2007年秋にハニベ岩窟院等を回った石川・福井ツアーの時に、滋賀県は彦根市に泊まったのだが、国道8号を快走しこの施設の前を通過したときに、何の妖気も感じなかった事は大いなる不覚であったと言えよう。
このパラダイスなオーラに反応せず、何故アッサリ通過してしまったのか。
後で調べてみれば、これぞ素晴らしきB級物件、彦根IC北に築かれた「佐和山遊園」ではないか。
というわけで、半年後の2008年3月に調査を実施した。
まずは国道8号沿いにドンと構える正門風景から。
この施設、地元の実業家のじい様が1人で造ってしまったと言う巨大な歴史テーマパークである。
今でこそひこにゃんで人気の彦根城だが、もともとは関ヶ原合戦の後に、徳川の譜代大名井伊直継によって築かれた城である。 じゃあ関ヶ原前はだれが治めていたのかというと、なんとあの石田三成だそうである。
その名も「佐和山城」。 無論、関ヶ原で三成が負けると同時に、火が放たれ落城した・・・。
このじい様、熱烈な石田三成ファンらしく(まあ地元の英雄だし)、憎き徳川のイヌ、井伊氏の彦根城などとうてい認めるワケにはいかないのだが、かといって佐和山城が復元されるわけもなく・・・・ならば自分で造ってしまおうということらしい。
これだけでも偉大すぎるのだが、もっとスゴいのはこのじい様、カネを出すだけではなく、なんと自分1人で手作りしてしまったのである。(ゆえに30年以上経ってまだ未完成)
なんというファンタスティックなじいさんであろうか。 神か・・・・。
だだし1人で造っているため、工事の進捗が極めて遅いのが問題点。
かつては有料で開放していたようだが、完成前に料金箱が錆びてしまった。
それでは中に入ってみよう。
この遊園は、山の斜面に造られており傾斜がきつい。
とりあえず門を入ってから左手に山道を登ると、コンクリートの箱が並ぶのが見えてくる。
石田三成一代記と書いてあるが・・・
なんと三成の一生を紙芝居風に再現してある。 しかも何十枚と。
とりあえず、この歴史テーマパークがじい様の手作りである事だけは確認した。
なぜならどう見ても業者に依頼した絵ではないから(笑
三成への有り余る愛情は感じるが・・・
これが復元された「佐和山城」!!!
ただし、彦根城を横に潰した様なデザインで、歴史考証的にははなはだ怪しいのであるが・・・・
ただ、重機等はレンタルしたとはいえ、これを1人で工事したというのは凄すぎる。(無論ミニチュアではない)
手前の三成の銅像も無論手作り。
1番最初に造った物件のようで痛みがかなり激しいが、それでも「日本一の日曜大工」の称号に偽りは無い。
山の中腹に造ってあるため、構造が複雑かつ立体的で渡り廊下なんかもある。
子供はこういうところが大好きだ。
下界を見下ろす佐和山観音像。 さらなる遊園の発展拡張を祈願してお賽銭をチャリン。
正門から左のエリアが天守閣なのに対して、右の方は山門がある。
この奥は「佐和山城下町」という設定らしい。
なんだか門の両脇に、胴長短足の仁王様らしきものがいるが・・・・
うわ・・!!
これは何かのアニメのキャラクターか?
この塑像から醸し出される味は説明不要である。
山門の先には、またまた怪しげな像が並んでおり、その奥には金閣寺? が見えるが・・・・・・
近付くとミニチュアの大仏であった。 ただし素人工事のためか、台座に亀裂が入り、大きく後ろにのけ反ってしまっている。
10年後には崩落してしまうのでは?
この下は崖でじい様の住居があるのだが・・・・
金閣寺?に近付いてみる。 中にはまたまた手作りの彫像が並んでいる。
下手の横好きもここまでくると立派である。
ちなみにこの金閣寺もどき、銀紙の上に黄色っぽく着色したアクリル板が貼り付けてあるだけである。 これが遠くからだと意外と金箔に見えてしまうのだ。
まさにアイデアの勝利。
しかし裏に回ると、このようなスーパーハリボテ状態。
まるでドリフのセットのようだ。
遊園の工事が進むうちに逃げ場を失ったボログルマが泣かせる。
なんと「滋」ナンバーであった。
金閣寺のある高台からは、偉大なるじい様の住居が一望できる。
庭にも怪しげなオブジェがいろいろありそうだ。
その住居の裏には、このような建物も併設されている。
その名も「佐和山美術館」。
石田三成の歴史的にも貴重な資料が・・・・と言いたいのだが、どうやらじい様の製作した彫像や塑像が展示されているようである。
今までの写真にもあるとおり、あの作品のデキで1000円を徴収しようという根性だけは認めなければならない。
この施設に惜しげもなく1000円札を投げ入れ、脱力することこそB級旅行の良い思い出となるのだ。
ただし今は閉鎖されているようで、中は埃だらけ。 残念。
それにしても佐和山三成会とは何であろうか? しかも法人格って(笑
ちなみに、この「佐和山城」は歴史考証的にはまったくデタラメであるようで、彦根市の観光ガイドからは全く無視されている。
つまり個人の庭園扱いで、地図にも載っていなかったのだが・・・・・
最近になってヤフー地図に登場したことが発覚してしまった。
廃墟寸前の佐和山美術館もパッチリ載っている。
ちなみに例のインチキ金閣寺、なぜか「瑞岳寺」という名前で地図に載っているが・・・・
あんなベニヤ板のハリボテ寺が堂々と地図に載ってしまっていいのか!? ヤフーよ。
2008年3月9日訪問
このパラダイスなオーラに反応せず、何故アッサリ通過してしまったのか。
後で調べてみれば、これぞ素晴らしきB級物件、彦根IC北に築かれた「佐和山遊園」ではないか。
というわけで、半年後の2008年3月に調査を実施した。
まずは国道8号沿いにドンと構える正門風景から。
この施設、地元の実業家のじい様が1人で造ってしまったと言う巨大な歴史テーマパークである。
今でこそひこにゃんで人気の彦根城だが、もともとは関ヶ原合戦の後に、徳川の譜代大名井伊直継によって築かれた城である。 じゃあ関ヶ原前はだれが治めていたのかというと、なんとあの石田三成だそうである。
その名も「佐和山城」。 無論、関ヶ原で三成が負けると同時に、火が放たれ落城した・・・。
このじい様、熱烈な石田三成ファンらしく(まあ地元の英雄だし)、憎き徳川のイヌ、井伊氏の彦根城などとうてい認めるワケにはいかないのだが、かといって佐和山城が復元されるわけもなく・・・・ならば自分で造ってしまおうということらしい。
これだけでも偉大すぎるのだが、もっとスゴいのはこのじい様、カネを出すだけではなく、なんと自分1人で手作りしてしまったのである。(ゆえに30年以上経ってまだ未完成)
なんというファンタスティックなじいさんであろうか。 神か・・・・。
だだし1人で造っているため、工事の進捗が極めて遅いのが問題点。
かつては有料で開放していたようだが、完成前に料金箱が錆びてしまった。
それでは中に入ってみよう。
この遊園は、山の斜面に造られており傾斜がきつい。
とりあえず門を入ってから左手に山道を登ると、コンクリートの箱が並ぶのが見えてくる。
石田三成一代記と書いてあるが・・・
なんと三成の一生を紙芝居風に再現してある。 しかも何十枚と。
とりあえず、この歴史テーマパークがじい様の手作りである事だけは確認した。
なぜならどう見ても業者に依頼した絵ではないから(笑
三成への有り余る愛情は感じるが・・・
これが復元された「佐和山城」!!!
ただし、彦根城を横に潰した様なデザインで、歴史考証的にははなはだ怪しいのであるが・・・・
ただ、重機等はレンタルしたとはいえ、これを1人で工事したというのは凄すぎる。(無論ミニチュアではない)
手前の三成の銅像も無論手作り。
1番最初に造った物件のようで痛みがかなり激しいが、それでも「日本一の日曜大工」の称号に偽りは無い。
山の中腹に造ってあるため、構造が複雑かつ立体的で渡り廊下なんかもある。
子供はこういうところが大好きだ。
下界を見下ろす佐和山観音像。 さらなる遊園の発展拡張を祈願してお賽銭をチャリン。
正門から左のエリアが天守閣なのに対して、右の方は山門がある。
この奥は「佐和山城下町」という設定らしい。
なんだか門の両脇に、胴長短足の仁王様らしきものがいるが・・・・
うわ・・!!
これは何かのアニメのキャラクターか?
この塑像から醸し出される味は説明不要である。
山門の先には、またまた怪しげな像が並んでおり、その奥には金閣寺? が見えるが・・・・・・
近付くとミニチュアの大仏であった。 ただし素人工事のためか、台座に亀裂が入り、大きく後ろにのけ反ってしまっている。
10年後には崩落してしまうのでは?
この下は崖でじい様の住居があるのだが・・・・
金閣寺?に近付いてみる。 中にはまたまた手作りの彫像が並んでいる。
下手の横好きもここまでくると立派である。
ちなみにこの金閣寺もどき、銀紙の上に黄色っぽく着色したアクリル板が貼り付けてあるだけである。 これが遠くからだと意外と金箔に見えてしまうのだ。
まさにアイデアの勝利。
しかし裏に回ると、このようなスーパーハリボテ状態。
まるでドリフのセットのようだ。
遊園の工事が進むうちに逃げ場を失ったボログルマが泣かせる。
なんと「滋」ナンバーであった。
金閣寺のある高台からは、偉大なるじい様の住居が一望できる。
庭にも怪しげなオブジェがいろいろありそうだ。
その住居の裏には、このような建物も併設されている。
その名も「佐和山美術館」。
石田三成の歴史的にも貴重な資料が・・・・と言いたいのだが、どうやらじい様の製作した彫像や塑像が展示されているようである。
今までの写真にもあるとおり、あの作品のデキで1000円を徴収しようという根性だけは認めなければならない。
この施設に惜しげもなく1000円札を投げ入れ、脱力することこそB級旅行の良い思い出となるのだ。
ただし今は閉鎖されているようで、中は埃だらけ。 残念。
それにしても佐和山三成会とは何であろうか? しかも法人格って(笑
ちなみに、この「佐和山城」は歴史考証的にはまったくデタラメであるようで、彦根市の観光ガイドからは全く無視されている。
つまり個人の庭園扱いで、地図にも載っていなかったのだが・・・・・
最近になってヤフー地図に登場したことが発覚してしまった。
廃墟寸前の佐和山美術館もパッチリ載っている。
ちなみに例のインチキ金閣寺、なぜか「瑞岳寺」という名前で地図に載っているが・・・・
あんなベニヤ板のハリボテ寺が堂々と地図に載ってしまっていいのか!? ヤフーよ。
2008年3月9日訪問
言いたい事が
あるのは
判りますが‥
あの施設
あなた
造れますか?
三成リスペクトも
ここまでくれば
立派です
しかし
ここで面白おかしく
書かれてるほど
ボロボロでもなく…
よく
手入れされてましまよ
一般の需要には
応えてない
イメージでしたが
アクションなく
批判中傷ばかりしてる
あなたより
信念はあるのかなと‥
かの
YD氏の
HP真似てるん
でしょうが‥
あなたの文章
には
面白みも
愛情も感じない
只の
駄文ですよ