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2012.01.16国旗国歌最高裁判決への逐次的ツッコミその2

2012-01-20 23:49:57 | Weblog

その1はこちら

その1の続きになる。判決全文のPDFはその1の始めにリンクを貼ってある。

 

(p.11)そうすると,上記のように過去に入学式の際の服装等に係る職務命令違反による戒告1回の処分歴があることのみを理由に同第1審原告に対する懲戒処分として減給処分を選択した都教委の判断は,減給の期間の長短及び割合の多寡にかかわらず,処分の選択が重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き,上記減給処分は懲戒権者としての裁量権の範囲を超えるものとして違法の評価を免れないと解するのが相当である。(下線、最高裁)

 

あ~~また出てきた「社会観念」。その1でつっこんだように、「社会観念」と入れれば、単なる裁判官の印象までをも根拠に組み込むことができるのだから、結局は曖昧な基準なまま、「2回目で減給は裁量権の範囲を超えている」と言っているに過ぎない。最高裁はアホか???

 

>第4 結論
>以上のとおりであるから,平成23年(行ツ)第263号上告人らの上告を棄却するとともに,原判決のうち平成23年(行ヒ)第294号被上告人X4以外の同号被上告人らの戒告処分の取消請求に係る部分を破棄し,同部分につき同被上告人らの控訴を棄却することとし,同号上告人のその余の上告を棄却することとする。

>よって,裁判官宮川光治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官櫻井龍子,同金築誠志の各補足意見がある。

裁判官櫻井龍子の補足意見は,次のとおりである。

>1 事案の性格に鑑み,若干の補足意見を述べておきたい。

(中略)

>東京都(東京都教育委員会)における懲戒処分の処分量定については,入学式や卒業式等での国歌斉唱時における不起立(ピアノ伴奏の拒否を含む。本意見において以下同じ。)という職務命令違反の行為に対し,1回目は戒告処分とし,2回目以降からは加重処分を行うこととし,2回目で減給1か月,3回目で減給6か月,4回目以降は停職処分にする方針が採られていることがうかがわれる。

>(2) これらの懲戒処分のうち最も軽い戒告処分と,その上の減給処分の差は大きく,更にその上の停職処分との間には大きな差がある。戒告処分は,職員の規律違反の責任を確認してその将来を戒める処分であって,勤勉手当の減額という条例上の不利益や将来の昇給等への間接的な影響はあるものの,法律上は直接的な給与上ないし職務上の不利益を含む処分ではないのに対し,減給処分は,法律上の不利益として給与そのものが直接的に減額されるのみならず,その結果が期末手当,退職金,年金等にも影響するなど給与上の多大な不利益を伴う処分である。さらに,停職処分は,法律上の不利益として停職中の給与が全額支給されないことによる大きな給与上の不利益に加え,教師の場合は停職期間中教壇に立てないことについての本人の職務上の不利益も大きく(生徒への教育上の影響なども無視できない。),極めて厳しい重大な処分であることが明らかである。したがって,東京都における上記(1)のような一律の加重処分の定め方,実際の機械的な適用は,そのこと自体が問題であるといわなければならず,また,懲戒の対象行為との関係における相当性が問題である。

 

なんと、事前に「2回目で減給1ヶ月、3回目で減給6ヶ月、4回目以降は停職処分(ということは、免職は5回目以降)」という方針が、東京都教育委員会から示されていたにもかかわらず、「減給1ヶ月は重すぎる」と言っているのがこの櫻井裁判官である。

・・・公立学校教員は、いったい、どこまで裁判所に守られれば気が済むのだろうか。そりゃコネや裏金をフル動員してでも公立学校教員になりたがる輩が後を断たないわけだ(笑)。

この処分が、十分に減給以上に値するという説明は、その1の最後で行った通りである。

 

>本件の不起立行為は,既に多数意見の中で説示しているように,それぞれの行為者の歴史観等に起因してやむを得ず行うものであり,その結果式典の進行が遅れるなどの支障を生じさせる態様でもなく,また行為者も式典の妨害を目的にして行うものではない。不起立の時間も短く,保護者の一部に違和感,不快感を持つものがいるとしても,その後の教育活動,学校の秩序維持等に大きく影響しているという事実が認められているわけではない。

 

オイそこ飛躍してますよ櫻井裁判官。宮川裁判官以外の全員一致した「主文の理由=いわゆる「主論」=傍論ではない部分」の部分では、

>イ 他方,不起立行為等の動機,原因は,当該教職員の歴史観ないし世界観等に由来する「君が代」や「日の丸」に対する否定的評価等のゆえに,本件職務命令により求められる行為と自らの歴史観ないし世界観等に由来する外部的行動とが相違することであり,個人の歴史観ないし世界観等に起因するものである。(p.7~8)

としか書かれていない。すなわち、不起立や伴奏拒否が、教員の歴史観などに照らしてやむを得ず行ったということは事実としては認定されていない

 

この、櫻井裁判官による「補足意見」が、いわゆる「傍論」かどうかは、法曹関係者たちによる議論があるところであろうから、当ブログ(笑)ではその判断を保留しておく。しかし、この「補足意見」が「傍論」ではない、すなわち、「主文の理由」として認識されるようになると、少なくとも裁判所では、

・本件の不起立行為は,既に多数意見の中で説示しているように,それぞれの行為者の歴史観等に起因してやむを得ず行ったもの

として事実認定されたことになり、今後の同様の裁判においても、国歌斉唱時の不起立や、国歌伴奏の拒否などが、「それぞれの行為者の歴史観等に起因してやむを得ず行ったもの」として認定されやすくなってくる。櫻井裁判官による「補足意見」のこの部分が、そこまでを見越して書かれたものである可能性はかなり高い。最高裁の判例は、今後の裁判において法的拘束力を持つという考え方が普通であるのだから。

 

だとすれば、櫻井裁判官によるこの部分は、国歌斉唱時に起立をしたり、国歌の伴奏を、内心とは関係なく行うことを、「儀式的・外形的行為」ではなく、「その教師の歴史観等に起因してやむを得ず行ったもの」として位置づけられやすくなる。その意味で、櫻井裁判官によるこの「補足意見」は、「今後の判例の拘束」を意図して行おうとしているという意味で、きわめて凶悪であると言わねばなるまい。当ブログで櫻井裁判官にも×をつけよ、と主張する所以である。

 

また、先に引用したこの部分もおかしい。

 

>不起立の時間も短く,保護者の一部に違和感,不快感を持つものがいるとしても,その後の教育活動,学校の秩序維持等に大きく影響しているという事実が認められているわけではない。

 

「その後の教育活動、学校の秩序維持などに大きく影響している」かどうかが、「儀式における職務命令違反」の違反の重さを判断する基準になっているところが甚だおかしい。

その後の教育活動、学校の秩序維持などに大きく影響さえしていなければ、教員への職務命令違反は、減給以上の処分にしてはならない」という基準を作るということは、当該学校が、

「うちの学校は、卒業式や入学式での国歌斉唱時に教師が起立しなかったり、音楽教師がピアノ伴奏を拒否しても、『大きな影響は生じていません』よ」

という状況を作れば、卒業式や入学式での国歌斉唱時に教師が起立しない、音楽教師がピアノ伴奏をしない、という職務命令違反は「問題ない」ということになる。

つまり、「職務命令違反が常態化している学校であればあるほど、そういう職務命令違反は重く罰するべきではない」という、何とも意味不明な基準を、この櫻井裁判官が提示したということになる。

 

これを「秩序」の問題に置き換えれば、例えば、

・新宿区歌舞伎町という町は、暴力団構成員や不法入国者が跋扈し、拳銃や日本刀などの凶器を持ち歩いている人間が普通にいる町なのだから、歌舞伎町で入国管理法違反や銃刀法違反となる罪を犯しても、重く罰するべきではない。=歌舞伎町がますます危険な町になるだけ。

などという論理と全く同じになる。これだけおかしな判断を、しつこいが、三権の頂点の一つである、最高裁判所の裁判官が、ハッキリと文章化して行っているというのは、もうしわけないが、法治国家の裁判官の行いとしては、自分の目が信じられないくらいおかしな状態である。

 

また、念のために言っておくが、こういう批判を「行政裁判と刑事裁判は別物」などという「論理」で無視しようとするのは、実に皮相的な、レベルの低いネトサヨ(笑)レベルの批判だと言わねばなるまい。行政裁判であろうが、刑事裁判であろうが、国家が国民に対してどのくらい介入することが許されるかという点においては全く変わらない。しかも、今回の行政裁判は、上告人が公立学校の教員という「公務員」であって、銃刀法や入国管理法が捕捉対象とする「一般国民、ないし日本国籍を持たない人間」よりも、より「国家」という存在からその行為を規制されても仕方がない存在である。だとすれば、東京都が東京都の公務員に対して持つ「束縛力」は、日本国家が日本国民または他国民に対して持つ「束縛力」より「抑制的であるべきだ」とでも言わんばかりのようなこの「補足説明」は全く逆方向である。櫻井裁判官によるこういう「必死なフォロー」は、公務員が奉仕対象として規定している「国民全体」を激しく愚弄するものである。

レベルの低いネトサヨ君(笑)にもわかるように、もっとわかりやすく言ってあげよう。東京都の公立学校の教員は東京都の公務員なんだろ?だったらそのお上である東京都の職務命令を聞け。それが嫌なら公務員になどなるなよ。当たり前のことだ。国歌斉唱時に起立する/しないレベル、音楽教師でありながら君が代の伴奏を拒否する/しないレベルは、公立学校教員の「内心の自由」なんぞをなんら束縛しない。

 

裁判官たちが、必死になって「束縛しているかもよ」という「雰囲気づくり」をすることで、日本のネトサヨ&リアルサヨクサイドにできるだけの「心遣い」をしている姿が、見ていて哀れだよ。

 

 



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