令和の平蔵、今日のひとこと

組織のマネジメントに、ビジネスに、人間関係の改善に、お役に立つことを書き綴っていきます(2021年4月1日)

備忘録 22-03-31

2022年03月31日 08時23分33秒 | 備忘録
軽諾(けいだく)は必ず信寡(すくな)し

――軽諾者必寡信

『老子』

「軽諾」というのは、軽々しく、「承知しました」などと返事をすること。つまりは安請け合いである。したがって、このことばは「安請け合いは不信の元」とでも訳すことができよう。

われわれが犯しがちな過ちの一つが、この安請け合いである。前後の事情も考えず、その場の雰囲気につられて、「わかりました。なんとかしてみましょう」と、つい相手に希望をもたせるようなことを言ってしまう。その結果、あとで自分で自分を苦しめることになるばかりでなく、相手の不信までか買ってしまう。よく考えると、これほど割の合わないことはない。

リーダーの場合、この「軽諾」のマイナスは、ひときわ深刻である。なぜなら、やたら「失言取り消し」をやっていたのでは、部下の信頼を得られず、みずからの威信にかかわってくるからだ。へたに雄弁であるよりも、寡黙を心がけたほうがよいのかもしれない。

以上、「中国古典一日一言」より

依頼に対しては、自分や自組織の能力を見極めより慎重に、ということでしょうが、果敢なチャレンジは必要で、それこそ能力を高められる機会でもあります。
リーダーも周りを鼓舞して、一丸となれる組織を作っていきましょう。
業務に対する真摯さ、部下に対する真摯さ、自分に対する真摯さがあれば、乗り切れる。

期末の一日、今日もがんばりましょう。

備忘録 22-03-30

2022年03月30日 07時19分07秒 | 備忘録
前車の覆るは後車の戒め

前車覆、後車戒

『漢書(かんじょ)』

漢代の賈誼(かぎ)という学者が時の文帝に献策した文章の中に、「鄙諺(ひげん)に曰く」として、このことばが引用されている。してみると、当時から広く使われていたことばであるらしい。意味は、説明するまでもなく、前の車のひっくり返るのを見たら、その二の舞いをしないように気をつけなさい、ということだ。このとき賈誼が「前車」になぞらえたのは、漢代のすぐ前の秦の失敗である。秦は始皇帝による強権政治の無理がたたって、わずか二代で滅びた。文帝は、よく秦の失敗に学び、みずから節倹を旨として政治に当たった。その結果、見事な治績をあげ名君と称されている。

唐の太宗についても同じことが言える。この人が名君と称されるのも、すぐ前の隋(ずい)の煬帝(ようだい)の失敗を反面教師として、同じ失敗を繰り返すまいぞと心に言いきかせながら政治に取り組んだからだといわれる。

前人の失敗は、記憶になまなましいだけに、これにまさる教訓はない。

以上、「中国古典一日一言」より

今日も一日がんばりましょう。

備忘録 22-03-29

2022年03月29日 07時45分35秒 | 備忘録
世に伯楽あり、然る後に千里の馬あり

――世有伯楽、然後有千里馬

『文章軌範』

「伯楽」は、昔、中国にいたといわれる馬を鑑定する名人。馬喰(博労)の語源。「千里の馬」は一日に千里も走るといわれた駿馬である。

こんな説話がある。ある男が駿馬を売ろうとして三日も市に立ち続けたが、一人として目をとめる者がいない。男は、伯楽のところに行って頼み込んだ。
「どうか市においでになって、馬のまわりをまわってごらんになり、去りぎわにもう一度ふり返って見ていただけませんか。お礼はたっぷりとさせていただきますから」

伯楽は、馬のまわりをまわりながら、つくづくと見つめ、去りぎわにふり返ってもう一度見つめた。すると、馬の値段はたちまち十倍にもはね上がったという。

このように、千里の馬は伯楽がいてこそ見出されるのである。人間も同じことだ。どんなに才能があっても、それを見出してくれる伯楽に出会わなかったら、世に出ることはむずかしい。

以上、「中国古典一日一言」より

伯楽に見つけてもらうためにも、日々の鍛錬ですね。
虚無蔵さんも言っています。

今日も一日がんばりましょう。

備忘録 22-03-28

2022年03月28日 07時22分17秒 | 備忘録
欲あれば則ち剛なし

――有欲則無剛

『近思録』

「剛」は「柔」の反対。かたしとかつよしと読ませる。ためしに、「剛」に関する熟語を拾ってみると、剛毅、剛健、剛直とある。

「剛」のつよさは、同じつよさでも、自分が正しいと信じたことはあくまでも主張して譲らないつよさ、あるいは、烈しい嵐にビクともしないでそびえ立っている木のつよさ、このようなイメージに近い。

むろんこれは美徳である。たが、それも私欲があると、失われてしまうのだという。なぜなら、私欲にひかれて妥協に走るからである。
『論語』にこんな話がある。あるとき孔子が「吾いまだ剛なる者を見ず」と嘆いたところ、「申棖(しんとう)という男はどうですか」と聞いた者がいた。孔子はこう答えている。 「棖や慾あり。いずくんぞ剛なるを得ん」
あの男には欲がある。あれじゃ剛にはなれんよ、というのだ。『近思録』のこのことばは、この一節を受けているのかもしれない。

以上、「中国古典一日一言」より

木曜日には新年度。今日も一日がんばりましょう。

備忘録 22-03-27

2022年03月27日 09時11分04秒 | 備忘録
難に臨んでは苟も免れんとするなかれ

――臨難母苟免

『礼記』

困難にぶつかっても、逃げ腰にならないで、まっ正面から立ち向って行けというのだ。 一口に困難と言ってもさまざまな困難がある。この場合、どんな困難さいしても、恐れずに立ち向かって行けというのではない。それでは、たんなる猪武者になってしまう。

『礼記』のこのくだり、注を見ると、「義を傷(やぶ)らんが為なり」とある。逃げるのは「義」に反する行為だから、それはまずいぞというのだ。したがってこのことばは、原典に則して読むと、自分が正しいと信じて進んだ道は、前途にどんな困難が待ちかまえていても、避けて通ってはならないとなる。

ふだん、困難にぶつかった場合は、逃げてもよいし、遠回りしてもよい。その時の情況に応じて、臨機応変に対処すればよい。なにも正面突破だけが能ではないのだ。

だが、自分が正しいと信じたことは、おのずから別である。これでたじろぐようでは人生の根幹にかかわってくるように思う

以上、「中国古典一日一言」より

信じた道を突き進む。

今日も一日がんばりましょう。