史報

中国史・現代中国関係のブログ

失地農民が市民化する経路の探求

2009-08-12 12:22:13 | Weblog
「失地農民が市民化する経路の探求――成都市郊外六失地農民社区調査」
呉志明 黄雅宝 肖晴賀 珍任潔
中国社会学網 2009-07-20
http://www.sociology.cass.cn/shxw/shld/P020090720388036562551.pdf

3 失地農民の市民化の経路

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(1)失地農民を再就職に導き、就職率を安定し、就職の質量を高めていく

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(2)失地農民の市民意識を高めていく
 先に我々は失地農民には市民意識が弱いという特徴があることを述べた。そして都市化の水準と質量を促進し、失地農民の市民化を促進していこうとすれば、失地農民の市民意識を高めることは一つの重要な措置である。失地農民自身から出発し、その市民意識を高めることで初めて、真にその市民化プロセスを実現することができるのである。

 我々課題グループは、「どうして社区には文化教育の方法みたいなものはあるのに、例えば教育の大家がついでにごみを捨て、芝生を愛護するようなことができないのでしょうか」と、定年退職された王元昭先生を取材すると、以下のような回答を得た。

 ――やってるじゃないか、いつも『社区をきれいにしよう』という放送を聴いている。それにどの建物にも棟長(幢長)がいて、その建物を訪問することを通じて、どの家も対面的に教育を行っている。棟長の手当ては毎月50元から100元だ。千円資料なども一戸ごとに配布している。ボランティアサービスの団体もいる。主に宣伝工作、文明の監督に従事している。休みの期間は棟長は小学生を連れて監督し、小学生に与える効果はさらに大きい。社区の指導の下で、一系列の方式を通じて都市を文明にし、あるいはさらなる合理的な文明に、誰に対しても特になる規則が社区の一人ひとりに伝達され、これらが彼らの心中に深く入り込み、教育と模範の方法を通じて失地農民の市民意識を高めていく。例えば三元社区と同じように、棟ごとに棟長を設置し、関連するニュースの伝達、関連する知識の教育と関連する行為の監督を行い、そしていくつかのボランティアサービス団体を建立して社区の文化宣伝と監督工作を行っている。

 さらに王先生は同時に、社区には秧歌踊りのチーム、舞踏チーム、太極拳、太鼓・銅鑼チームがあって、それらはみな社区が率先して行い、自発的に参加していることを挙げている。そして一般的には、高齢者の参加が比較的多い。若い人は仕事を探しに行ってしまうので、一般には中高年の人だ。孫たちを学校に送ることが問題にし、お茶をゆっくり飲んで、歌を歌い、踊る。普段はみんな娯楽をし、新年や祝日の時には大いに活動して各チームから演目を出す。

 社区の組織を通じた何らかの文化活動は、一方では失地農民の休息の方法を豊かにし、他方ではこうした方法を通じて都市生活の多様多彩さを、失地農民の社区にまでもたらすものである。同時に、社区の建設では、たとえば休息のための広場のような、いくつかの文化的なインフラを重視しなければならない。三元社区では、非常に大きな和諧文化広場があり、そこでは毎日夕方に社区の民衆が踊り、世間話をすることができる。社区の通りでは健康器具が設置されてあって、彼らが身体を鍛錬するために提供されている、同時に社区は文化学習班を開設することを通じて、失地農民の総合的な文化の質を高めることができている。

(3)社区のインフラ建設を完全なものにする
 社区のインフラ建設は社区建設の基本的な作業であり、社区の各種公共サービスは住民大衆にアイデンティティや帰属意識を強化する媒介物であり、都市の現代化の建設の重要な構成部分でもあるのである。これによって失地農民の社区のインフ建設が完全なものとなることが、失地農民の市民化を促進する重要な道筋の一つなのである。和諧社会建設は社会建設を行うだけではなく、普遍性を打ち立てようとするものであり、人々が共有する公共的な生産品(基本的な物理的インフラを含む)を人の生存と尊厳のための基本的なプラットフォームとして打ちたて、そこから両極文化の解消や、貧富の格差の緩和を推進するものである。失地農民が市民の戸籍身分を持っているとしても、一人の市民になるためには戸籍上に承認されるだけではなく、教育や社会保障などの各方面においてすべて市民の待遇を受けるべきなのであり、それによってはじめて市民への社会身分の転換が実現できるのである。そして社区のインフラ建設は、こうした転換のための物質的な基礎なのである。・・・・・・・・

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「中国社会学網」に掲載されていた論文の抄訳。おそらく大学院生が書いたものと思われる。日本ももっと論文をネット上に公開してほしいのだが、どうして進まないのだろうか。たぶん論文をどんどん外部に公開しようという意欲が低いのだと思う(自分もそうだから仕方がないが)。

農民工をどう都市社会に包摂していくのかという問題が、中国では喫緊の課題になっている。この論文では、というか政府の公的な方針においてもなのだが、社区(コミュニティ)がその役割を積極的に果たすことが大きく期待されている。個人が帰属する基礎的な団体が、旧来の「単位」という職場組織から「社区」という地域コミュニティへと転換しているという趨勢は、現代中国社会論のテキストに必ず載っている基本的な知識であり、中国の社会学会でも社区研究は最もホットな話題になっている。

上の論文は社区の力量に対してやたらに楽観的なところがあるのだが(この論文だけではなく中国では一般的にそうなのだが)、なるほどと思ったのは、人口は多いが仕事がろくできず暇をもてあましてばかりの、文革世代の高齢層が社区を運営する主体として期待されてることである。中国の公園は、子供とその母親が中心である日本の公園とは異なり、大勢の高齢者が歌って踊り、トランプやマージャンに興じているという賑やかな風景が一般的である。こういう暇で余裕のある高齢者が、農民工を都市社会に包摂するための緩衝材になるという発想は、個人的には理解できなくもない。

ちなみに日本で「コミュニティ」というと「参加」や「連帯」という言葉とともに語られることが多いが、中国における「社区」は「安定」や「秩序」とともに語られることがほとんどである。政府が上から推進しているものだから、当然といえば当然なのであるが。