3月10日、11日のテレビ、新聞、ネットではこの日を忘れないとする特集が大半を占めていました。私が昨年9月に訪れた陸前高田や気仙沼ではあまり復興が進んでいない様子がテレビに映し出されていました。特に気仙沼で見た魚港から2km離れた巨大な船を巡っては、保存と処分で意見が割れていることを知りました。またほかの被害を受けた施設(病院、学校等)に関しても同様な問題があるようです。
そうした問題について、NHKNEWS WEBで盛岡放送局 渡辺健策副部長が「忘れたい」と「忘れない」と題して記事を紹介しています。
「震災2年 分かれる心のはざまで
最近感じているのは、震災を「早く忘れたい」という人と「忘れたくない、忘れるべきでない」という人がはっきり分かれていることだ。
「震災を忘れたい」という人たちは“いつまでも『被災地』とか『被災者』とか支援を受けるものとして呼ばれたくない。早く日常を取り戻したい”という思いが強い。私たちボランティアが「何か困っていることはないですか」と尋ねると「ありがとう。でも、もう結構ですから。そっとしておいて下さい」という答えが返ってくる。支援はもういい、早く自立して元の暮らしに戻りたいのだ。そんな切実な思いに触れるたびに、“押し付けの支援”であってはならないと自らを戒める。
一方、「震災を忘れない」という人たちは、二度とこうした悲劇を繰り返さないためにも津波の恐ろしさを後世に伝えていかなければならない、そのためにつらい体験もあえて直視するという考えを持っている。全国の人々の被災地への関心がしだいに薄れてしまっていることに危機感を感じている人も多い。「震災遺構」と呼ばれるモニュメントを残そうという運動もこうした考えから始まっている。」-----------------
またNHKのWEB上で<別の記者は>
「2年前の3月は、確かに「東日本」の震災だったかも知れません。しかし関心が徐々に薄れるなか、2年経った今では「東日本」を名乗るのが不釣り合いなほど“地域限定”“季節限定”の災害として、全国的には見られつつあるのが実情です。そして、その被災地も一様ではありません」と述べています。
<更にNHKWEB上の別の記者記事ですが>
「今回の震災は、さまざまな構造を変えていく契機にもなっています。津波の被害を受けた仙台平野に出現しつつある野菜工場団地やメガソーラーなどは、不幸な震災を乗り越えて、日本のトップランナーとなる可能性も秘めています。
多くの支援制度が期限を迎えていく震災3年目は、被災地の復興にとって分水嶺となる1年間かも知れません。さらに厳しい状況に追い込まれていくのか、それとも新しい知恵が出てくるのか、被災地の各局では、端緒となる小さな流れを見逃すことなく、3年目を迎えた未曾有の震災の現状を伝えていきたいと思います」とのべています。
大震災後2年目の今回の報道記事を忘れないため、3氏の記事を引用させて
いただきました。