吊り広告でやけに煽っているなと感じさせるのがこれ。(月刊)文藝春秋2012年5月号だ。
文藝春秋 2012年 05月号 [雑誌] | |
文藝春秋 |
・シミュレーション 国家破綻
「新・日本の自殺」
消費税増税失敗で野田政権は瓦解した。
国債暴落でギリシアなみの破綻が始まった。
憂国のグループが練り尽くした戦慄のシナリオ
(藤吉雅春とグループ「1984II」)
・池上彰の「危機を乗り切る戦後不況史入門」
・3・11指揮官が本気で憂う 首都直下地震
・著名人71人が選ぶ私の平成No.1女優
インタビュー 寺島しのぶ 宮沢りえ
・・・いつの間にか、文藝春秋は、週刊文春より内容が薄くなってしまっていたということか。特集の「新・日本の自殺」という記事を書いているのは『藤吉雅春とグループ「1984II」』・・・AKBブームにでもあやかろうとしているのか?藤吉自身は経済学者でも政治学者でも、どこの「国際経済の現場」を渡り歩いた現場の人でもない。単なる元フライデー記者に過ぎない。そこに、正体不明の「グループ1984Ⅱ」なるものをくっつけて、万が一この内容が大ハズレに終わっても、お互いが責任を相手になすりつけられるように、周到に筆者集団を「ブラックボックス」にしているようにしか見えない。「憂国のグループが練り尽くした」のではなく、「ただの自己中集団が、どういう事態になろうとも責任を取らずに済むように練り尽くした」筆者名にしか見えないというわけだ。
ロジックも極めて単純、かつ幼稚だ。この程度のロジックなら、現実社会に関心を持つ中3生でも書ける。
1 野田政権の消費税増税法案が通らない。
2 そのせいで、国債が大幅に格下げられる。
3 そのせいで、一気に円安へ。「日本の自殺」
ただこれだけである(笑)。こんなもの、「憂国」の士でなくても、大人ならアホでも書ける。むしろ、「憂国」の士ならば、こういうストーリーにはどこに「穴」があるのかを丁寧に調べるだろう。もちろん、自分たちの足を使うことも含めてだ。
経済にある程度関心を持っている人間ならば、円高と日本の景気、もっと言えば、日本政府が使える金額との間には因果関係がない、ということなど、とっくに自明のこととなっている。すでに多くの著作で、
「なぜ日本は不景気なのに円高のままなのか?」
という問題提起がなされ、その答えは「デフレ」にある、と指摘している本は一昨年あたりから掃いて捨てるほど出ている。
デフレと超円高 (講談社現代新書) | |
岩田 規久男 | |
講談社 |
たとえばこの本では、中央銀行(日本であれば日本銀行)の金融基本政策(金融レジーム)による、「予想インフレ率」の差が、デフレやインフレを生むと述べている。単なる貨幣供給量ではなく、貨幣供給がこれからどうなるか、という「予想」が、インフレやデフレを生み出すと言っていることに注意されたい。
だとすると、市場は今の日銀の姿勢を「デフレ容認」と見なし続けており、実際に白川総裁もそういう発言を続けている。こういう状況では、企業はリスクを冒して国内で工場などを建設するという「投資」には動かない、というわけである。
それが、長い目で見れば従業員の給料の低下や物価の下落、そしてデフレ対策としての「貯蓄志向」にさらに拍車をかけている、という推測がなり立つわけで、単なる貨幣数量説とは異なり、市場による「インフレ率予想」がデフレやインフレを生む、という主張には、私のような素人が読んでも説得力があると感じる。
こういう観点から見れば、この文春の煽り記事は、この記事によって、
「インフレになるぞ!なるぞ!!」
という「期待」をムリヤリにでも作ることによって、日銀の代わりにデフレ脱却をめざしているのではないかとでも思えるくらいだ。しかしことはそれほど単純ではなく、金利や貨幣供給は日銀の政策とそれに対する市場の反応によって決まってしまうため、こういう月刊誌でいくら煽っても、デフレの現状が打開されるわけではない。
ありうるとすれば、こういう「円大暴落キャンペーン」が繰り返されることで、近い将来、国民の金融資産額を国債の借金額が上回ったときに、
「そら見たことか!これで円が大暴落するぞ!」
という「期待」が形成され、日本国内でさえ「円」を信用せずに、ドルやウォンや金でモノを取引しようとするようになるときぐらいだが、そういう時でさえ、日本政府は、日本国債を全額日銀に引き受けさせることで、
「円はクラッシュしない。円の価値はこれから徐々に薄まる」
という「別の期待」ができれば、インフレ基調にはなれど、一気にハイパーインフレになるという事態は防げるだろう。そして、緩やかなインフレ基調は、円安基調にもつながり、輸出企業にとっては競争力が高まるのだから、むしろ国内経済は徐々に好転する可能性さえある。ただし、電力やエネルギーが安定的に供給されるならば、という条件がつくが。その意味でも、原発再稼働を勝手に「反原発ムラの村祭り」である「イデオロギーイシュー」にさせてはならない、ということになるのだが。
というわけで、素人でもこのくらいは考えられる。では、「憂国のグループ」を自称する、『藤吉雅春とグループ「1984II」』とやらはどのくらい考えているのだろうか。前述したように、最初から相手側に責任を押しつけ合えるような筆者名にしているという事実だけで、その期待は激しく低くなるだろうな、ということぐらいしか言えない。
そして、そういう「無責任集団」による文章を、ただ結論がショッキングだからという理由だけで、
「新・日本の自殺」
などというタイトルで、吊り広告で必死に読者を釣ろうとする文藝春秋の商人魂は、どれだけ堕落したのだろうか。この号で、月刊誌としての文藝春秋は自殺したも同然だと私が思う所以である。
話はずれるが、こういう
「円安になるぞ!インフレになるぞ!いいのか!いいのか?」
と煽る文章は、一体誰を対象にしたものなのかを考えてみれば、現代日本の「どうしようもない豊かさ」というものが逆に透けて見えるだろう。それはすなわち、「資産保持者」である。
私のような貧乏人は資産形成する余裕など微塵もないが、月収の一部を貯蓄としてプールできる「富裕層」にとっては、「インフレ」あるいは「円暴落」とは、その資産価値が目減りすることを意味する。申し訳ないが、そういう連中が困っても、私は何も困らない。むしろ緩やかなインフレによって、企業が事業拡大のために人を求め、そのことにより失業が減少し、それがさらなる企業の投資欲を刺激することの方が、私だけでなく、より多くの日本人を幸せにするものだと思う。
しまいにゃ「私の平成No.1女優」で寺島しのぶと宮沢りえインタビューって・・・取材費が足りなくてピーピー言っている様子だけは手に取るようにわかる広告である(笑)。