事(こと)を慮(おもんばか)ること深遠なれば、即ち迂(う)に近し
――慮事深遠、則近於迂矣
『宋名臣言行録』
「迂」のもともとの意味は、遠回りである。そこから、まだるっこいとか非実際的という意味が生まれてきた。迂闊(うかつ)とか迂遠(うえん)というのがそれである。
念には念を入れて考え、慎重に対処すればするほど「迂」に近くなるというのだ。しかし、これはけなしたことばではない。ある男が人から「迂」だと非難されたとき、友人がかばったときのことばである。
「あの男はたしかに迂かもしれない。しかし、その中身を考えてほしい。周囲に考えをめぐらすので、どうしても迂に見えてくるのだ。見かけだけにとらわれないで、長所のほうも評価してやってほしい」
こういったニュアンスで使われたことばである。
周到に考えをめぐらしながら、機敏な対応ができれば、それがもっとも理想的なのかもしれない。しかし、「迂に近し」というのは大人の風格にも通じる面があるから、いちがいに否定はできないのである。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
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