疑心、暗鬼を生ず
―― 疑心生暗鬼
『列子』
疑わしい眼で見ればすべてのことが疑わしく思われてくるのだという。
『列子』に、こんな話が紹介されている。
ある男がマサカリをなくした。隣の息子があやしいと思った。その息子の歩き方を見ると、どうも盗んだようだ。顔つきも盗んだようだ。ことばつきも盗んだようだ。やることなすこと、みなマサカリを盗んだように見えてくる。
ところがその後、谷間を掘っていると、思いがけずマサカリが見つかった。それからは。隣の息子のやることなすこと、盗んだようには見えなかったという。
自分の思い込みで罪のない者まで疑わしく見えたという話である。
これに類する話は、誰にでもあるだろう。誤った予断や先入観によって判断をまどわされるのである。自分の判断力でも、無条件の信頼など置かないほうがよいのかもしれない。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
特に自分の気持ちが不安定なときは、何も信じられなくなる。
今日も一日がんばりましょう。