古漢籍に見る[氣]の思想②
引き続き<易教>以後の古漢籍について見てみよう。
2.<孫子兵法> [春秋、(紀元前515年~紀元前512年)] 成立
古漢籍(詩経・周易・尚書を除く)の中で『氣』の成語が初めて現れるのは、孫武が著した<孫子兵法>である。ここでは士気・鋭氣など心の在り方についての成語のみに限られてはいるが、単なる物質的現象として認識していたのではなく、既に霊妙なエネルギ-の発露として『氣』の姿を捉えていたことが解る。
『氣』の字は、全てで7個登場する。その内、『氣』字単独で用いられている数は3個、成語は以下の4種類である。すなわち、
①.物理的実体(形而下的対象)としての捉え方をした成語群。
・なし。
②.心理的実体(形而上的対象)としての捉え方をした成語群。
・朝氣:張り詰めた高い士気。
・昼氣:弛みきった士気。
・暮氣:帰陣の事で頭が一杯になり戦意を失った士気。
・鋭氣:鋭い気性
③.総合的実体(全的対象)としての捉え方をした成語群。
・なし。
朝氣・昼氣・暮氣などの成語は「観天望氣」を想像させるが、「望氣」と云う言葉は見当たらない。孫子と雖も兵法とまで昇華させるには至らなかったと云う事か?次の<墨子>の中でこれが出てくるのだから、皮肉なものである。
[参考]
・実体二元論とは、
①.物理的実体(形而下的対象)
②.心理的実体(形而上的対象)
③.総合的実体(私的追加区分)
・<孫子兵法、軍爭>
「5故三軍可奪氣,將軍可奪心。是故朝氣銳,晝氣惰,暮氣歸;故善用兵者,避其銳氣,擊其惰歸,此治氣者也。・・・」
・<孫子兵法、九地>
「3凡為客之道,深入則專,主人不克,掠于饒野,三軍足食,謹養而無勞,併氣
積力,運兵計謀,為不可測,投之無所往,死且不北,死焉不得,士人盡力。・・・」
3.<墨子> [春秋~戰國、(公元前490年~公元前221年)] 成立
成語の種類も多くなり、心理面での進展が見られる。<墨子>は、兎角「兼愛・非攻」で論じられることが多いが、「戦技・攻防」の部分で『氣』の字が多用されている處に特徴がある。
『氣』の字は、全てで15個登場する。その内、『氣』字単独で用いられている数は5個、成語は以下の10種類である。(但し、人乞→人氣は除く)すなわち、
①.物理的実体(形而下的対象)
・望氣:雲氣の状態を見て、吉凶などの状況判断を占うこと。
・大将氣:大将たるべき者の居る所に立ち上る雲気。大将が現れる気配。
・少将氣:少将たるべき者の居る所に立ち上る雲気。少将が現れる気配。
・往氣:進軍機会を暗示する気配。
・来氣:迎撃機会を暗示する気配。
・敗氣:敗色(敗北)を暗示させる気配。
②.心理的実体(形而上的対象)
・血気:血の気。活力。
・民之氣:民衆の意気込み(気持ち)。
・志氣:意気込み。
・客之氣:敵の士氣。
③.総合的実体(全的対象)
・なし。
[参考]
・<墨子、卷一>
「1今夫子曰:『聖王不為樂』,此譬之猶馬駕而不稅,弓張而不弛,無乃非有血氣者之所能至邪?」
・<墨子、卷十>
「11實:其志氣之見也,使人知1己。不若金聲玉服。」
・<墨子、卷十五>
「2凡望氣,有大將氣,有小將氣,有往氣,有來氣,有敗氣,能得明此者可知成敗、吉凶。舉巫、醫、卜有所,長具藥,宮之,善為舍。巫必近公社,必敬神之。
巫卜以請守,守獨智巫卜望氣之請而已。・・・」
「3・・・靜夜聞鼓聲而譟,所以閹客之氣也,所以固民之意也,故時譟則民不疾矣。」
・<墨子、巻九>
「3・・・是若人氣,鼸鼠藏,而羝羊視,賁彘起。・・・」
・・・是れ人の氣(乞=こいもとめ)るが若く、鼸鼠(けんそ)藏し、而して羝羊視(ていようし)し、賁彘(ふんてい)起こる。・・・」
(注)乞の意味で氣の字が用いられている。
・雲氣:水氣が凝結して出来たものが雲で、雲氣とも云われた。
・水氣:1.五行中の水の精氣。2.水上の霧氣。中医學で云う寒水の氣。
ここでも『氣』の思想を問題にしていると言うよりも、何の抵抗も無く『氣』の字を使っており、この頃になると『氣』の思想も大分固まって、市井では普通に使われていたようである。
4.<論語> [春秋~戰國、(紀元前480年~紀元前350年)] 成立
<論語、述而>「20.子不語怪力乱神」とあるほどだから、孔子は怪的なものや神的なものには触れなかったというが、『氣』の霊的な部分もその範疇に入っていたのかも知れない。
『氣』の字単独では用いられておらず、成語も僅かに以下の3種類である。すなわち、
①.物理的実体(形而下的対象)
・辭氣:話しぶり。言葉の勢い。
・屏氣:息を止めた状態。息使いをひそめること。
②.心理的実体(形而上的対象)
・血氣:血の気。活力。
③.総合的実体(私的追加区分)
・なし。
ここでも<墨子>と同様な使われ方をしており、息遣いとか生命力とか云った現実的な使用例しか見当たらない。
[参考]
・<論語、泰伯>
「4・・・鳥之將死,其鳴也哀;人之將死,其言也善。君子所貴乎道者三:動容貌,斯遠暴慢矣;正顏色,斯近信矣;出辭氣,斯遠鄙倍矣。籩豆之事,則有司存。」
・<論語、鄉黨>
「4・・・攝齊升堂,鞠躬如也,屏氣似不息者。出,降一等,逞顏色,怡怡如也。」
・<論語、季氏>
「7孔子曰:「君子有三戒:少之時,血氣未定,戒之在色;及其壯也,血氣方剛,戒之在鬭;及其老也,血氣既衰,戒之在得。」」
5.<老子道徳経> [戰國、(紀元前475年~紀元前221年)] 成立
ここでは<論語>の場合とは反対に、例示は少ないが心理的な面での記述が目立つ。
『氣』の字は以下のように、単独(氣力と精氣と云う意味で使われている)で2個、成語が僅かに1個登場するのみである。すなわち、
①.物理的実体(形而下的対象)
・なし。
②.心理的実体(形而上的対象)
・冲氣:天地間の調和した根元の氣。(陰陽の二気が互いにぶつかり合った結果、融合して生じた調和の執れた中和の氣。)
③.総合的実体(私的追加区分)
・なし。
さてここに来て始めて、老子ら道家が唱える「宇宙生成論」の中で重要な位置を占める『氣』の思想が登場してくる。道家では、『氣』の占める位置は非常に高いのだが、<道徳経>では何故かそれに関連するものは、この『冲氣』の一成語のみで、これに「萬物負陰而抱陽」なる記述を含めても、関連する言葉の記述が余りにも少ない。しかも『氣』の生じる過程の文章が簡潔過ぎるので、理解に苦しむと同時に多くの論議を呼んでいる。
以下にその見解を纏めておこう。
その一文とは「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず。萬物は陰を負い而して陽を抱き、冲氣は以て和を為す。」なるもの。一・二・三とは一体何を意味するのだろうか? 人に由っては無用の詮索で、要するに『道』から『萬物』が生まれてくる過程を示していることが解れば良いとする見方もあるが、気になる所である。後半に陰と陽、更に氣という具体的な言葉が出てくるのに、何で前半にそれらの文字を使わないのだろうか?何かそこに隠された意図があるのではないかと云う疑問も湧く。そこで、順次私見を纏めて試ることにする。
・『道』の性格
老子が主張する『道』とは、儒家の標榜する人として守るべき「五常の徳」の事ではなく、宇宙全体を対象にした根本哲理即ち宇宙を秩序立てている『道理』のことである。すなわち、宇宙を宇宙たらしめている『規範』そのものが『道』の姿であり、『道』とも『理』とも『道理』とも云われる形而上の不可視的対象に当たるものである。老子はこの『道』には萬物を生み出す機能も備えていると考え、「道者萬物之奥。」とか、「淵兮似萬物之宗。」とか称して、『道』が宇宙の『規範』以外に、萬物の根元であることを強調している。先に「三才思想」で示した様に、『道』なる姿は微(捕まえられぬ程の微細さ)であり・希(聞こえぬ程の希弱さ)であり・夷(見過ごす程の平易さ)であり、天地に先んじて生じ、無為にして無不為とある。現代風に云えば、恰も重力を有しながら検視出来ずにいる宇宙を満たす『暗黑物質』そのものと云ったところか?後年この『道理』は、萬物の根元となる精氣と不即不離の状態に有ると考えたのが、南宋の朱熹の理氣二元論である。
・『一』の意味
萬物が構築される第一段階は、純然たる道理と別れた萬物の根元となる精氣(元氣・体氣)が姿を現した状態である。即ち、形而上の絶対無である『道』から形而下の有形の精氣が分離されて現れたものが『一』なる表現となる。<説文解字>の『一』の字の説明に、「惟初太始,道立于一,造分天地,化成萬物。」なる表現があり、道は一を擁立して現実のものとなり、天と地を造り分け、萬物を生み育てたと解説している。
・『二』の意味
<淮南子、天文訓>に、「16道始於一,一而不生,故分而為陰陽,陰陽合和而萬物生。故曰「一生二,二生三,三生萬物。」」と有り、道は『一』のままでは何も生ぜず、分かれて陰と陽と為り、陰と陽が交ざり合って萬物が生まれることになる。だから老子は、「一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ずる。」と表現しているのだと解説している。<説文解字>では、二は「地之數也。」と記され、
〔易経〕の「天は一、地は二なり」の記述から、天が一番目に、地が二番目に生み出されたので、『二』が地の数だとしている。
・『三』の意味
古来、『三』を『多』とか『無限大』と解釈していた節がある。たとえば故事の、<春秋左氏傳>に有る「三折肱」、<春秋外伝>に有る「三纂三浴」、<三国志演義>に有る「三顧茅廬」、<史記>に有る「韋編三絶」、<戦国策>に有る「三人成虎」、などはその例で、枚挙に暇ない。また、<説文解字>に有る、「森:木多皃。」・「轟:羣車聲也」・「劦:同力也。」・「驫:眾馬也。」なども『三』が意味する『多』の観念を証明するものであろう。この他に、生成発展の基数としての『三』、<説文解字>に有る「三:天地人之道也。」の『三才』、などの用い方もされている。
以上の知識を考慮して、先に述べた<老子道徳経、第四十二章>を噛み砕いた形式で訳してみよう。すなわち、
「宇宙の秩序を守り、万物を生み出す天下の母でもある無為なる『道』が、活動を始めて具有する万物生成能力を分離し、万物の精氣を顕現させた『一』の状態を出現させ、次いでこれを陰の性格と陽の性格を持つ『二』つの精氣に分離し、更にこの二精氣の感応による調和の取れた冲(和)の氣を生じて、最終的には『三』個の精気が出現することになる。こうしてこの世の萬物は、『陰性の精氣』と『陽性の精氣』と『調和の取れた冲氣』の三氣から創り出されることになる。萬物は陰の性格を背に負い陽の性格を胸に抱いて葛藤しながら活動することになるが、その調整を図って天下の調和を保つのが冲和の氣から成る人間の役目なのである。」
[参考]
・<説文解字>
道:所行道也。
行く所の道なり。
道とは、宇宙自然を貫く唯一絶対の根源的究極の原理。
一:惟初太始,道立于一,造分天地,化成萬物。
維れ初め太始、道は一に於いて立ち、天地を造分し、萬物を化成す。
そもそも宇宙の始めに、道は一を擁立して現実のものとなり、天と地を造り分け、萬物を生み育てた。
二:地之數也。
地の数なり。〔易経〕の「天は一、地は二なり」の考え方に基づく。
天が一番目に生み出され、地が二番目に生み出された。
三:天地人之道也。
天地人の道なり。
天と地と人たる三才の守るべき規範。
・<釋名、釋天>
「12陰,陰也,氣在內奧蔭也。」
「13陽,揚也,氣在外發揚也。」
・<老子道德經>
「42道生一,一生二,二生三,三生萬物。萬物負陰而抱陽,冲氣以為和。・・・。」
道は一を生(しょう)じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ずる。萬物は陰を負い而して陽を抱き、冲氣は以て和を為す。・・・。
「道が精氣を生み出し、その精氣が陰性と陽性の二氣に分かれ、その二氣が相剋して冲氣を生み出して三氣に分かれ、この陰の精氣・陽の精氣・そして新たな冲氣の三つの働きでこの世の萬物が生み出される。生み出された萬物は陰の性格を背に負い陽の性格を胸に抱いて相剋しながら存在するが、調和のとれた冲氣がその間に入って上手く調整する事によってこの世の秩序が保たれているのである。」
・<馬王堆帛書、老子乙德經> 前漢・文帝の12年(紀元前168年)の遺物
「5道生一,一生二,二生三,三生□□□□□□□□□□□以為和。人之所亞,唯孤、寡、不穀,而王公以自□□□□□□□云云之而益。□□□□□□□□□□□□□□□□吾將以□□父。」
欠損部分の文字が非常に気にかかる。字体にも興味をそそるものがある。
[感想]
これまで述べた老子の「氣の思想」のほかに、同じ道学に属する別の流れが有ったらしい。近年発掘された楚簡類にそれが紹介されている。一つは紀元前300年頃(戦国中期)の物とされる『郭店楚簿竹簡』の中に有る「太一生水」なる文献に示されている。すなわち、
・<太一生水>
「太一生水。水反輔太一,是以成天。天反輔太一,是以成地。天地復相輔也,是以成神明。神明復相輔也,是以成陰陽。陰陽復相輔也,是以成四時。・・・成歳而止。
・・・是故太一藏于水,行于四時、周而又始,以己為万物母。・・・下土也而謂之地。上气也而謂之天。道亦其字也,・・・、天不足於西北,其下高以强。地不足於東南,其上卑以強。・・・」
「太一が水を生ず。水は反(対)に太一を輔(たす)け、是れを以て天を成す。天は反(対)に太一を輔(たす)け、是れを以て地を成す。天地は復た相い輔け、是れを以て神明を成す。神明は復た相い輔け、是れを以て陰陽を成す。陰陽は復た相い輔け、是れを以て四時を成す。・・・歳を成して止む。・・・是の故に
太一は水に藏(ひそ)み、四時に行(めぐ)り、周(あまね)くして又た始め、以て己れを萬物の母と為す。・・・下土なるものは而(すなわ)ち之れを地と謂う。
上氣なるものは而ち之れを天と謂う。道は亦た其の字(あざな)なり、・・・天は西北に於いて足らず、其の下は高くして以て強し。地は東南に於いて足らず、其の上は卑(ひく)くして以て強し。・・・」
(注) 太一:宇宙万物の本源。神明:天地の神々。
四時:四季のこと。歳:一年の周期。
天:上の方に溜まった氣。 地:下の方に積み重なった土。
ここでは、太一から始まる太一→水→天→地→神明→陰陽→四時→滄熱→湿燥→歳と云う宇宙生成論が見られる。老子の観念的発想に対して、時代が下ったせいか具象的発想に重きを置いている處は、当然のことと云えようか?
もう一つは紀元前280年(戦国晩期)の物とされる『上博楚簡』の中に有る「恆先」なる文献に示されている。すなわち、
・<恆先>
「<上篇> 恒先無、有質・静・虚。・・・或作。有或焉有气,有气焉有有,有有焉有始,有始焉有往者。未有天地,未有作行。出生虚静、为一若寂、梦梦清同而未或明、未或滋生。气是自生,恒莫生气。气是自生自作。恒气之生,不独有与也。・・・濁气生地,清气生天。气伸神哉,云云相生,信盈天地。同出而异性,因生其所欲。 业业天地,纷纷而复其所欲。明明天行,唯复以不廢。・・・。
<上篇> 恆の先は無なるも、(气)質・静(境)・(沖)虚有り。・・・或(わく)作(おこ)る。或有れば焉(すなわ)ち气有り、气有れば焉ち有有り、有有れば焉ち始め有り、始め有れば焉ち往く者有り。未だ天地有らざれば、未だ行を作すこと有らず。出でて虚静より生じれば、一為ること寂の若く、梦梦清同(ぼうぼうせいどう)にして未だ或は明らかならず、未だ或は磁生せず。气は是れ自ら生じ、恆は气を生じること莫し。气は是れ自ら生じて自ら作る。恆は气の生じるや、独り与すること有らざるなり。・・・濁气は地を生じ、清气は天を生ず。气の伸びるや神なるかな、云云相い生じて、天地に伸盈(しんえい)し、同出にして性を異にし、因りて其の欲する所に生ず。紛々として其の欲する所を復(くりかえ)す。
明明たる天行、唯だ復すのみ以て廃せられず。
<中編> 略。
<下篇> 略。
ここでは、恆(無にして、質・静・虚を含む)→或(气が存在し有にして、大質・大静・大虚を含む)→濁气(地)・清气(天)・諸气(萬物)と云う宇宙生成論が展開されているが、「恆無」なる原初の段階は以後の生成に関わる「气」とは無関係で、それとは独立分離した「或→惑?」なる段階で、天・地そして萬物の生成に関わる「气」が主役を務めることになる。しかし「气」の内容については、「濁气生地,清气生天。气伸神哉,」なる説明しか為されていない。後半「恆無」の段階を無視する現世の有り方を批判することに多くの文章が裂かれているが、注視すべきものがあろう。この他道家の虚静の理論についても一考すべきものがあろう。
老子等の「宇宙生成論」を理解する上で参考になる朱子の「宇宙論」についても、簡単に触れておこう。すなわち、
・<朱子語類、理氣上、太極天地上>
「23天地初間只是陰陽之氣。這一箇氣運行,磨來磨去,磨得急了,便拶許多渣滓、裏面無處出,便結成箇地在中央。氣之清者便為天,為日月,為星辰,只在外,常周環運轉。地便只在中央不動,不是在下。」
天地は初間(はじめ)只だ是れ陰陽の氣。這(こ)の一箇の氣が運行し、磨し来たり磨し去(ゆ)き、磨し得て急了なれば、便ち許多(おお)くの渣滓(かす)を拶(いだ)し、裏面(うち)に處出するところ無ければ、便ち箇の地を中央に結成す。氣の清める者は便ち天と為り、日月と為り、星辰と為りて、只だ外に在りて、常に周環運轉す。地は便ち只だ中央に在りて動かず、下に在るには是(あら)ず。」
[参考]
・<莊子、外篇、天道>
「1・・・夫虛靜恬淡,寂漠無為者,天地之平而道德之至,故帝王聖人休焉。・・・夫虛靜恬淡,寂寞無為者,萬物之本也。・・・」
・<老子、道德經>
「16致虛極,守靜篤。萬物並作,吾以觀復。夫物芸芸,各復歸其根。歸根曰靜,是謂復命。復命曰常,知常曰明。不知常,妄作凶。知常容,容乃公,公乃王,王乃天,天乃道,道乃久,沒身不殆。」
(注)虚静:何も考えないで、心を落ち着けていること。
(03.07.01)以上
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