多くの皆様方に親しまれてきた、泉町のノンシャランさんが5月末日を
もちまして、閉店することになりました。
マスターがお亡くなりになってからはママだけで、金土営業を続け、
第3金曜日は多くのジャズキチが集まりその演奏を楽しんできましたが、
いよいよ閉店です。昨晩はマスターの後任の女性ピアニストを中心に
楽しいイベントが開かれたようです。25日は要予約でジャズライブが
開かれます。営業もあと3日です。
ノンシャランさんと私の出会いは、マスターが呉服町の「シャトレーヌ・プー」さん
という、当時静岡の名士たちが夜な夜な集まり音楽を楽しむ店にアルバイトで
エレクトーン伴奏者として入っていた頃です。25歳の私には、あこがれの世界でした。
どなたもちょっと楽器ができたり、さりげなく横文字を歌ったり。
あとで聞けば、当時3店あった各百貨店の店長やそこそこの会社の社長、
大手の銀行の支店長クラスが集まっていました。気後れしながらもカウンターに
座って、立ち居振る舞いの観察をしたものでした。
それがご縁で、マスターには、私の結婚式のBGMをお願いし、お付き合いは
深まってゆきました。
やがて、マスターは実家の土地にビルを建て、1階でドレスショップ(夜のお店用)
を始め、その後念願の自分のピアノバーを開店しました。元々ドラマーでしたが
ドラムスでは飯が食えないと、ピアノの猛特訓をしたようです。
そのマスターが病に倒れ、静岡市立病院のチームにより、AOIでピアノコンサート
が開けるようになり、なんとそのチームの中に86期のS・Mつえさんがいらっしゃったり
その部下に西武百貨店で一緒に仕事をした方がいらっしゃったり、
市立病院のドクターたちもノンシャランさんのお馴染みさんになったりでしたが、
残念ながら、お亡くなりになりました。
その後土日だけママが営業することになりまして、そのピアニストさんは
私のお花のお店のお客様だったのです。そんなこんなで何かとご縁のある
ノンシャランさんでした。
もう何年になるんだろう、毎年毎年暮れになると「お正月飾り」を買いに
お見え下さるママには、「大変、お疲れ様でした」という他はありません。