歓楽極まって哀情多し
――歓楽極兮、哀情多し
『古文真宝』
漢の武帝の「秋風辞(しゅうふうじ)」と題する詩の一節。もう少し引用すると、
歓楽極まって哀情多し
少壮幾何(いくばく)ぞ
老いを奈何(いか)にせん
とある。武帝は漢代の全盛期の皇帝である。しようと思えば何でもできる立場にあり、その楽しみ方も豪奢をきわめたて違いない。しかし、そのかれですら、楽しみのかげにしのびよる「哀情」をいかんともできなかった。これが人生というものかもしれない。われわれの楽しみ方など、武帝のそれに遠く及ばない。だが、「歓楽極まって」、という思いはまったく同じである。座も乱れて廃盤狼藉の騒ぎになると、楽しみどころか、索莫(さくばく)たる思いがつのってくる。
『菜根譚』も、「世の中の楽しみごとは、たいていそんなものだ。どうしてほどほどでやめておかないのか」と戒めている。楽しみに溺れてはならないということだ。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
今日も一日顔晴りましょう。