いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
Ⅰテサロニケ5:16-18
この聖書箇所から、感謝についてのお話を聞きました。
感謝しにくい出来事が起こった時にも、あえて感謝しましょう、って。
強盗に全財産を盗まれた人が「強盗にあったけれど、命が無事だったことを感謝します。全財産を失くしたけれど、それが大金ではなかったことを感謝します。
自分が強盗ではないことを感謝します」と感謝したという話。
わたしはこう思います。
そう簡単に感謝できないことだってある。
この聖書箇所の「すべてのことについて感謝しなさい」の意味は、起こった出来事に感謝するというのではなく、どんな状況の中でも、イエス様が一緒にいてくださることを感謝しなさい、という意味なのだと聴いたことがあります。
出来事について感謝するのは悪いことじゃない。
でも、それだけでは解決しないこともある。
深い傷を負った時、感謝できないのは悪いことじゃないのです。
恥ずかしいことじゃないのです。
とりあえず「感謝しましょう」と言ってはみたものの、感謝できない自分を責めたりだめだと思ったりするのは苦しいのです。
そんな風に、いい子にならなくてもいい。
。。。。というよりも、なっちゃだめなのです。
辛いことを「辛い
」、嫌なことを「嫌
」だって、神様にちゃんと言えた方がずっといい。
子どもが落ち込んでいる時、親なら言うでしょう。
「どうしたの? 話してごらん
」って。
何年も前の大晦日のことです。
家族は全員眠っていました。
真夜中にわたし一人で、心の傷からくる動悸に苦しんでいた時、イエス様が一緒にいてくれるのをすごく感じました。
しかも、わたしの苦しい呼吸に合わせるようにイエス様の呼吸も苦しんでいました。
キリストは十字架にかかっていました。
あの時、動悸の苦しみを解ってくれて一緒に苦しんでくれた存在があったから、傷ついていたわたしは慰めを受けたのです
やがて、動悸もその原因の心の傷もだんだん消えていきました。
あの時イエス様が一緒にいてくれたことに、感謝したいのです。
あの時だけじゃなく、気づかなかったけど、ずっと前から、そしてこれからもず~~っと一緒にいてくれる存在なんですね
そのことが解ってとても安心です