できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

あびる優の件、さらに追加

2005-02-20 08:25:09 | Weblog
 誤解のないように断っておくが、あびる優本人が

「こんなぶっちゃけみんなやってるのに、なぜあたしだけ叩かれるの?」

と思っているとすれば、その思いのほとんどは「罪悪感の欠如」が引き起こすものであろう(昨日はそうでない側面をクローズアップして書いた)。TBしていただいた

<にのきんのぺーじ>
http://blog.livedoor.jp/ninokin00/archives/14556052.html

の中にあった「最近のガキは仲間内で窃盗とか強盗とかの犯罪も自慢話になっているのでしょう」に共感した。

 ただ、その原因の一部として、昨日も指摘した大人たちの罪悪感のなさが影響してもいるだろう。芸能人に限らず大人一般が、自分が例えば元暴走族であったことや万引きの常習犯であったなど、「元ワル」であったことを自慢する風潮、特にイキがるときの材料にする風潮がなくならない限り、単純なガキはそのうわべだけをすぐまねるようになるだろう。そういえばあの日本一恥ずかしい番組「真剣10代しゃべり場!」でも、「若いときに悪いことをした方がかっこよくないですか?」というテーマをぶちあげたガキがいた。そのガキにとっては、悪いことを若いときにしておけば、その教訓をその後生かせるからだという主張をしていたが、悪いことをしなければ教訓は得られないという、信じられないほど単純な前提で語っていることにずいぶん落胆したものだ。

 「悪いこと=カッコいい」という図式は、裏を返せば「悪いことをしなければカッコ悪い=ふつう」という前提があるとも言える。いまの生暖かい日本では「悪いことをしなければ刺激がない」状態なのだろう。商売にせよ学問にせよ技術にせよ、悪いことをしなくても刺激的なことは数多くある、という当たり前のことを、大人側も再認識しなければならないと思う。

 大人の責任、という角度から言えば、バカを着飾ったり露出させて売り出そうとするつんくチンコマークやホリプロ(あびる優の所属事務所)は方針を見直し、少なくとも自律できる個人のみを売り出すべきであろう。元々芸能界はそっち方面にはものすごく厳しく、私も演劇にのめり込んでいたときは、「遅刻絶対厳禁」で、少しでも遅刻しようものならその後3年くらいはさまざまな方面から徹底的に叩かれていた(←島田紳助事件はこのあたりと関わっているような気がするので、島田紳助を一方的に叩こうとは私は思っていないのだ)。ところがいつからか事務所サイドも「売れれば何でもフォローする路線」を容認し、気づいたら積極的に作っていた、ということなのであろう。「常識がないせいで面白い(軽蔑できるという意味で笑える)系」は、この一件を教訓にして、もう作るべきではないだろう。

 あびる優のお目付役的存在の和田アキ子が、今日の「アッコにおまかせ」で何を言うのだろう。事務所からはノーコメントにせよという指示を出しているだろうが、お目付役ならば彼女自身の判断で何らかのコメントを出すものだと思う。何も言わなければ、ものを言うべき大人が、その役割をはき違えているということになるだろう。

 数年前にヤフーの掲示板で少年法についてかなりしつこく討論したのだが、私が得た結論の一つは、子供が親を選べない以上、親(大人)が子供に対する影響の方が、子供同士で養ってゆく思考よりもはるかに影響が大きいということだ。別ブログでは、彼女の父親が闇金を遙かに超える高金利貸しをやっていたせいで、本業の歯科医師(!)業務を2年停止する命令が出たことを書いていた。昔悪いことをしていたからと言って、それが(たとえば子育てにとって)良い肥やしになるとは限らないという良い例だろう。この場合は、起訴されるまでのかなり最近のことのようだが。もちろん、私は「犯罪者の子供はみな犯罪者になる」などという単純なことを言いたいのではない。「悪いことをした人がすべてそのことを教訓にできるわけではない」と言いたいのだ。もしや、大人でもこの程度の違いが理解できないのだろうか?ここに頂くコメントのいくつかを見ると、それすらも危ないのかなぁと思ってしまうが。


参考 <医師26人を業務停止処分に:読売新聞より>
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news_i/20050204so17.htm

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