万葉集には4516首が集録されているが、紫陽花(あじさい)を詠んだ歌はわずかに2首のみであるという。万葉集では約1500首が何らかの植物を詠んでおり、170種を超える植物が登場すると云われている。最高歌数は萩の137首、次いで梅の119首であり、桜は42首という。これに対して紫陽花(あじさい)を詠んだ歌はわずかに2首である。
万葉の時代(5世紀前半から8世紀半ばまで)に、何故に紫陽花はこんなにも人気がないのか?紫陽花は七変化とも称されるように、開花してから花の色が変わっていくので、心変わりとかあるいは不道徳であると考えられたからだという説もあるそうだ。
紫陽花 あじさい 味狭藍
大伴宿祢家持、久邇京より坂上大嬢に贈る歌五首・・・(の内の一首)
言問(ことと)はぬ木すら紫陽花(あじさい)諸茅等(もろちら)が
練(ねり)の村戸(むらと)にあざむかえけり 万葉集巻4-773 大伴家持
(大意)物を言わない木でさえ、色の変わりやすい紫陽花や諸茅などの、一筋縄で行かない心にあざむかれたということです。(まして人間である私は、変わりやすいあなたの心にあざむかれて、とまどいすることです。)・・岩波 日本古典文学大系 万葉集一
紫陽花 あじさい 味狭藍
(右の一首は、)左大臣、味狭藍(あじさい)の花に寄せて詠めり。
紫陽花(あじさい)の八重咲く如く弥(や)つ代にを
いませわが背子見つつ偲(しの)はむ 万葉集巻20-4448 橘諸兄
(大意)紫陽花の八重に咲くように、幾重にも栄えておいで下さい。わが君よ。私はその立派さを仰いで讃嘆いたしましょう。・・岩波 日本古典文学大系 万葉集四
紫陽花を詠んだ万葉集の二首は、いずれも心変わりを詠んだものと思われる。
大伴家持の歌はずばり心変わりを読んでいる。
左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)の歌は、大弁・丹比国人真人(たじひのくにひとのまひと)の宅に宴したときの歌で、橘諸兄が女性の立場で丹比国人真人を想っているという祝い歌である。この歌が詠まれた数か月後に橘諸兄は聖武天皇を誹謗したとして讒言され、これがもとで左大臣の職を辞したというのだ。であるならば、この歌は紫陽花を詠みこんだ心変わりの歌ということになろう。
また、万葉の時代の人達は紫陽花が食中毒を起こす有害植物であることを充分承知していたに違いない。そういえば紫陽花が虫に食われているのを見たことがない。万葉の時代の人達の感覚では紫陽花は心変わりして毒があるとして、歌に詠うには避けるべき植物であったのではないか。
紫陽花を詠んだ歌は万葉集に大伴家持と橘諸兄の二首があるが、平安時代には殆ど見えなくなる。源氏物語や枕草子にも見えないし、古今集から新古今集までの八代集にも紫陽花を詠んだ歌は一首もないという。