新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1462 市谷亀ヶ岡八幡宮

2020-11-23 05:59:43 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です


神使をキーワードに全国の神社を神社を巡ります

亀の神社

今回は  市谷亀ヶ岡八幡宮 です

■御祭神

誉田別命【ほんだわけのみこと】(第十五代應神天皇)
気長足姫尊【おきながのたらしひめのみこと】(神功皇后・・應神天皇の母君)
與登比売神【よとひめのかみ】(應神天皇の姫神)

茶の木稲荷社地内に江戸城西方の守護として鶴岡八幡宮の分霊を勧請。

市谷亀岡八幡宮縁起道灌は文明十一年(1479年)に、
市谷御門内に鶴岡八幡宮の分霊を、江戸城西方の守護神として勧請し、
これを鶴に対して、亀岡八幡宮と称しました。

のちになって、外濠が完成すると、さらに外郭の地、
市谷の稲荷社地内に遷座【せんざ】。
この稲荷神社が、現在の茶の木稲荷で、市谷には古くからあったものです。

鎌倉時代、この周辺は市買村と呼ばれ、豪族市谷氏が所領していたといわれています。
その市買村の鎮守が、田の神をまつる稲荷神だったわけです。
江戸城と河越城を拠点に、太田道灌の名声が高まるにつれ、
その実力に不安を抱いた主君の上杉定正は、道灌を相模国糟谷の館によびよせ、
浴室で斬殺してしまいました。五十五歳の生涯でした。

この由緒ある亀岡八幡宮も、天正年間に戦火で破壊され、
荒地と化してしまいました。慶長のころ、この荒廃に憤激した、
別当源空少僧都【そうず】は自力で再建しましたが、
むかしの規模にはくらべようもありません。
徳川家康が江戸城入城の折、当社の由来をたずね、
その後、三代将軍家光から莫大な援助がありました。
元禄十五年、将軍綱吉の母桂昌院が亀岡八幡宮の来歴を聞き、
神輿【みこし】のたらないのを悲しまれて、黄金を寄進。
これによって、三基の神輿が完成するとともに、
社のにぎわいも、ますます盛大になって行きました。
桂昌院は、たいへん信仰深い方だったのです。
同じ元禄年間に綱吉の側用人で、その権威並ぶ者なしといわれた柳沢吉保が、
当社に参詣し、詩歌を献上しています。また、お参りのおり、
境内に立ちならぶ露店の品々を、残らず買い上げ、
露天商を感激さたという逸話もあります。


◇所在地

東京都新宿区市谷八幡町15

◇最寄りの駅

JR、東京メトロ有楽町線・南北線、都営新宿線「市ヶ谷」駅すぐ


<市谷亀ヶ岡八幡宮 ホームページより >
http://www.ichigayahachiman.or.jp/index.html



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