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新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1343 添御縣坐神社

2020-07-26 06:23:53 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

全国の国指定文化財等がある神社を巡ります

今回は 添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ) です

御祭神

建速須佐ノ男命
武乳速之命
櫛稲田姫之命

古代以来、大和の国の中に添(そう)郡(ぐん)といわれる郡があり、
古代の文書には層富あるいは曽布とも記されましたが、
今の奈良市、生駒市や旧生駒 郡、添上郡を含む奈良県北部に当ります。
広大な郡で、人口も増加したので後に添上(そえかみ)、
添下(そえしも)の両郡にわかれました。
当神社のある場所 は添下郡(現在は生駒郡から奈良市に編入)にあたります。
次に県[あがた]とは、律令体制以前の、朝廷の直轄地として設置され、
ここは主に皇室に木材や薪を納めていた料地のため「御」の字をつけ
御県(みあが た)と言われました。

大和には他に高市・葛木・十市・志貴・山辺の五つの県があり、
合わせて六御県(むつのみあがた)とも呼ばれました。
従って大和の国の 添郡に設置された御県に鎮座する神社という意味になります。

平安時代初期に編纂された「延喜式神名帳」という
全国の神社一覧文書によりますと、この神社は、
月並祭や新嘗祭(にいなめさい)に朝廷から幣帛 (へいはく=お供え物の布類)を
奉られて「大社」という格式を認められた神社として記されています。
従って、延喜年間(901~923AD)以前に既に存 在していたことは確実です。
伝えによりますと、その祭神のうち武乳速之(たけちばやの)命の真の名は
添御県の一帯を開発し、治めていた首長のな那賀須泥彦(ながすねひこ)とされ、
鎮座の起源は奈良時 代以前のおよそ古墳時代まで遡ることができます。
その後、富雄川流域でもこの一帯は古代豪族の小野氏が治め、
林業を営む杣人の里となっていました。


◇所在地

奈良市三碓3丁目5番8号

◇最寄りの駅

近鉄奈良線 富雄駅下車

富雄駅西口から南 県道経由1.3km
富雄駅東口から市道を南へ1km, (細道注意)

<添御縣坐神社 ホームページより >
https://naramachigoryojinja.amebaownd.com/



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