するものするものであつても、その故に、その變更を目して革命といい、その憲法を目して革命による憲法、といい得ないことには、變りはない。日本國憲法は前述の如く、帝國憲法第七十三條の定めるもの、天皇の提案、帝國議會の議決、天皇の栽可という行動により、成立したのである。即ち、日本國憲法は天皇が制定したもうたのである。故に、日本國憲法は欽定憲法である。尤も、日本國憲法は、將来日本國憲法自身の改正を爲す場合の手續を定めて、天皇による制定ということを否定している。故に、日本國憲法によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは、將来は存在し得ない。併し、それは日本國憲法自身のことではなく、日本國憲法の定めるところにより日本國憲法の改正として成立せしめられることあるべき將来の憲法のことである。憲法の成立手續より見た、日本國憲法自身の性質の問題と將来の憲法の性質の問題を混同してはならぬ。

佐々木惣一『改訂 日本國憲法論』(有斐閣)P113~114より


さて、佐々木 惣一博士といえば、言わずと知れた戦前日本の権威ある憲法、行政法を専門とする法学博士でした。

法学博士以外にも。貴族院議員(勅選)。京都大学名誉教授。立命館大学学長。京都市名誉市民。文化功労者、文化勲章受章者。贈正三位、贈勲一等瑞宝章など、その肩書きは多く、同時代において、佐々木博士と並ぶ憲法学の権威を挙げるとしたら、それこそ「天皇機関説」で知られる美濃部達吉、枢密院議長をつとめ、昭和天皇の師でもあった清水澄の両博士くらいでしょう。

後に「八月革命説」により東大憲法学を牛耳るようになる宮澤俊義博士といえども、「日本国憲法」制定以前の時点から見れば、三博士に比べれば、一歩以上も下がったポジションでした。

逆にいえば「八月革命説」こそが、宮澤俊義氏を「日本国憲法」制定後における憲法学の権威に押し上げたとも言えますが、今はその事の是非についてはふれません。

さて、その佐々木惣一博士は1945年(昭和20年)の我が国の敗戦後、ポツタム宣言により要求されていた我が国の民主化のための一つの手段として提案されていた「帝国憲法改正」のための内大臣府御用掛として憲法改正調査に着手し、俗にいう「佐々木憲法草案」も作成しました。

が、占領軍を牛耳っていたマッカーサーにより、いわゆる「マッカーサー草案」に基づき「日本国憲法」が作成されることになったのは周知のことと思います。

佐々木惣一博士としても、美濃部、清水両博士ともども、こうした「新憲法の作成」には最後まで反対したのですが、結果的には押しきられ、「日本国憲法」の制定に至ったことも、わざわざの説明は必要ないことと思います。

さて、結果的に「マッカーサー草案」を元に作成された「日本国憲法」ですが、これが体裁上は「民定憲法」とされているのは、本記事閲覧者の皆様もご承知のことと思います。

意図的にこちらからコピーペーストしますが

辞書・事典類がまとめて引けるサイト『コトバンク』で見られるデジタル大辞泉の解説に…

みんてい‐けんぽう〔‐ケンパフ〕【民定憲法】
国民主権の思想に基づき、国民が直接に、または国民から選挙された議会を通じて制定される憲法。(以下略)

きんてい‐けんぽう〔‐ケンパフ〕【×欽定憲法】
君主によって制定された憲法。大日本帝国憲法(明治憲法)など。(以下略)

とある通りです。


さて、「日本国憲法」が本当に

国民主権の思想に基づき、国民が直接に、または国民から選挙された議会を通じて制定される憲法

なのかどうか、というのは単純に言い切れる問題ではありません。

現に佐々木惣一博士のような同時代の憲法学の権威が

日本國憲法は前述の如く、帝國憲法第七十三條の定めるもの、天皇の提案、帝國議會の議決、天皇の栽可という行動により、成立したのである。即ち、日本國憲法は天皇が制定したもうたのである。故に、日本國憲法は欽定憲法である。

と述べているように

「八月革命説」のように
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AA%AC

ポツダム宣言受諾後に行われた総選挙で、新たに主権者となった国民の代表者として衆議院議員が選出され、衆議院が中心となって、内閣がGHQの指示を受けて起草した大日本帝国憲法改正案(日本国憲法案)を審議した。この改正案審議は、国民と直接的な関係を有しない貴族院でも行われ、若干の修正が加えられたが、修正後に衆議院の議決を経ている。また、主権者の地位を失った天皇の裁可により改正は成立したが、裁可の段階では修正は行われていない。このように、実質的に日本国憲法は、新たに主権者となった国民によって制定された憲法となる。


などの説明を用いない限りにおいて
(他の学説もありますが、説明は割愛します)

「日本国憲法」それ自身に基づき改正されるまでは「欽定憲法のまま」という見方も確かに成り立ちます。

「日本国憲法」は本当に、私達日本国民が主権者として自らの意思で制定した「民定憲法」なのでしょうか?



佐々木惣一博士による「欽定憲法説」は、そんな問いかけをしているようにも見えます。

表現の自由に「名誉毀損」的なものも含まれるという主張への疑問

2017-08-18 00:45:28 | 日本国憲法
>第二に、一元的内在制約説は、人権が本来互いに矛盾・衝突するものであって、それを調整するために公共の福祉に従って制約されざるをないものであるとするが、そこには、およそ人は自らの好むことは何であれこれをなしうる天賦の「人権」を有するという前提がある(樋口・憲法192-95頁)。つまり、人は財産権や表現の自由を有するのみでなく、人殺しをする自由、強盗をする自由、他人を監禁・暴行する自由などを天賦人権として有する。このような無制限の自由を各人が好むところに従って行使したとき、社会生活が成り立たないことは明らかであり、「人権」は公共の福祉の観点から制約されねばならない。殺人や強盗、暴行、監禁が制約されることと、所有地の建築制限、デモ行進の時・所・方法の規制、職業の許可制などは、同じ公共の福祉という概念で一元的に説明がつくことになる。

長谷部恭男『憲法(第2版)』P113より

→この長谷部恭男氏の見解には異論もあるのですが、それはここでは議論しません。

ここで取り上げたいのは

>およそ人は自らの好むことは何であれこれをなしうる天賦の「人権」を有するという前提がある

→というくだりです。

「天賦人権説」の立場から考えれば、確かにデマを流す自由、反対意見の相手をデマにより貶め、誹謗中傷する自由というのも認められていると考えていいのかもしれません。

が、現実的に考えてみましょう。

>このような無制限の自由を各人が好むところに従って行使したとき、社会生活が成り立たないことは明らか

→ではないでしょうか?

そうならないために「法秩序」というものが形成されているわけです。

「公共の福祉」という考え方に立つのであれば、やはり長谷部氏の言うように「人権」についても一定(最低ライン)の制約は必要と考える方が自然です。

従来、芦部『憲法』P177~178にもあるように

>2 性表現・名誉毀損的表現
(1) 性表現・名誉毀損的表現は、わいせつ文書の頒布・販売罪とか名誉毀損罪が自然犯として刑法に定められているので、従来は、憲法で保障された表現の範囲に属さないと考えられてきた。しかし、そのように考えると、わいせつ文書なり名誉毀損の概念をどのように決めるかによって、本来憲法上保障されるべき表現まで憲法の保障の外におかれてしまうおそれが生じる。そこで、わいせつ文書ないし名誉毀損の概念の決め方それ自体を憲法論として検討し直す考え方が有力になってきた。つまり、それらについても、表現の自由に含まれると解したうえで、最大限保護の及ぶ表現の範囲を確定していくという立場である。この立場は、性表現について言えば、わいせつ文書の罪の保護法益(社会環境としての性風俗を清潔に保ち抵抗力の弱い青少年を保護することと解する説が有力である)との衡量をはかりながら、表現の自由の価値に比重をおいてわいせつ文書の定義を厳格にしぼり、それによって表現内容の規制をできるだけ限定しようとする考え方で、定義づけ衡量論(definitional balancing)論と呼ばれる。

→名誉毀損表現なども「表現の自由に含まれる」と解したうえで、最大限保護の及ぶ表現の範囲を確定していくという見解が有力視されてきましたが

一方で芦部氏自身の同書P176にもあるように

>最高裁は、名誉毀損罪に関する刑法 230 条の 2 の規定について、表現の自由の確保という観点から厳格に限界を確定する解釈を打ち出している

→と学説上評価されてもいます。

その前提に立った上で、あらためて刑法を見てみましょう。

第230条
1 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

→あらためて「名誉毀損」ということについて考えてみたいのですが

仮に、天賦人権説の立場から、名誉毀損も「表現の自由」に含まれていると解するのだとしても

それは長谷部氏のいうように

人殺しをする自由

強盗をする自由

他人を監禁・暴行する自由

なども認められているというのと同レベルの(もしくは極めて近い)考え方ではないでしょうか?

私自身は現実的に考えて

名誉毀損も表現の自由に含まれている

という主張には違和感をおぼえます。

少なくとも「法秩序」の中で、その「自由」を本当に行使できるのか?

という問題はありますので。

参考サイトです。
http://agata-yukio.sakura.ne.jp/date07.htm

>01 デマは表現の自由の範囲の外にあります。

企業広報は、ステークホルダーの支持を得ることを目的とした活動です。情報を加工しバイアスをかけた情報操作・プロパガンダ型(自ら働きかけ自らの思う方向に他人や集団を動かすことを目的にする広報)の表現であっても、それが中傷誹謗や不法な商品宣伝でなければ、それは表現の自由として保障されています。

したがって、自社のイメージを上げるために、たとえばCSR活動に関して虚偽・誇大な自社宣伝的な広報を行ったとしても、その虚偽・誇大さが明らかになれば、市場で批判されることになり、自社のブランド価値を下げることになるでしょうが、そこには法的な問題は生じません。

しかし、その表現内容が、他者に向けたデマ(事実とは反する、根拠のない悪宣伝)である場合には、他者の正当な権利を害する恐れがあるので、表現の自由の保障の外にあり、法律による規制を受けます。

02 デマを流すことは犯罪であり、信用毀損罪です。「虚偽の風説の流布」すれば、それで犯罪は成立です。

デマをながすこと、つまり虚偽の事実を発信すれば、信用毀損罪(刑法233条)となります。
確実な資料・根拠を示さないで「あの会社は倒産寸前である」「カタログに書かれているような性能をもっていない」との情報を流すことです。

公の場であるならば、少数の者に虚偽事実を伝えても、その者から多数に伝播する可能性があるので、犯罪は成立します。
具体的に、信用が毀損することは必要ありません。
これを抽象的危険罪といいます。その危険があれば、その時に、犯罪は成立したものとします。3年以下の懲役または50万円以下の罰金となります。

説明会、懇談会などの公の場での発言、セールスマンの売り込みでの発言、ネット上での書き込みなどが、これに該当します。

「日本国憲法」は憲法として機能しているのでしょうか?

2017-07-09 14:42:37 | 日本国憲法
「日本国憲法」は、1946年(昭和21年)5月16日に、第90回帝国議会の審議のあと、若干の修正を加えたうえで、同年11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日から施行されました

1945年(昭和20年)8月15日にポツダム宣言を受諾した事により、我が国は事実上憲法改正の法的義務を負ったことになるわけです。

ポツダム宣言には

「日本軍の無条件降伏」

「日本の民主主義的傾向の復活強化」

「基本的人権尊重」

「平和政治」

「国民の自由意思による政治形態の決定」


が要求されており、連合国軍の占領中に連合国軍最高司令官総司令部監督下において「憲法改正草案要綱」を作成し、紆余曲折ののちに「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って、制定されました。

なお、施行されてから現在まで一度も改正されていません。

さて、まず「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って制定されたわけですが、その内容についてみると、主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移っている、とされます。

「日本国憲法」の「上諭文」 によればこうなります。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

憲法改正の「限界説」(後述)という考え方からすると、

「日本国憲法」の前文

「・・・その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、・・・」

これに対し、大日本帝国憲法の「上諭文」は

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス・・・」

とすると「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の根本的な部分を否定しているわけで、理屈からすると「大日本帝国憲法」を否定するなら、その改定手続き(帝国憲法第73条)により「改正」された「日本国憲法」も論理的には成立しなくなります。

ところで「憲法改正」については、大別して「憲法改正無限界説」と「憲法改正限界説」という二つの考え方があります。

まず、いわゆる「成文憲法」の場合、基本的には憲法自体の改正手続を定めています。

改正手続に従って行われた「憲法改正」は、当然法的に正当なものとして承認されるわけですが(改正し得ない「憲法改正の限界」を当該憲法に明記してある場合を除く)、仮に「憲法改正」の限界が明記されていない場合であっても

例えば前憲法を無視して、100%全文に及ぶ改正をすることが可能なのか?
(憲法改正無限界説)

それとも法理論上一定の限界があるのか?
(憲法改正限界説)

という事について、学説上の争いがあります。

「憲法改正無限界説」によるのであれば、大まかに言うと「憲法改正手続に従った改正」であれば、いかなる内容への憲法改正も法的に正当化される事になります。

それに対して「憲法改正限界説」の場合、これも概略として言うと「憲法改正手続に従った憲法改正」といえども、前憲法の基本原理・根本規範を改めてしまうような改正は、改正前憲法によって法的に正当化されないと考えられています。

ただし言うまでもないことですが、改正前憲法によって法的に正当化されないからと言って、新憲法が「無効」という事になるわけではなく、新たな基本原理・根本規範によって正当性の理由付けが求められる事になります。
「憲法改正限界説」の立場から考えると、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の改正ではなく、全く新しい別個の憲法である、ということであり、そして、それは「国民自らが制定した民定憲法」というわけです。

そこで憲法学者の宮沢俊義氏により、「日本国憲法」の理論的根拠として「八月革命説」が提唱されました。

以下はあくまでも「八月革命説」について内容の説明です。

まずポツダム宣言を受諾するに際して、同宣言には天皇大権を害する要求は含まれないとの解釈が正しいか否かについて、我が国は連合国に対して回答を求めています。
この照会に対して連合国側は、その解釈の正否には触れず、日本の最終の政治形態はポツダム宣言に従い日本国民の自由に表明される意思により決定されるべきことを言明しました。(バーンズ回答)

我が国はこの回答を了承した上で、1945年(昭和20年)8月14日、ポツダム宣言の受諾を通告したわけです。

バーンズ回答において日本の政治形態に関しての最終的な政治形態の決定権は、日本国民が有するとされており、、法的には「国民主権」とされています。
なので、ポツダム宣言の受諾は天皇から国民への主権の移行があったということになるわけで、ポツダム宣言の受諾を法的な意味での「革命」と解釈した上で「八月革命」と称したわけです。

ただし主権の所在が移行したからといっても「大日本帝国憲法」の全てが「無効」となったわけではなく、あくまでも「国民主権」に抵触しない限りにおいて存続していたため、形式的には「大日本帝国憲法」の改正手続に従い憲法が改正された、ということになるわけです。

事実関係でいうと、ポツダム宣言受諾後に行われた総選挙で新たに「主権者となった国民の代表者」として国会議員が選出され、内閣がGHQの指示を受けて起草した「大日本帝国憲法」改正案(日本国憲法案)を審議し、また名目上は主権者の地位を失った昭和天皇の裁可により「憲法改正」は成立しましたが、裁可の段階では修正は行われていません。

この事からも「日本国憲法」は、新たに主権者となった国民によって制定された憲法となるわけです。

現在においても「八月革命説」は「日本国憲法」の学説上の通説となっています。

さて、こうして「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の3つを三大要素とする「日本国憲法」は成立しました。
(実際は改正に関して様々な紆余曲折がありましたが、省略します)

それでは、実際問題として「日本国憲法」は我が国の「憲法」として、きちんと機能しているでしょうか?

まずは私の手元に『お役所の掟』(講談社α文庫)という本があります。

P33~34にはこうあります。

「日本はどうして三権分立ではないのでしょう」

「いや、三権分立になっているよ。憲法にもそう書いてある」

「でも実態は違うでしょう。本当に三権分立ならば、なぜ我々が法律作成をしているのですか」


(引用終了)

霞ヶ関のエリート官僚たちは、すでに国会議員の代わりに法律を作り、内閣の代わりに政策を立案しています。

これは「日本国憲法」第41条に規定された、国会は「国の唯一の立法機関である」に違反していると解釈できます。

憲法というのは、その精神が守られなければ、それは機能していないのと同じなのではないでしょうか?

大事なのは「文面」ではありません。

アドルフ・ヒトラーは、ワイマール共和制における憲法の廃止はしていません。

しかし彼は1933年の「全権委任法」の成立により「合法的」に独裁者となりました。

こうした時にどう判断するか?

「全権委任法」の成立により、ワイマール憲法は「死んだ」とみなされるわけです。

多くの方がご承知のように、英国憲法は慣習法からなっています。

「成文憲法」を持つ国家の場合であっても、憲法が文面と異なる慣習により運用されているなら、それは「憲法」が機能している、とは言えないはずです。

実際にも、いわゆる「発展途上国」は文面においては立派な「憲法」を作りますが、多くの場合、その運用は文面を反映せず、事実上は独裁国家になったりします。

さて上で説明した「憲法無限界論」というのは、この観点から見た場合に成立するでしょうか?

つまり慣習や法律でどうにもならないものを「憲法改正」で解決できる、という「憲法万能論」を想定する事ができるのか、という事です。

なので、私自身は「憲法無限界論」は採りません。

仮に「無限界論」に近い考え方で、限界は存在するが目に見えないだけ、という議論が成立するとしても、憲法がその国の「慣習法」と異なる内容であり、実態において異なる内容の運用をされているのであれば、それは当該憲法が機能しているとは言えないと思います。
つまり「目に見えない限界」を超えたわけです。

そして「日本国憲法」は、正しく運用されているでしょうか?

他に例を挙げます。

「在日米軍」に関する「砂川事件」最高裁判決の背景
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1197574596

>最高裁判決の背景[編集]
機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。
まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた[1]。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約から日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁・外務省・内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定[2]。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開した[3][4]。
また田中自身が、マッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと[5]、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたこと[6]が明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという[7]。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした[8]。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている[9]。古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」[10]と断じており、また、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがす[11]もの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている[12]。


「砂川事件」において最高裁は「アメリカ側の要望」により「統治行為論」で押し切ることで「合憲」という判決をくだしました。
あくまでも私見ですが、これでは「日本国憲法」は、少なくとも実態において「憲法」としての効力を持っている、とは言い難いと思います。
国家としての「最高法規」以上の意思が働いたわけですから。

「砂川事件」の経緯を見ても分かるように、必要とあればアメリカからの圧力がかかり、それにより結果が動く、というのでは「憲法」と言えないのではないでしょうか?

また、例えば第1条に日本国および日本国民統合の象徴たる天皇陛下の存在は「国民の総意に基づく」とあるわけですが、国語辞典的に言うなら「総意」というのは「すべての意思」という事になります。
とすると「天皇制廃止」を叫ぶ人々が「護憲」を主張するのは「憲法違反」という事になります。

そして先にも引用した第41条には国会は「国の唯一の立法機関である」と規定されていますが、文字通りに解釈すると、地方公共団体に条例の制定権すら存在しない事になります。

ちなみに第94条により地方公共団体による条例の制定権は認められています。

そもそも第41条から考えるなら、上述のような官僚による「事実上の立法」など問題外だし、国会の作成した法律について、裁判所が「違憲判断」の審査ができるのも説明がつきません。

「一票の格差」が第14条違反、というのもよく話題になります。

逆説的に言うと第96条自体も守られていない事になります。
なぜなら「憲法解釈」により事実上の改憲がなされているなら、改正条項には意味がないからです。

きりがないのでやめますが、我が国においてなぜ「議会制民主主義」は、まともに機能しなくなったのでしょうか?

それは「憲法」がきちんと機能していないからではないかと思います。

現在、「憲法改正」について様々な議論が存在しますが、仮に文面だけの「改正」をおこなったとしても

本当に「憲法として機能する」のか?

それとも実際には「慣習法」による建前の「憲法」とは異なる運用となるのか?


というのは重要な要素である、と考えます。

なお、「日本国憲法」については「八月革命説」についての是非、あるいは「憲法無効論」その他の議論が存在しますが、それは他の機会に論じることとします。

天皇陛下の民事責任について

2017-07-02 17:31:01 | 日本国憲法
憲法の最初の方を勉強していると、天皇には刑事裁判権/民事裁判権は無いが民事責任までは否定されないと本に書いてあったりします。

これは簡単に言うと、民事責任はあるが民事裁判権は及ばないというのは、

「民事責任がない」

となると、天皇陛下には一切の支払義務は生じない、という事になってしまうからです。

例えば天皇陛下が、宝飾品や高級食器を購入されたとしても、販売業者の側は、「民事責任のない」相手に対しては、一切の代金請求をできません。

要するに天皇陛下との間での「売買契約」が成立しなくなります。

現実問題として、それでは困るわけです。

さて、天皇陛下の「民事責任」について、憲法学会の通説では、「天皇は民事責任を負う」とされているものの、最高裁判所による判例は

「天皇には民事裁判権は及ばない」

となっています。

昭和天皇がご病気のとき、多くの自治体で病気平癒を願う記帳所が設置されたのがきっかけで、千葉県でも知事の判断によって記帳所が設置されたのですが

「このようなことに税金を使うのはいけない」

という苦情が裁判所に持ち込まれたかと思うと、いきなり住民が

「天皇は千葉県に出費をさせて、その公金を不当に得ているわけであるから、記帳所の設置に使われた公金を返還するべきであり、千葉県に代わって天皇から不当利得を取り戻す」

という理屈で、裁判を起こしたのです。

以下は、最高裁判所による平成元年11月20日の判決です。

「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である」

この判決には多くの批判がありましたが、とりあえず、こう考えてみてください。

仮に天皇陛下が民事裁判で敗訴するようなことがあれば、裁判官が陛下に賠償金の支払いを命じることになります。

一裁判官が天皇に支払いを命じるということは、憲法第一条の象徴規定の趣旨を否定する事になります。

具体的に言うと、天皇陛下の民事裁判権を認め、結果的に陛下が膨大金額の賠償をしなくていけなくなった場合

債権者は皇室の御物、例えば皇室が収蔵する美術品や、宮中三殿、さらには三種の神器でさえも、皇室財産である以上、これを差し押さえることが出来てしまいます。

特に、三種の神器は天皇が天皇たるあかしであり、これを裁判所が差し押さえる、という状況は、日本国の象徴たる天皇の存在理由を、裁判所が否定する事となってしまいます。

結局、象徴の否定は「日本国憲法」それ自体を否定する事にもなるわけです。

である以上、はじめから「天皇陛下の民事裁判権」を認めるべきではありません。

天皇には刑事裁判権?民事裁判権は無いが民事責任までは否定されない

というのは、そういう意味です。

前川前次官の証人喚問問題は「日本国憲法」なるものが形骸化している証拠の一つである

2017-06-06 23:56:49 | 日本国憲法
前川前次官の証人喚問、自民が拒否 加計学園問題
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK5V2T7WK5VUTFK001.html

民進、共産、自由、社民の野党4党は26日、学校法人「加計(かけ)学園」が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、「行政がゆがめられた」などと証言した前川喜平・前文部科学事務次官の証人喚問を求める方針で一致し、与党側に求めた。安倍晋三首相が出席する集中審議も要求したが、自民党は証人喚問を拒否し、集中審議は「即答できない」と答えた。

民進、共産など野党4党の国会対策委員長は26日午前、国会内で会談。疑惑の解明には、前川氏の証人喚問と首相を直接ただす予算委員会での集中審議が必要との認識で一致した。

その後の自民、民進国対委員長会談で、民進の山井和則国対委員長は「首相の今までの説明が事実と違うとの大きな疑惑になっている。与党は説明責任を果たしてもらいたい」と前川氏の証人喚問と集中審議を求めた。一方、自民の竹下亘国対委員長は「証人喚問は必要ない。話としては面白いが、政治の本質に何の関係もない」と拒否。集中審議については「調整が必要で即答できない」と答えた。

(朝日新聞デジタル 2017年05月26日 12時08分)

→この件について、つくづく思ったのは、仮にも「護憲」、もしくは「改憲阻止」を標榜する野党の皆さんが

「日本国憲法」について、なーんにもわかっていない

ということです。

そもそも「日本国憲法」第65条はこうなっています。

行政権は、内閣に属する。

当然ながら行政権は内閣府にありますので、例えば獣医学部なりを新設するかどうかの決定権は内閣にあります。

しかるに

前川氏はそれを「行政が歪められた」と評したわけです。

これは言い換えると

国政選挙により選ばれた政治家による「内閣府の決定」について

国政選挙により選ばれたわけでもない官僚(正確には前川氏は元官僚)が

国の施策や方針を「自分たちの判断で決定し」、国政選挙により選ばれた政治家(国民の代表)が、それを覆したことについて

「行政が歪められた」

と明言したわけです。

そして「与党追及」を行う野党の皆さんも、この「日本国憲法」第65条に規定された「行政権は、内閣に属する」という事実を完全否定して、与党に「説明責任」を追及し

前川氏の証人喚問と首相を直接ただす予算委員会での集中審議を要求している

そして、与党も「内閣に属する行政権を行使したにすぎない」と反論することもない。

「日本国憲法」(少なくとも第65条)って、何のためにあるのでしょうか?

それとも「日本国憲法」なるものは国家の最高法規を自称していても

実務にあたる官僚もですけど

国政の側も、内心はそう思っていないということでしょうか?

とりあえず「護憲」を主張する一部野党の人たちも

「憲法」の意味なんか、サッパリわかっていないというお話です。