できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

案の定、反原発デモがあったわけだが

2011-05-07 22:04:13 | Weblog

このネタの文字ニュースで一番早かったのが東京新聞。さすがやねというところだ。

 

「原発要らない」と市民デモ 東京・渋谷に数千人(東京新聞 2011年5月7日 19時22分)

 ゴールデンウイーク最後の週末となった7日、東京都渋谷区で反原発を訴える市民グループによる「サウンドデモ」が行われ、数千人が手作りのプラカードや横断幕を掲げながら繁華街を練り歩いた。

 荷台に大型スピーカーやバンド、DJを乗せたトラック4台がデモ隊を先導。時折小雨が降る中、参加者は「原発は要らない」「きれいな空気、大地を返せ」とシュプレヒコールを上げながら、表参道やJR渋谷駅前を行進、トラックから流れる音楽に合わせて踊ったり、太鼓をたたいたりした。

 6日の政府による浜岡原発の全面停止要請について、世田谷区の会社員十時由紀子さん(47)は「これまで反原発に取り組んできた人の声が積み重なった結果だ」と話した。

 

>「これまで反原発に取り組んできた人の声が積み重なった結果だ」

それは絶対に違うでしょ(苦笑)。今回の福島原発の結果である。

 

TBSがyoutubeに動画ニュースも流していたので、その映像もいくつか。

 

例によってジョンレノンらしき肖像or写真が。この人も、なんでいつもこういう系のデモでアイコン(象徴)となるのだろうか。その右下にオノヨーコ風の人がいるのは私の気のせいか。だとしたらどんだけ芸が細かいのか。

 

はい。「自然エネルギー」ね。

参加者「福島での子どもたちの放射線の許容基準が高すぎる」

 

参加者「絶対に許せないと思って」

この発言は、小佐古内閣参与辞任の発言を受けてのものであろう。

しかし、外部被曝だけで20mSvというのは、前も書いた通り、現実的なラインだと考える。私個人の意見だが、福島で困っている「校庭の土」は、私が今住んでいる場所に近い、東京湾に捨ててもらってかまわない。こういうものは、福島原発の受益者である、関東地方で責任を持つべきだからだ。

 

 

主催者の一人「浜岡原発が止まったからいいというわけではなくて」

 

主催者の一人「全部止まるまではいろいろやっていかなければ」

 

 


 

まあ予想通りの3連コンボである。

1 「浜岡原発を止めろ」by菅総理

2 じゃあ他の原発は止めなくていいの?

3 他の原発も、どこで地震や津波が起こるかわからない。じゃあ原発はみんな止めよう。

 

代わりのエネルギーは? → 「自然エネルギー」

 

となるわけで、先月の朝生に出ていた飯田氏の登場となる。反原発の論者である。

 

 

彼が示したグラフがこれ。

 

<図1 原子力・太陽光・風力発電がそれぞれ生み出しているエネルギー量>

 

<図2 「自然エネルギー」市場の成長>

 

飯田氏が示したこれらのグラフを見ると、風力・太陽光発電という「自然エネルギー」の活用で、原発が生み出していた電力が賄えるかのような気がする。

特に、今まで「原子力利権」と言われていたような、「原発誘致を受けると、さまざまな補助金でその地域が金銭的にうるおう」という状況が、図2のように、自然エネルギー市場がこれだけの規模になってくると、これからはいかにも「自然エネルギー利権」なるものが生まれ、カネを求める多くの人が、自然エネルギーに投資し始めるかのような印象さえ受ける。

 

しかしながら、この朝生でも全く議論されていなかった問題がある。それは、

1 現代日本で、今50基以上ある原発の発電分を、「自然エネルギー」で賄えるのか

2 その場合の金銭的コストはどのくらいか

3 その場合の金銭以外のコストはどのくらいか

である。つまり、自然エネルギーの将来性については、先月の朝生ではほとんど議論されなかったと言ってもいいくらいだ。

 

多くの人は、「自然」という言葉から、なんとなく「健康によい、healthyな」的なイメージを持つ人が多いであろうが、少なくとも、図1で最も大きな成長を見せていた風力発電に関しては、近隣地域での騒音が大問題となっている。風車が回る際の「低周波騒音」である。そこで以下のブログ様から引用させていただく。

 

風力発電機の低周波騒音公害について~~深刻な健康被害(機能安全と安全工学 様 2009年07月01日)

 6月11日のテレビ朝日で四国・愛媛県、伊方町での風車の低周波騒音公害の紛争について報道された。既に7-10年程前から欧州では騒ぎになっていたが、やっと日本に上陸したかという実感である。なお環境省では低周波音と呼んでいる。

 あの唸る様な低い周波数の音が人体に与える悪影響は、まさに経験した人でないと判らない。昼も夜もこれをやられたら生きている気がしない。欧州では自殺者も出ている。

そこで日本における現下の問題点は
1) 日本の現状では生理的障害を医学的に証明することは大変難しい。それは多分に心理的と判断されるケースが多いからだが、しかしその騒音に曝されている人達にとっては真に耐え難い。


2) 法的には公害防止規制法の枠外にあると思うが?ここで公害防止規制法は日本で最も広く適用され効果のある法規である。この場合は環境基準で規制されるわけだが、市町村ではこの方面の専門家も不在なので対応が相当遅れるのではないか?

3) まず正確な測定が望ましいが、どこでも犯す過ちはそれを騒音と誤解し、「普通騒音計」で計ってしまうことである(と騒音工学の教科書に書いてある)。実は「低周波音の音圧レベル計」というのが別にあり、これが無い場合には振動計の方が良い位だ。しかし人間の耳による把握が大前提である。

4) 環境省の規制を根拠として、機械騒音を規制するには町に相当の行政力がある場合に限り、現実にはかなり抵抗があるのではないか。むしろ風車の導入の際に何故環境アセスメントをしなかったかと、悔やまれる。

5)いまだ環境省は低周波音の基準値を示していないが、この問題は世界的な課題であり、既に欧州各国は規制に必要な評価法や基準値を定めている。低周波音が健康に有害であることは国際的に否定しようもなく、わが国も早急に厳しい規制が実施されることを願う。

 この様な騒ぎが起これば、今後風力発電を導入する自治体は二の足を踏むであろう。風力発電機製造会社は環境省の規制強化を待つまでもなく、自力で低周波騒音対策を実施して欲しい。

(引用ここまで)

 

このように、「自然エネルギー」だからと言って、人間に優しいエネルギーの作り方であるとは決して限らないのだ。

飯田氏の言うような、今最も成長している自然エネルギー分野である、風力発電が今後日本に導入されてゆくにしても、その風車の作り出す低周波騒音は、周囲の住民に、風が吹く限り永遠の苦しみを与え続けるだろう。

 

太陽光エネルギーは、コストと信頼度の低さがネックなままである。暑い夏など、その膨大な太陽エネルギーを電力にするのは確かに効率的ではあるが、自家用の太陽光発電システムでさえ数百万円かかる。すなわち、一般的な家庭の屋根ぐらいの面積で太陽光発電を行うだけで数百万円かかるわけだ。政府が補助金を出せばよい、と言う人もいるだろうが、その補助金の源は税金である。結局、太陽光発電システムを、多くの人が一斉に導入する事態になると、その補助金を税金で持って行かれるわけだから、税の逆進性がかえって強くなる。すなわち、

・富裕層が太陽光発電システムを導入するために、貧困層も含めて増税の苦しみを受ける。増税の苦しみをより大きく受けるのは、太陽光発電システムを導入できない貧困層である。それで得をするのは、太陽光発電システムを導入した富裕層だけとなる。

こういう状況となる。

しかも、その富裕層がいつも太陽光発電によって恩恵を受けられればよいが、冷夏や曇天続きになると、この発電は全く意味がなくなってしまう。ある程度の電圧を生み出せるほどの発電ではないと、電力としては使えない。

ということは、太陽光発電システムが主流になったとしても、いつも「いざというときのための予備発電装置」を用意しておかなければならないわけで、その予備のために水力発電所や火力発電所という、従来の発電所は減らせないであろう。

また、貧困層も含め、政府がほぼ丸抱えで全国民が一斉に太陽光発電システムを装備すればよい!と思うかも知れないが、それなら補助金=税金が一層膨大に必要になるだけで、補助金をもらっていないのと同じである。結局、現時点では太陽光エネルギーは、まだまだ採算ラインには届いていないということになる。

あるいは、今後の技術革新によって、太陽光エネルギー発電が格段に低コストになったとしても、「予備」のための従来型の発電所は今と変わらないほど必要であり続けるため、従来のエネルギーから脱却することはほぼ永遠にできないということになる。むしろ、予備のための人員を常に待機させておく分だけ、日本全体の発電コストという意味では、今よりも余計にかかる可能性もあるくらいだ。なぜなら、予備として残しておくべき発電所はほとんど減らない一方で、「新型エネルギー」のためのコストは、新たに導入する分だけ余計にかかっていくからだ。

 

忘れている方が多いだろうが、1970年代には「冷夏」が多かった。そのせいでコメの収穫量ががた落ちしたこともある。気候にはそもそもそのような「自然サイクル」があるわけで、さまざまなサイクルを合成した結果、また冷夏(日照不足)が続く局面にいつ入るかわからないのだ。

 

 


 

 

今回のデモ参加者の中で、

「では原発の代わりに何を代替エネルギーにするの?化石燃料を使うということは、次世代への『貯金』を取り崩すということですよ?え?風力?太陽光??どっちもかなり厳しいんだよな~」

というところまで考えて「原発反対!」とシュプレヒコールを上げていたのは、いったい何割いたのだろう。

 

これからも、反原発デモは何度も開かれると思うが、ただ感情的にデモるのではなく、「原発ナシの先」まで見通した上で参加してほしいものだよ。

 

それとも、いつぞの「ホワイトバンド騒動」のように、ただ「ファッションとしての反原発」でやめときたいだけなのかな?

 



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