86と花咲け歌々同窓会

花咲け歌々同窓会と静高86期卒業生諸君!!好き勝手なこと書いていますが他意はありません。たかがブログ・・・・

焼津の風

2017-03-13 11:59:52 | 同窓会への道
気がつけば小2、姉が3人という環境で育ってきたので、盛んに男らしさを

アピールするようになっていました。特にプロ野球、巨人と西鉄が好きで好きで

何時も黄色い声で実況中継をやっていたようです。長島、稲尾、南海ですが杉浦、

広岡、やがて柴田や高田、コンクリートのゴミ箱の裏側にボールをぶつけてはゴロを捌く

練習は毎日。まだ舗装もしてない北街道で3角ベースの野球をやり、「おーい車がくるぞー」

の声で避けた時代です。4年の頃6年生の下手くそな奴より上手だったので、後半には

出番が回って来ます。それが嬉しくて嬉しくて。







それから60年弱ですか、野球であれだけ興奮と感激を味わったことはありません。

明日の新聞で負け記事でも見るとするかと寝室に向かおうとし、それでもあと1回表裏を

見てみようと立ち止まり、気がつけば12時を回っていました。

見事なまでの、フォア・ザ・チーム、「オレガオレガ」は一人もいません(分からないけど)

インタビューでも謙虚そのもの、一頃のお相撲さんのようでした。

あれだけの選手が一人欠けても勝利は無かったと思います。打てなかった人により、

その次の方が打つ、打ち込まれたら次の投手が修正、地味なバントはきっちり決める。

中田のホームランも素晴らしかったが、ベンチの松田のムード作り、あれも仕事、代走も良かった。

そして、特筆すべきは焼津出身の増井と牧田、静岡人を見直しました。あの、異様なムードの

球場の味わったことのない重圧に負けない精神力はどうして培ったのだろう。

見事というしかありません。今後野球であれ以上の試合は見ることができないかも

しれません。


皆さんがボソワールにお出かけくださった頃、牧田投手は階下のイタリアンのナニーニさん

のお馴染みさんだったのです。(まだ、検索すればナニーニさんのブログが出てきますので

記事を見ることができるかもしれません)←見つけたよ!読み返すと凄く勉強になることばかり。

増井投手は言わずと知れた静高119期で大活躍でした。二人が焼津出身で同い年だったのは

存じ上げませんでした。


この活躍を来るセンバツに繋げたいものです。