Shpfiveのgooブログ

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いわゆる「押し付け憲法論」について、その経緯

2017-06-05 23:13:27 | 日本国憲法
我が国が受け入れた「ポツダム宣言」の第12項についてですが

ポツダム宣言

http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
(前記諸目的が達成せられ、且日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、聯合国の占領軍は、直に日本国より撤収せらるべし)

との文言があることから考えても、もし「憲法改正」を行うのであれば日本国民が主体的に行うべきであったにもかかわらず、結果的にみると、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) などの強力な指導の下で決められたとしか言いようがありません。

事実関係でみても

マッカーサー3原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日

http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html
>2月1日付け毎日新聞に掲載された「松本委員会案」の内容が日本の民主化のために不十分であり、国内世論も代表していないと判断したマッカーサーは、民政局に対して憲法草案を作成するよう命じた。その際、マッカーサーは、憲法草案に盛り込むべき必須の要件として3項目を提示した。いわゆるマッカーサー3原則である。その3原則のうちの一つが、第9条の淵源となった戦争放棄に関する原則であった。

少なくとも「日本国憲法」が、この「マッカーサーノート」をベースに作られたことについてはは疑問の余地がありません。

さて「ポツダム宣言」を条約である、と考えた場合、我が国のみならず、連合国もこの宣言の内容に拘束されるはずです。

わかりやすく言うと、ポツダム宣言に定められた「範囲を超えた以上のこと」を、日本側に要求してはならない国際法上の義務が発生します。

もっともポツダム宣言受諾の際に、連合国による有権解釈権があった、という論点は存在しますが、これとても「不法な解釈」まで許されるわけではありません。

このことは

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
(吾等の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、『吾等が外れることもない。』執行の遅れは認めない)
 (『』付けは私)

という条文からも裏付けられます。

さて「ポツダム宣言」は、日本側に対して「憲法の改正」を要求しているでしょうか?

原文をお読みいただければご確認いただけると思いますが、憲法の改正を直接要求した条項は存在しません。
(あれば、その時点でハーグ陸戦条約第43条違反です)

ハーグ陸戦協定

第四三條 國ノ權力カ事實上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶對的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ囘復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ盡スヘシ。
(国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。)

 ただし民主主義的傾向の「復活強化」、基本的人権保障の確立、軍国主義の除去などの義務の履行は必要とされていましたので、事実上「ある程度の改正」は必要だったわけです。

帝国憲法を全面的に、かつ根本的に改正すべし、という要求は、ポツダム宣言のどの条項にもありません。

しかるに「マッカーサーノート」には

天皇主権→国民主権

戦争放棄

などがあるわけです。

仮に「松本委員会案」による憲法改正案に問題があったとしても、試案ですからやり直しをさせればよかっただけの話です。

さて我が国の敗戦により、GHQによる占領統治が行われたわけですが、ではGHQに憲法案を作成する権限があったのでしょうか?

答え 「ありませんでした」。

その権限は、FEC(極東委員会)にあったのです。

 それについては、FECの設置を定めた1945年12月28日に発表された「モスクワ外相会議コミュニケ」の中に明記されています。
(日本管理法令研究会「日本管理法令研究」1巻7号に収録)

その7項目のうち、2項目に「極東委員会及び連合国日本理事会」という箇所があり、そのなかの「3 合衆国政府の任務の第3節」には

但し日本の憲政機構、若くは管理制度の根本的変更を規定し、又は全体としての日本政府の変更を規定する指令は、極東委員会の協議及び合意の達成のあった後に於てのみ発せられるべきである。

と、あります。

マッカーサーが、なりふり構わず短期間に憲法案の作成を急がせ日本政府に提示したのは、予定される2月26日のFEC第1回会議までになんとか既成事実を作りたかったからであり、これは国家間の約束から、第1回会議に至るまでのグレーゾーンの中に逃げ込むための手段だったわけです

アメリカ合衆国の意向として、確かに昭和天皇の「戦争責任」を追求するよりも、その存在を戦後の統治に役立てたいというものがありましたが、昭和天皇を裁判にかけて天皇制を廃止すべしとする国々(旧ソ連、オーストラリアなど)を含む極東委員会(FEC)が設立され、昭和天皇を裁判にかけて「天皇制」を廃止すべしとする決定がなされれば、マッカーサーといえども従わざるをを得なくなります。
(ちなみにアメリカ合衆国自体も「天皇制」の廃止は、必ずしも否定していませんでした)

マッカーサーは上記の意図からも「天皇制」を残すべきである、と判断していましたからFECができて上記のような決定がなされる前に、「象徴天皇」という形をとり、民主主義の憲法案を急いでつくらせ、それを日本政府に受け入れるよう迫ったというわけです。

なお実際には「憲法9条 」については、時の総理であった幣原喜重郎の発案であった、という説があります。
http://kenpou2010.web.fc2.com/15-1.hiranobunnsyo.html

>それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。
世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。だが何らかの形における世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。
凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。しかしその武力は一個に統一されなければならない。二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。
そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは日本である。徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。この例は世界を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。
要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展しその同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行うほかはない。このことは理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた訳だ。

(中略)

この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。もっとも天皇制存即と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。

(中略)

この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。
松本君にさえも打ち明けることのできないことである。
(引用終了)

この話は、時々「日本国憲法は押しつけではない」という論法の根拠として使われますが、問題点がふたつ。

>そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが

そもそも占領軍側の「命令」として出た時点で「押しつけ」であり、発案者が誰か、ということよりもそちらの方に問題があります。
またこの事は、その後官僚などが自分の提案を実現させたいときに「アメリカという外圧」を使うという伝統を作ることとなりました。

>松本君にさえも打ち明けることのできないことである。

少なくともその時点で、松本烝治国務大臣による憲法問題調査委員会により「憲法改正要綱」が作成され、正規のルートで総司令部に提出されていました。
これを無視して事実上の「命令」という形で「マッカーサー草案」を受け入れる、という形にした事は、その後の「日本国憲法」に影をおとすことになります。

いずれにしても、昭和天皇が処刑され、「天皇制」廃止ということにでもなれば、我が国は近年でいえばアフガニスタン、あるいはイラクなどのような内乱状態になり、戦後統治も戦後復興もままならなくなり、疲弊しきっていた我が国は更に無茶苦茶になっていたでしょう。

事実として言えば、マッカーサーが、昭和天皇を裁判にかけず天皇制を残そうとした理由はいろいろ考えられますが、自身が日本の戦後処理の最高責任者であったこと、及びアメリカ主導で日本の戦後統治・復興を図ることで今後の日本にアメリカの影響力を及ぼそうとしたということが大きいかと思います。
この当時、すでにに米ソの対立は始まっていましたし、場合によっては昭和25年の朝鮮戦争は、朝鮮半島ではなく戦後間もない我が国で行なわれていた可能性もあります。

なので

「押し付け憲法}=悪

という単純な図式にはなりません。

ただし「GHQ案が押し付けではない」というのも、また事実ではありません。

そして日本国政府もそのまま受け入れたのではなく

『あくまでも日本国政府が修正・整序し、戦後の新しい議会(国会)が帝国憲法第73条の改正手続によって議決し、天皇が公布した』

という形式を整えたのが「日本国憲法」ということになります。

問題はその後、憲法を一度も見直すことができないまま、長い長い年月を無為に過ごしてしまったことになります。

なおアメリカのセオドア・H・マックネリー教授は、「日本国憲法」前文の原典として、「(1)アメリカ合衆国憲法 (2)リンカーンの ゲテイスバーグの挨拶 (3)マッカーサー3原則 (4)3国のテヘラン会談の宣言 (5)アメリカの独立宣言」をあげています。
(『憲資・総』第35号より)

ただし「国民意思の主権を宣言し、この憲法を制定」(昭和21年3月6日草案前文)するという国民主権の宣言規定の根拠については示されていない、という事も付け加えておきます。


※ハーグ陸戦条約第43条は交戦中の占領に適用されるものであり、交戦後の占領である「日本国憲法」制定には適用されない、という主張が存在しますが、我が国の交戦状態が終結したのは、国際法上は「サンフランシスコ平和条約」締結後ですので、この論点は無意味です。
そもそも「ポツダム宣言」に明文で「抜本的な憲法改正」を要求すること自体が第43条違反であり、ゆえに、それは行われていません。

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