できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

40歳の肉体と闘志・・・すんません、なめてました。クルム伊達公子様。

2011-06-23 23:04:42 | Weblog

彼女が前回、ウインブルドンのセンターコートに立ったのは1996年、26歳のときであった。確か当時の世界ランクは5位で、セミファイナル(準決勝)で、あのグラフと死闘を演じた。

 

第1セット 3-6

第2セット 6-2 ここで日没順延

第3セット 3-6 グラフ勝利。伊達、決勝進出ならず。

 

そしてこの年を最後に、伊達公子は一度現役を引退した。当時の私の印象としては、言葉こそ少ないが、世界ランクが上がり、グランドスラムでの優勝が待望されていながらも、クオーターファイナルやセミファイナルでは、疲労した蓄積や、試合の中で重なっていった「細かい故障」がどうしても足を引っ張り、日没順延となったこの年のウインブルドンでも、一晩でそういう故障が戻らなかったせいで、グラフに勝てなかったということを、伊達自身が一番強く感じたのだろうと勝手に推測している。それだけ、日没順延後の第3セットの伊達は、前日と比べてキレのなさが目立った(もちろん、この試合は私もテレビで見ていた)。

また、伊達は試合中眉をひそめ、まるで修羅のように戦っていたことも何となく印象に残っている。そういう姿も、対戦相手に、自分の細かい故障などを悟られないようにするための「仕方ない技術」だったのかも知れない。

 

したがって、26歳という若さで彼女が引退宣言したときも、最初はびっくりしたが、すぐにむべなるかな、という気持ちにもなった。自分の体の故障が、回復を期待できないほどに強く、しつこくなってきた時に、プロとして続ける気持ちが折れるのであろう。今後は後進を育てたり、解説者としてまた別の道を歩んで、楽しい人生を送れればいいなと何となく思っていた。

 

ところが、そんな伊達公子が、結婚し、クルム伊達公子となり、3年前にいきなり復帰宣言をした。wikipediaによると、復帰した理由は「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」とのこと。37歳である。マイペースで出る試合を決め、コツコツ現場でのカンを戻していくつもりだったのだろう。とは言え、やはり37歳である。幼少期からの体の故障がまだ残っているとすれば、ますます体をいじめることになり、試合中に大ケガをするのではないかとさえ思った。

しかし、当人には、そんな心配はあまりなかったようである。あるスポーツ番組のインタビューで、以下のように語っていたと記憶している。

「ある時、『ああやっぱり私って、テニスをやりたいんだ!』と思って、ダンナに『私またテニスやるから!』と。ダンナは『大丈夫なの?』って心配していたようですけど(笑)」

テニスが楽しめればいい、テニスを楽しみたい、そういう気持ちでいても立っていられなくなったのだろう。

体の「ついていけなさ」を、「テニスを楽しむ心」で補って、プロテニスプレイヤーとして今後はマイペースでがんばっていくのだなと思っていた。

 

 

 

 

ところがである。格下相手の初戦を突破した後の2戦目。

 

 

 

 

 

・・・なんじゃあこりゃあ!!勝つ気満々やんけ!!!

 

私が勝手に「サイボーグ」と読んでいる、サーブ良し、走って良し、スタミナ問題なし、手足も長くてほぼ弱点が見当たらないヴィーナス・ウイリアムズ(31歳、世界ランク30位)との2回戦。クルム伊達さんも、ランキングを上げたとは言え世界ランク57位。実に微妙な力関係である。

 

私は上のように勝手に考えていたので、クルム伊達さんには申し訳ないが、「負けを覚悟で、体に優しいテニス」をやるのかと思っていたら・・・

 

 

 

・・・本気すぎる。

 

「40歳が、世界ランクを落としたとは言え、サイボーグに勝つことは無謀」という、当然の前提を、このお方は、はじめっから1ミリも考えていなかった。

コイントスに負け、ウイリアムズのサービスゲームでスタートしたにもかかわらず、序盤から、サイボーグから放たれる弾丸サービスを思い切り走り回ってブレイクしまくり。第1セット、ゲームカウント5-1まで広げた。もちろん、伊達は「5」の方である。

しかしさすがにサイボーグ、正確なリターンと弾丸のようなサービスエースが決まりだし、6-6のタイブレイクまで持ち込んだ。でもクルム伊達さんはここでもあきらめないのである。

このウインブルドンで優勝したこともあるこの「サイボーグ」を打ち破るには、弱点といわれている足下に打つ、左右に振る、そして弾丸サービスの方向をを読むという、現役時代と同じくらいの能力が必要となるが、第1セット、サービスの読みが当たり、クルム伊達さんの一番のお家芸と言われる、「左右に振って、その間に前に出てボレーで決める」殺法が決まり、このタイブレイク、スコア8-6で第1セットを取った。

 

 

なんつーか、一番びっくりしたのは、「強い伊達さん」の復活以上に、

 

<ギリギリでアウトになって悔しがるクルム伊達さん>

 

勝つ気満々のくせして、楽しんでるんだよね。テニスを。20代の伊達さんが、こんな笑顔で悔しがっている顔をしたことを見た記憶が私にはない。さながら部活でやっているテニスのようである。

ハードと言われるテニスというスポーツで、「楽しく、かつ、全力で」を、なんと40歳になって体現し始めたクルム伊達公子さん。きっと今は、テニスが楽しくて楽しくてしょうがないんだろうと思う。

思わず私は深夜に一人で絶叫していました。お隣に気を遣いながら。

「あんたなんかに、負けてらんないのよ!」と。

 

第2セットは、スピードがやや落ちたせいで、3-6で取られてしまったが、第3セットはサービスゲームを両者ともきっちりキープするナイスゲームで一度6-6に。ファイナルセットは2ゲーム差がつくまでやるのだが、最後は疲れの見えたクルム伊達さんと、途中でやや壊れつつも、サイボーグの正確さで伊達さんの振り回しに最後までついて行ったウイリアムが2ゲーム取って6-8へ。このあたりは「敵ながらあっぱれ」であった。

 

 

この「30代と40代による、2回戦としてはもったいなさ過ぎる死闘」は、公式ホームページで

"Never too old for Wimbledon"「ウインブルドンには、『年を取りすぎる』ってことはないのだ」

というタイトルでコラムになっている。また、

"Venus overcomes veteran challenge"「ヴィーナス、『ヴェテラン』からのチャレンジを乗り越える」

という記事では、

The Japanese veteran - who first played at Wimbledon in 1989, when 36 of the women in the 2011 draw were not yet born - simply refused to succumb. Williams, herself among the older players here now that she is all of 31, required almost three hours to withstand the squall. She eventually triumphed 6-7(6), 6-3, 8-6, but all the applause was for her opponent.

「しかし、全ての拍手喝采は、彼女(ウイリアムズ)の相手へのものであった。」

 

と、観客のほとんどを味方につけたクルム伊達さんの健闘をたたえている。試合が終わった後、センターコートの観客席はさも当然のごとくスタンディングオベーションとなり、3時間にも及ぶ両者の「死闘」をたたえた。ウインブルドンでは「観客を味方につけた方が勝つ」とよく言われているが、40歳という体で、元ウインブルドン覇者に、一歩も引けを取らない闘志と技術、そしてテニスを楽しむ心を与えてくれたのは、この観客たちによるところが大きかったのかも知れない。黒人(しかもアメリカ代表)と黄色人種という、イギリス人にとってはいかにも食指が動かなさそうな両者の対戦だけあって、序盤は興味なさそうにしていた観客(次の試合待ちか?)も、後半はほとんどがこの熱戦に魅了されていた。

 

 

 

 

・・・それにしても、私なんぞは、最近太ってきたので軽くジョギングしているつもりなのについ力が入り、すぐにヒザ痛に悩んでしまうというのに、この"veteran「退役者、老兵」"の、このパフォーマンスの高さと、人生の楽しみぶりは一体何なんだ。単なる「天賦の才」以上の綿密な肉体作りと、復帰への地道なシナリオ作りと、その一歩一歩の実践と検証という、実に地道な作業がこの3年の裏にはあったのだろう。37歳から、3年かけて、ウインブルドンで「第一線」としてプレイできるようになるための体作り・・・もう、そこからして、私のような素人には想像もつかない地道な努力があったのだろう。

 

改めて、私は私自身のフィールドで、負けてらんないのよ!と思うことしきりであった。

 



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