シロタビの、B級旅行イバラ道

「るるぶ」片手に定番記念写真を撮るだけが旅行なのだろうか? 観光名所のその陰で、ひっそりと怪しい光が待っている・・・

バブルと宗教・・その残骸・・・~ハニベ岩窟院とユートピア加賀の郷(後編)

2008年11月26日 22時53分30秒 | B級スポット北陸
 ハニベを午後1時に出発した後は、「松井秀喜ミュージアム」や「日本自動車博物館」等を割愛しつつ、一気に南へ下る。
今夜の宿が滋賀の彦根にとってあるので、あまり寄り道出来ないのだ。
しかし、どんなに慌ただしい旅でもココだけは寄らねばならない。 
国道8号を快走していると、加賀温泉駅の後方の高台に見えてきてしまうのだ、巨大な観音様が・・・。

そう、まさにこれこそバブルの残骸、「ユートピア加賀の郷」である。

などと大げさに書きつつ、実は写真は1枚しかないのだが。

併設されていた遊園地が廃墟になっていたのは知っていたが、それ以外のホテルやらジャングル風呂やらもすべて閉鎖で廃墟一歩手前。 その廃退的な澱んだ空気に負けて、ウロウロ散策してシャッターを押す気が起きなかったのだ・・・。


とりあえず唯一の写真がこれ。 バブルの絶頂期に、全国津々浦々にテーマパークが出来まくったワケだが、その波に乗ってここ加賀にも260億も注ぎ込んで造ってしまったのだ。 テーマはスペインでもオランダでもなく、なんと「仏教」。 まあコンセプトとしては牛久大仏と同じようなものだが、あちらは現役バリバリ営業中。 とりあえずバックに控える首都圏人口の多さと、遊園地とかヘンなものに手を広げすぎなかった堅実さが生死を分けたのかもしれない。
牛久大仏と同じように胎内巡りもできるが、そちらのほうは撮影禁止ということもあって、ネット等で検索してみて欲しい。 凄まじい金ピカ世界が広がってるそうで、バブルの恐ろしさをまざまざと見せ付けられる思いである。 本当にあの時代は、「何をやってもカネが稼げる」と人々を狂わせたんだなぁと実感できる物件である。
まさにバブルの狂気を記憶するモニュメントとして残されているかのようだ。
ちなみに牛久大仏の120mに対して、加賀の観音様は73mだそうだ。 いや別に牛久の方がデカ過ぎるだけで、凄まじいジャンボ観音であることは変わりないのだが、ちょっと残念な数字だ。

その後は、ご当地カレーかと興奮してしまったチャンピオンカレーで腹ごしらえし、定番の東尋坊へ。


柵等が一切無く、一番下まで降りて釣りしている人がいるのに驚き。 転落事故とか多いのではあるまいか。
そういえば東尋坊は自殺の名所ということで、あちこちに思いとどまった時のための公衆電話が設置されているのには笑った。


遊覧船に乗って、40分のクルージング。 ついでに下からパシャリ。

お土産物屋にB級臭というか、昭和の香りはしたが、とにかく人が多くて賑わっていた。 
しかし人工の施設はあっという間に老朽化するのに、自然の造形とは、どれほど長い時間、変わることなくそこに存在し続けていることか。
我々がバブルで舞い上がっていようが、不況で喘いでいようが、自然は変わらずにそこに存在しているのだ。

10年かそこらで廃墟になっていく物件の後に東尋坊を訪れると、そのあまりにも対照的な姿になんとも言えない気持ちになる。 これもまたB級スポット巡りのちょっとした面白さかもしれない。


とりあえずこの日はそのまま彦根まで走り一泊。 翌日「忍者選手権」をやっているという事で、「甲賀の里忍術村」へ潜入しようと思ったのだが、1歳の坊やにはあまりにもキツい地形と、1000円というA級スポット並みの料金(笑 に押し返されてしまった。
結局、 「息子が手裏剣投げられるようになったら来よう」 ということで嫁と意見一致し撤収。
名古屋へと帰宅の途についた。


これが、余りにも魅惑的な「甲賀の里 忍術村」の正門。
まだ深夜に放送してた頃の「銭金」で知りました。
とりあえずウチの息子が4歳くらいになるまで潰れないで・・・・

2007年10月7日訪問

バブルと宗教・・その残骸・・・~ハニベ岩窟院とユートピア加賀の郷(前編)

2008年11月15日 20時06分41秒 | B級スポット北陸
僕が超B級スポット「ハニベ岩窟院」を知ったのは、「探偵ナイトスクープ」で紹介された時だ。 「失楽園地獄」や、「ノーパンしゃぶしゃぶ地獄」などの変な塑像だらけの洞窟で、しかも宗教法人として紹介されたものだから、いかがわしさ十分であった。 院主の都賀田伯馬氏のキャラもなかなかインパクトがあった。

あの時行けば良かったとつくづく思う。
なぜなら、ナイトスクープの放送後しばらくして、院主様が強制わいせつの罪でタイホされてしまったから。
おかげで、時事ネタオブジェもほとんど撤去されてしまった。
しかし、我が家から小松市まで200㌔以上あるんだから、何かのきっかけでモチベーション上がらないと行く気起きないんだよなー・・
などと考えながら、北陸道を快走していた。

今回は1泊2日の北陸旅行である。 泊まりでハニベというのも凄い話だが、これに付き合ってくれる嫁も素晴らしい女性だと思う。

小松ICで降りて、山の方へ向かう。 途中巨大なイオンの前を通って、「どこの街も同じだなー」と思いつつ、ナビの言うとおりにクルマを走らせた。
目的地周辺に到着すると、木陰の向こうからいきなりコレが現れる。


うわさに勝る凄まじいインパクトである。 遠くからは全く見えず、駐車場のそばまで来るといきなり現れるから始末が悪い。
この仏頭、高さ15mもあるのだが、完成すれば全身33mの巨大大仏になるそうな。
院主が例の有様なので完成は果てしなき先となりそうですが。

ちなみにハニベとは、昔の「埴輪」を作る人、すなわち「ハニワ師」が変化したもので、現代で言う所の彫塑家の事だという。 初代院主の都賀田勇馬氏が石切り場の跡地を利用して開洞し、自らが造った多くの仏像を安置したのが始まり。

2代目院主は、ナイトスクープにも出た都賀田伯馬氏。


とりあえず中に入る。 参拝料は800円。 どうでもいいが、B級スポットというヤツは、何故500~800円がほとんどなのだろう。 特に700・800円がスイートスポットだ。
B級スポットなど、内容から言えば200~300円が適正価格だと思うが、値段を半額にすれば客が倍になる訳ではない。
本当に興味のある人だけ見てくれればいいという訳で、多少高めの設定になっているのだろう。
「分かるヤツだけ分かればイイ。俺はもう分かるヤツしか相手にしたくない」(湾岸ミッドナイト風)という訳である。
だからといって、1日楽しめる訳でも無いのに4桁取っては、興味ある人も逃げていってしまうだろう・・・・という事を考えると、700~800円というのは、非常に理にかなってる料金設定かもしれない。

ちなみに上の写真の左側の像は、地元加賀商人の英雄、銭屋五兵衛である。 ここの院主様は、親子2代に渡ってこういう塑像を地元の公園等に寄贈しており、実はけっこう実績のある彫塑家である。 日展等の常連だったようで、少なくとも彫塑家としてはイカサマではない。


入って右側に歩いていくと、小さな池を渡り、そこから結構急な階段で山登りとなる。途中、隆明殿という美術館みたいな小屋があり(院主様のプロフィールも飾ってある)、そこを抜けるとメインの洞窟へと入っていく。
で、いきなり現れるのが上の子供の像。 なんでもお釈迦様誕生の瞬間だそうだ。
生意気なガキにしか見えないが・・・・

ちなみに、洞窟に来る途中に木造のボロ屋があって、その時はスルーしてしまったのだが、後でネットで調べたらそれが「ハニベ道場」だと知って後悔。 写真撮っとけば良かった・・・。


パンフによれば、洞窟の最初は「釈迦一代記コーナー」。
これは断食中のお釈迦様で、アバラの浮き方がすごい。
ハニベは知る人ぞ知る珍スポットだが、作品の出来は素晴らしい。本物だ。

釈迦コーナーが終わると、院主様のアトリエが見えた。 造りかけのブロンズ像が放置されたりしていて、少し今後の創作活動が心配される。


お次は「インド彫刻館」。ここはエロティカルな彫刻が多く、裸の女神様や、男女が凄い体位で絡み合ってるレリーフ等が飾ってある。
坊やも意味も分からず大喜び。


そして次のエリアが、メインの「地獄コーナー」。
ここに足を踏み入れた時、何故ハニベが日本で10指に入る珍スポットなのかを、誰もが身をもって思い知る事となる。

まずは「轢き逃げの罪」。 お土産物屋にあった絵はがきにも使われていたスプラッタシーン。
大阪で3キロも被害者を引きずったという轢き逃げ犯は、こんなモンでは済まないだろう・・・。


これは「食べ物を粗末にする罪」。 食べ物を無駄にすると、自分が地獄で鬼の食料になってしまいますよ、というわけ。
道徳的にはいい事を言ってるのだが、これを子供たちに見せて教育効果があるかどうかは分からない。


で、鬼の食卓に並ぶと。 メニューは当然グロいモノだが、ちゃんと煮物の具が人間の耳の形になっていたり、造り込みは細かい。


で、鬼の食卓専属シェフ。地獄コーナーはほとんど、息子である現院主の作なのだが、どういう感情でこういうモノを造っていたのだろうか。
なんか変に興奮しながらグロい部分を彫ったりしてたら嫌だなぁ・・・


地獄を抜けると、不動明王、エンマ大王と続く。 この辺は父上である初代院主の作。
息子もなかなかやるが、やはり父親の造形は見事だ。

洞窟はこれでお終い。 外に出ると、少しの山登りで涅槃像に出会えるらしいのだが、地獄巡りで流石の坊やも疲れたっぽいので撤収することにした。

80年代までは、本気で巨大大仏を完成させるつもりだったらしく、参拝料や水子供養料で豪遊できるほどだったという。 しかしバブルも弾け、思うようにカネも集まらず、いつしか客寄せのためにB級オブジェ造りに傾倒していったのかもしれない。
「北陸の稀代の彫塑家親子の美術館」として考えれば、なかなか作品の出来からいっても800円の価値はあると思うが、やっぱり「宗教法人も喰ってかなきゃいけないんだよな」というドロドロした部分が見えてきてしまう。 「人が集まるんなら・・・」と、あらぬ方向に暴走してしまう、珍スポットはこうして出来るんだというひとつのパターンを垣間見た気がした。

あと、どうでもいいことだが、パンフには「傘1000本用意してあります」と印刷されている。 雨が降っても大丈夫ですという事だが、1000本は多すぎやしないだろうか・・・・(後編に続く)

2007年10月7日訪問