お馴染みのご高齢のお客様に初めて椅子に腰かけていただき、世間話をし、
話しは思いがけない方向に進み、大騒ぎ。
「長沼の日東紡はその当時軍需工場で、私はそこで事務の仕事に就いていたのよ。
そこを狙ってね、アメリカ軍が爆弾を落としたのよ、1つは市高の傍、
もう1つは沓谷のほら、もちづき整形の傍だったのよ、全然見当違いなのよね。
でも、あの頃の市高は戦争に使う何かを作っていたのよ。」
「もちづき整形は私の同級生ですよ。」
「
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「いいえ、高校です。小学校と中学校は違います。」
「じゃ、愛宕霊園のS住職は知ってる?」
「知ってますよ、背が高い和尚さんで、私の母の時に蓮永寺さんに応援に来ていました。」
「私の家はK応寺というお寺で、娘(M子さん)がもちづき整形と同級生で、
富士のお寺に嫁いだのよ。」
この辺りで、まだ後10人位の名前とボンソ絡みの話に発展しそうだなと思っていました。
この富士のお寺に嫁いだ方は、T氏と幼稚園同級生で、ボンソで行ったブランニューの
ライブにお出掛けいただいたり、Hサシ君と遊びに来たりしていました。
「それで、あなたはT中さんとはどこのお知り合いですか?」
「はい、ここの前にS光明寺というお寺があり、私が中学校の時そのお寺が
学習塾だったんですよ、そこでの友達です。その頃は中学校も違うし、
お話はした記憶がありませんが。」
「私ね、そこのお母さんと女学校時代からのお友達で、お父さんも良く知っている
人だったのよ。S光明寺の先代のご住職にもお世話になり(オレも)奥さんお嬢さん
も良く知ってるわ、お元気かしら?」
これね、ただたまたま「この時のこと」を思い出し、「昭和19年の今頃
これこれこういうことがあったのよ・・・・」という話から、色んな方が
登場しましたが毎年この季節になると思い出すのだそうです。70年経っても。
我々も3/11は忘れませんものね。
実際のお話はこの文字の5倍位、登場人物は後10人くらいいらっしゃいましたが、
突然の「爆弾」の話からここまで膨らんだことは初めてでした。