「母の日宣言」というものの存在をしったのは、
先日何気なく、マルコさんのホームページ「西方見聞録」を読んでいてのこと。
(「母の日宣言」に関する記述は、Diarlyの「母の日のへえ~」。)
「母の日の宣言」は、
母として、妻として、女としての立場から反戦の心を誓う宣言です。
へなちょこの しょこら。
このところ、国民投票法案が可決されたことをはじめ、
その他、戦争のできる国への地盤が徐々に固められつつあるのを感じつつ、
「戦争になったら恐いな~。どこか逃げるところないかな~。」(ーー;)
などと根性のないことを呟く日々ですが、
この宣言を、せめてブログに紹介させていただいて、
読んでくださった方と、反戦の心を共有したいと、
紹介させていただくことにしました。
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母の日宣言
立ち上がれ、母親達よ
立ち上がれ、愛情深き女達よ
立ち上がれ、信仰の違いを越えて
きっぱりと言おう
大事な問題を、お門ちがいの当局まかせにはしない
殺戮を重ねた夫を、愛撫や喝采で迎えたりはしない
息子達を連れ去って、
慈愛と寛容について母親達が教えてきたすべてのことを忘れさせることは許さない
女達の友愛は国境を越える
だから許しはしない
他国の女の息子を殺すための訓練を、自分の息子に受けさせることは
荒れ果てた大地の底から声が湧きあがり、私達女の声と一つになる
「武器を捨てよ!殺人のための刃は正義のものさしにはならない」
血は不名誉を清めはしない
暴力では何ものも獲得できない
男達が鋤や金どこを捨てて戦場に赴くように
女達よ、家事を捨てて偉大な集会に結集せよ
集まったらまず、女として、死者を追悼しよう
人類という大きな家族が平和のうちに生きることができるように語り合おう
それぞれの時代に、為政者ではなく神の刻印が残されるように
女の友愛と人道の名において、心から呼びかける
国境を越えて女の総会を招集しよう
適当な場所を選び、なるべく早い時期に
諸国の協調と
国家間の諸問題の友好的解決と
平和という偉大で普遍的な利益の実現をすすめるという目的のために
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南北戦争の時代に生きた、ジュリア・ウォード・ハウという
女性参政権運動家が起草されたそうで、訳は、
向井さんという翻訳家の方だそうです。
(「母の日宣言」で検索をかけたら、同じ内容の訳文とコメントが
紹介された複数のブログにヒットしました。)
137年も前に書かれたとは思えないほど、胸に響き、
知らず涙が出ていました。
それは、戦争というものが今もなくならず、
「戦争放棄」を世界に宣言したはずの日本においても、
戦争が人事ではない時代を切実に予感するからだと思います。
できるだけ、この「宣言」を多くの人に知ってもらいましょう。
「母」ではなくても、「女」として、あるいは、「子の親」として
感ずるものがあるのではないでしょうか。
日本が本当に、戦争をする国家になってしまうのか、
ただ、それを見ているしかないのか、できることはないのか。
太田光は、中沢新一との共著、
「憲法九条を世界遺産に」の中で、
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「『外では格好つけて世界平和を訴えて、その結果が、自分の家族や
周りの人たちが身の危険を感じることになる矛盾をどう考えているの』と。
『家族や周りの人間を守れない人が、世界の平和など口にする資格はない』と。
あなたの無邪気な”正義”こそが一番危険なのだと。
妻の言い分は正しい。」
と書いています。
ここに、ささやかなりとも、反戦の意を表明することは、太田光の妻が感じる危険を、
自分の家族にも感じさせることになるかもしれません。
それでも、ここに書こうと決意したのには、「母の日宣言」で検索し、
たまたま出会ってしまった、次の詩があります。
(この詩は、さきさんという方のブログのトップに表示されているものです。)
*************
「勇気」
平和なときに
「戦争反対!」と言うのはやさしい
みんなが同じことを言うから
戦争が始まりそうなときに
「戦争反対!」と言うのはちょっと難しい
味方があまりいなくなるから
戦争が始まってしまったら
「戦争反対!」と言うのはとても難しい
ひとりぼっちになる覚悟がいるから
*************
へなちょこのしょこら、
すぐにこの記事を削除してしまうかもしれませんが、
今言わなければ、もう言えなくなってしまうかもしれない。
そうなってしまってからでは、後悔が大きすぎるので、
今、ここで、ささやかながら
「戦争反対!」
と呟いてみるのでした。
「母の日宣言」と「勇気」をご転載くださり、ありがとうございます。とっても嬉しいです。
「勇気」は2002年秋、アメリカのイラク攻撃が始まるのではないかという恐怖のなかで書いたものです。
しょこらさんと同じく、「今言わなければ、もう言えなくなってしまうかもしれない」という思いでいっぱいでした。今も同じ思いです。
私たち一人一人の力はほんとに小さいけれど、同じ思いを持つみんなの声が集まれば大きな力になるはずです。その一心でブログを続けています。
しょこらさんのご訪問と暖かいコメント、そして、しょこらさんの勇気に、とっても励まされています。明日からもまたがんばろうと思います。本当にありがとうございました。原詩をTBさせて頂きます。
うちの子ですが、アメリカの攻撃が始まった日に
生まれました。
「ああ~。始まってしまった~。」
という、暗い気分の中で、
「このまま第3次世界大戦に
突入してしまったら、どうしよ~。
と、真剣に心配したことを思い出します。
現在は、憲法改正の論議や
国家教育がどのように変わっていくか、
ますます心配な話も多いですが、
とにかく、一人の母として、子どもには、
異文化に対する理解と寛容の精神、そして、
他者と自分と等しく尊重されるべき存在であることを
教えていきたいと思います。
このブログに興味を持ちました。
これからもなにとぞ。
帆船、じゃなくて反戦ってとっても普通なことなのに
語るのに勇気が要るってのはやっぱ時代がヘンな方向
に突っ走ってるな~って辺野古の海情報を聞きながら
考えています。
コメントいただきありがとうございます。(*^_^*)
>マルコさん
「反戦」
って、年々、言いづらいムードになってきていると
思います。
戦争のできる国づくりへむけて、
着々と「改革」がなされるなかで、
暗い気持ちになることが毎日です。
第二次世界大戦のときも、「大正デモクラシー」という
「自由」な時代の後に、急速に戦時体制へと移行していった日本。
また、「世界一進んでいる」と言われた、
「ワイマール憲法」を持ったかつてのドイツが、
ナチズムに染められていく経緯などを思い浮かべると、
今、「自由」に育てられてきた
「戦争を知らない」子どもたちの国 日本が、
再び、何かの名のもとに、若者に命を差し出させる国に
変わってしまうことは、いかにも容易いことのように
感じられます。
ただ、ネット社会になり、以前になかった犯罪や
社会的問題が増えた反面の利点として、
当局側が、情報操作をしようとしても、
しきれない面が出てきたというのが、
前の大戦のときと大きく異なる点だと思います。
個々の人間が、反戦を訴えるメッセージを出していくこと、
新聞やテレビで報道されない出来事を報告していくこと、
またそうした情報へアクセスしていくことで、
つながっていけるかもしれない、というのが、
ささやかな希望です。
毎日、新聞を読むたびに暗い気持ちになって
しまうのですが、実際に自分が何ができるかって
いうと・・・
戦争だけは絶対にイヤだけど、確実に戦争の方へ
日本は向かっています。
反対する気持ちを持つだけでなく、なにか行動しな
いといけないと思いつつ何もできていない自分も
ふがいなくて情けないです。
容易に挫折しやすい しょこらとしては、
「思い続けるだけ」でも、とても大変で
大切なことだと思います。
生活していくだけでも、いっぱいいっぱいの
ことってありますし、自分を大切にすることが
何より大事な時期も人生の中にはあると思います。
現在、病院通いを続けている しょこらですが、
一昨日、ドクターに、
「今は、充電期間中なので、さきのことを色々
考えるのはやめて、リラックスして、
何もしない日もOK。
むしろ、うろうろしないで、家でゆっくり
しときなさい。」
と言われました。
それに、こちらにコメントいただいただけで、
十分「行動」してることになると思います。
事実、しょこら、すごく励まされましたし。
こういう気持ちのつながりが、これからの時代
何よりも大切なのだと思います。
コメントくださって、本当に有難うございました。
徴兵は命かけても阻むべし母祖母おみな牢に満とも(石川百代さん当時75歳)
反戦を口にする女で収容しきれないほどに牢があふれかえる光景を想像するとむしろ楽しくなります。当時の有事立法に対する危機感もさることながら、女性の心意気にヒットして全国に広まったのではないでしょうか。わたしもうろ覚えでしたので、この度、検索して具体的なことを知りました。
戦争を経験された世代の方の、
「家族みんなが牢に入れられてしまったとしても」
という覚悟は、
「ほんとに牢に入れられてしまうことがあったのだ」
という現実味を感じます。
しょこら、戦争については、
「はだしのゲン」
の印象が一番大きいですが、単に牢に入れられる
だけでなくて、拷問などもあったのでしょうね。
今は、平和な時代と錯覚しそうな日本で、日常を送りつつ、
「命かけても、徴兵阻むべし」
という覚悟の人がどれだけいるか。
命はかけられなくても、
「改憲断固反対!」
という人が、どれだけいるか不安になります。
むしろ、メディアの論調によっては、いつもまにか、
「やっぱ、武力放棄はむちゃやで!」
という世論が圧倒的に増えていたりして。
そうならないよう、今のうちに、少しずつ、
「戦争反対」の輪を身近につくって行きたいものだと
思います。
戦争が実際に始まってしまったら、それこそ、
「反対」とは口に出せなくなってしまうと思うので。