シロタビの、B級旅行イバラ道

「るるぶ」片手に定番記念写真を撮るだけが旅行なのだろうか? 観光名所のその陰で、ひっそりと怪しい光が待っている・・・

茨城の旅・後編・・・~筑波山ガマ洞窟と牛久大仏

2010年02月20日 23時35分12秒 | B級スポット関東
さて、いよいよ筑波山探索のメインたる「ガマ洞窟」にチャレンジする時が来た。
筑波山ロープウェイの駐車場に着くと、昭和の匂い満点のレストハウスが見えてくる。
ちなみに、ここ以外のレストハウスは、みんな綺麗な平成テイストのレストランであった・・・


一応レストハウスの正式名称は、「筑波ニュー三井谷」ということらしい。
外見の味だけなら、蒲郡ファンタジー館と双璧である。


とりあえず2階の食堂で腹ごしらえ。 ちなみに真夏に行ったのだが、冷房は無く窓が開いてただけ。 
アチ~~。


食堂に入らずにテラスを登って行くとこのような看板が・・・・
3階子供遊園地、4階展望台とな・・・・

「ボクはガマです」とかいう手書きの板も気になる・・・


これがその子供遊園地であるが・・・・すべての乗り物や遊具がすべて故障中!
これはすごい状態である。
ちなみに、4階の展望台のほうから遊園地まですべり台があるのだが、表面がサビでバリバリであった。
ケツがすり切れそうなすべり台である・・・


そしていよいよガマ洞窟へ・・・写真では料金50円に見えるが、のれんに隠れているだけで、バッチリ500円取られる。
しかも「洞窟」とか言っているけれど、実際にはレストハウスを一部使ったお化け屋敷である。
ほとんどJAROに訴えていいレベル。


そして500円払って中身がコレである・・・・ただし、フラッシュを焚いているから写真では救いようが無いほどチープに見えるが、実際は真っ暗なのでそこそこ怖い。


このマネキンが一応1番インパクトあり。
それにしても、これで500円取るというのは実にいい経験ができました(笑
ほかの家族も、「払い戻しできないかなぁ」とか言ってたし。
気持ちはわかる。


最後に巨大ガマガエルと記念撮影。 ニュー三井谷がこの姿のまま残ってくれる事を祈って、お賽銭を入れておきました。


その後、ゆう・もあ村の廃墟を見にいったものの何も残っておらず、本日最後の予定地、牛久大仏へと到着した。
なんとなくユートピア加賀の郷のジャンボ観音を彷彿とさせるが、向こうが73mに対して、こちらはなんと120mである。
あと、加賀の観音は大阪の成金が商売がらみ(節税?)で建てたようであるが、牛久大仏は浄土真宗東本願寺派という一応昔からの仏教の宗派によって建立されている。

ちなみに大仏様の表面は青銅製で、何十年もすると青緑色にいい感じに錆びてくるそうである。


仏頭のミニチュア写真。ほかにも大仏の親指や頭のパーマみたいなボツボツの実物大模型なんかが展示してあった。
親指だけで軽自動車くらいある・・・・


中に入ると、エレベーターで一気に上に昇って(大仏の胸のところまでしか行けないが、それでも相当高い。)そのあと階段で降りながらいろいろ見ていくという流れ。
なかはご覧のような金ピカ。 さすがバブル期の物件である。


これだけカネを掛けまくった施設なのに、なぜか顔ハメだけはチープだった。

この牛久大仏、やはり首都圏人口のなせる業なのかどうかしらないが、けっこう参拝客で混み合ってて、おみやげ物屋も活気があった。
B級スポットではあるが、ユートピア加賀の郷や越前大仏のような廃退的雰囲気は無かった。
やっぱ人口かなー・・・・

2008年8月14日訪問


茨城の旅・前編・・・~鬼血骸村&つくばわんわんランド&がま公園

2010年01月31日 22時17分28秒 | B級スポット関東
もう1年半も前の話であるが・・・・2008年の夏休みは、妻の実家のある埼玉に立ち寄り、そこから茨城を見て回るということになった。
さて、茨城の地には何があるのか・・・・と思って調べてみると、やはり古くからの観光地である筑波山周辺が、かなり香ばしいようである。
というわけで、家族3人でいざ出発!


で、いきなり立ち寄ったのが下妻市とつくば市の堺にある「鬼血骸村」。
何かの廃墟と言うわけではなく、「筑波総合研究所」という、一見学園都市あたりにありそうなインチキ施設の所長を名乗る老人が、ひたすらガードレールや電柱に落書きしまっくたエリアの総称である。
そうとう近所迷惑な話だが、別に正体不明の男の仕業と言う訳でもなく、「筑波総合研究所」はヘンなオブジェに囲まれた、地元でも知られた珍物件だったようで、警察の御用にはならなかったのだろうか?
ただ、もうその老人は亡くなってかなり経つようで、落書きもほとんど消されているようなので、数枚の写真を撮って撤収。


そしてしばしのドライブのあと、最初の物件「つくばわんわんランド」に到着。

大人1500円。まあ、イヌネコ動物園としては標準的な金額である。
息子はギリギリ無料。


ジャーン。 わんわんランド名物のイヌの巨大オブジェ。 第一回犬友祭なるものがあるそうで、どういう祭りか分かりませんが、ますます頑張ってほしいものです。


人気の無い、昭和レトロな感じの休憩所。いい雰囲気である。
ホットドッグなんか売ってる屋台もいい味出してた。


お約束の顔ハメ・・・・ってここまでヘタクソな絵の顔ハメはなかなか出会えるものではない。

犬のレース等イベントが始まると、50人くらいはお客さんが集まるが、お盆だというのにマッタリしていて、なんかとってもノスタルジックでお金の掛かってない施設である。
ただ、隣に「つくば国際ペット専門学校」なる施設があって、そこが経営に絡んでいるようなので、潰れる心配は無さそうな気配だ。
そこで嫁さんが一言。

「学生をスタッフとして使ってるからカネがかからないのか・・・・」

なるほど・・・

その後は筑波山に向かって山道へ。 
さて、筑波といえば「ガマの油売り」というわけで、いよいよ筑波名物、ガマの油に絡むテーマパーク群に突撃・・・・のはずだったが・・・


筑波山の裾野にある「がま公園」、なんと潰れていた。。。。。

ここは、がまの油売り商人の売り文句、いわゆる「がま口上」を今でも聞ける施設として有名なところで、最近リニューアルしたので「お、けっこうお客さん来てるのか」と安心していたのだが・・・・
廃墟にしては違和感のある真新しい建物。
リニューアルして1年ぐらいでアウトなのではないだろうか? 
これは金の無駄といわれても仕方あるまい(誰が損したのか知らないけれど)


しかしすべての施設が新しいのに草ボーボー。 自然の力は恐ろしい。
なんで採算が採れないのにリニューアルしたのだろうか・・・・

これから向かう、「あの施設」も潰れていなければ良いが・・・・

2008年8月14日訪問

B級史跡でお勉強・・・・・~吉見百穴と百穴温泉

2009年01月29日 22時57分37秒 | B級スポット関東
基本的に住処のある東海地方中心に回っている筆者であるが、嫁サンの実家は埼玉県である。
というわけで、年末年始の帰省を利用して行って来たのが、見所や観光地の少ない埼玉県で光り輝く史跡、「吉見百穴」である。


「ヨシミヒャッケツ」と読んでしまいそうだが、「ヒャクアナ」と読むほうがスタンダードらしい。
入場料は300円。 国指定史跡だけに、通常のBスポの平均価格よりもかなり安い。
維持管理費だけ頂きますという感じか。


これが敷地内の解説板。
一見、古代人の住居跡かと勘違いしてしまいそうだが(僕もそう思っていた)、実際に作られたのは聖徳太子の時代(6~7世紀)で、みんなちゃんとした家に住んでいた。
後の研究で、これは横穴墓・・・つまり「お墓」だと判明したそうである。
明治20年に初めて発掘調査が行われたが、遺骨や遺品等の出土品はほとんど無いそうである。
盗賊でも頻繁に入っていたのだろうか。


これが全景。 一つ一つの穴には自由に入れるので、マナーを守って見学しましょう。
頂上まで登ると、東松山の市街地の眺めがいい。


少し残念なのは、太平洋戦争末期に、ここに大規模な地下軍需工場を作ると言う事で、遺跡が少し壊されてしまったこと。
この軍需工場跡地のトンネルは相当広大で、幅3メートルくらいのトンネルが碁盤の目状に展開されている。
ただし崩落の危険大ということで、入り口から10メートルくらいしか公開されていないのが残念。
その先は固い鉄格子で行き止まりとなっている。
奥には、工場作業者のための地下浴場等もあったようで、見たいところではあるのだが。
もうひとつ、一部横穴には「ヒカリゴケ」という、光っているように見えるコケの一種が生息しているとも紹介されていたが、自分の目ではさっぱり見つからなかった。
売店のおばちゃん曰く、少しづつヒカリゴケも減ってきているようで、観光地化しつつ貴重な史跡や自然を保全するのは難しいと感じるところである。

ということで40分ほどの冒険を終え、駐車場を出て200メートルほど走った所で、我々の目の前にこのようなものが飛び込んできた。


んー、非常に香ばしい匂いを放っている物件であるといえよう。 「岩窟売店」である。
と思ったら、道路を挟んで向かいにはこんなモノが。


百穴の駐車場からこんな離れた場所にもこのような遺跡が。。。。
「なんでこんな放置してあるんだろう、ここも整備して公開すればいいのに」とその時は思ってしまったのだが、後で調べたら明治から大正時代にかけて造られた、「岩窟ホテル」なる物件の廃墟であると分かった。
つまりあの横穴は、人工的に掘られた客室なのである・・・・
昔の人の便乗商法もなかなかたくましいものがある。

しかし衝撃はこれだけでは終わらなかった。
この「岩窟売店」から川沿いに分岐する細い道があり、その分岐点にこのような立派な門看板?があったのだ。


これはまたいい感じで寂れたオーラを出していると言えよう。
といわけで、案内に沿って「百穴温泉」なるものを調査してから帰ろうと言う事になった。


それがその玄関。 あまりにも古臭かったので、入るのは止めようと言う事で帰ってきたのだが、この温泉も家に帰ってからネットで調べてびっくり。
ここは首都圏から最も近い混浴温泉で、「混浴」と「女湯」しか無いそうである。
つまり野郎共は全て混浴風呂行きとなってしまうので、合法的に女性が入ってくるのを待っていられるワケだ。
というわけで、女性の裸目当てで来る男連中も結構多いそうで、特にカップルの場合、混浴で一緒に入ろうとなるだろうから要注意との事である(笑
そういえば、僕が調査している間にも、ひと組若い女の子を連れたカップルが入って行ったのだが、あの子もオッサンどもの餌食になったのであろうか・・・・

結局、これら周りのネタ物件のおかげで、吉見百穴の旅は、思いっきりB級色満点の面白旅行となってしまったのである。

2008年1月1日訪問