塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 江戸の罪と罰 監獄則

2015-02-12 05:44:07 | ミュージアム巡り_2015
 河鍋暁斎が大番屋に入牢した当時、東京府囚獄の長は、幕末岡山
藩の尊皇派で入牢経験もある小原重哉。江戸時代の獄舎の悲惨さを
地獄世界と呼んだ小原は、新政府に出仕後、獄舎改革を訴える。

 明治4年(1871)、政府は小原を香港、シンガポールの刑務所の視
察に派遣。英国領事館員のJ・ケアリー・ホールが通訳兼ガイドとし
て同行。小原がそこで視たものは、行き届いた換気と下水設備。清
潔さや起立正しいルールに則って、受刑者たちが整然と労働に従事
する姿だった。

 「監獄則」(1872年完成)は、海外視察を終えて帰国した小原が近
代的な獄舎の構想をまとめたもの。また、同書の附図に「監獄則図
式」がある。“米華”の号をもつ画家でもあった小原が監獄の設備や
器具等を描いたもの。

 ところが、1872年に頒布された同書&図は監獄新築など巨額の
経費を要するという理由で施行が中止されている。しかし、1874
年末に完成した鍛冶橋監倉の建築などに生かされたという。
(国立公文書館:千代田区北の丸公園3-2)

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