皆様、お盆はいかがお過ごしでしょうか。今年は大震災の影響で、ふるさとの意味を再確認しようと帰省される方も多いと思います。
まあ私は罰当たり者なので、お盆も関係なく仕事をしていますが。東京が少しだけ静かになる数日というのも風情があります。まだそれほど静かではありませんが。
仕事をしているなりにも、お盆は落ち着いて過ごしたかったのですが、仕事の時間帯のせいでたまたま聞いてしまったTBSラジオ「ラジオ東京 永六輔 その新世界」が、ラジオだけに電波を飛ばしまくっていましたね。ゲストは中山千夏。
ラジオで何度も宣伝されていたのがこのPDF。題して、「私のための原発メモ」。
http://homepage3.nifty.com/Karinsha/ronbun/ron-genpat.pdf
MCの永六輔も何度もプッシュしていました。
「一番心に残ったのは、『原発が安全というのなら、台所にも家庭用原発が置けるのに』ってところだった」
と繰り返します。
しかし、このPDFを検索しても、そういうフレーズは出てきません。代わりにこんな部分が。
メモ2 核燃料は爆弾の仲間
人間は太古から、いろいろな燃料を自然界に見つけ出し、利用してきた。
薪、炭、石炭、石油・・・おおむねその性質は、長年の付き合いでなじみ深いものだ。熱すれば発火する。油以外は水をかければ鎮火するし、油でもなんでも空気を絶てば火は消える。
しかし、人類がお目にかかって間もない核燃料はまるで違う。
そもそも台所で使えない。
・・・それは、一台所単位では、規模の利益が出ないからでしょ。実際に、原子力潜水艦の機構のように、ニーズがある分野では小型の原子炉は実用化されています。あとは、安全性や経済性についての合意ができるのなら、集団住宅用の小規模原子炉というのは実用可能かも知れません。
そして何より、核燃料だけを、爆弾の仲間だから使うのはおかしいという論理がおかしすぎます。
例えば花火は、火薬の爆発する性質を利用して作りますが、その機構はダイナマイトなどと基本的に同じです。発火すれば爆発する。その点は全く変わりません。
だからと言って、「花火は爆弾の仲間だから使うのはおかしい」と主張する人はいますか?
いるとして、その主張にどれだけ妥当性を感じる人がいるのですか?
しかしこういう思考すら、このPDFにとっては無意味でしょう。なぜなら、中山千夏「自身のためのメモ書き」に過ぎないのですから。
中山千夏が個人として納得できればそれでいいのです。
だったらなぜ永六輔が繰り返しこのアドレスを宣伝するのか。不思議でなりません。
中山千夏と永六輔だけが「いいね~そうだね~」と思えるPDFをラジオで宣伝する。まさに電波を電波で宣伝しているわけです。
しかもこの番組、録音とのこと。わざわざ録音までして流す意味と価値があるコンテンツなのか。。。
リテラシーが低い方は、「批判するくらいなら聞くな」と言いますが、無料だろうが有料だろうが、見聞したり経験したものを批評する権利はだれも侵せません。その批評が、結果としてネガティヴなものなときに「批判」という表現になるだけのことです。
その証拠に、「批判するなら全部見てからにしろ」という言説も、これと同じくらいポピュラーです。「批判するなら全部見てからにしろ」と、「批判するくらいなら見るな」を同時に言える人は、どんだけオレ様権力者なら気が済むのかという話です。
この程度の放送で、放送の公共性を疑うことまではしませんが、よりによってお盆という落ち着きたい時期に、こういう程度の低いコンテンツを平気で流せるということが、いまの永六輔の耄碌ぶりを如実に示している、ということなのでしょう。