紫乃の琴話し

高知県で琴・三弦・二胡の教室を開催している松村紫乃の公式ブログです。
教室の様子や日々の出来事を綴っています。

三曲協会総合練習

2018年03月25日 07時26分00秒 | 民族音楽


今日は”大勇”我が国歴史で戦争が多く生じた日・
効弘治3年川中島の戦い・・・明治3年箱館戦争多くの勇姿がを血を流し命を散らした。今我々もこれぞと思うとき勇をふるって行動に出ねば・・・
  仁と義勇に優し気大将は
      火にさえ焼けず水に溺れず

10:30~11:30 レッスン生 憲司君スラーにトライ



13:00~三曲合奏練習  坂井(仕事)・内田(病人)奥田(膝故障)3人から今日欠席の連絡がきちんと有りました。

(火)からぼつぼつ秋のコンサート曲を考える・・スターの時期もあったから・・しがみ付いて生きるのは否・今年のコンサートに命を懸ける

尺八は。ダニエルや汲田さん参加吹いて下さる

文治元年

2018年03月24日 09時26分00秒 | 民族音楽
壇ノ浦源平合戦の有った日・実は平家を滅ぼしたのは平家だ               と言う歴史家あり・かつて栄耀栄華を極めた平氏一族が歴史の舞台から去ったのは、1185年の今日である
 ”栄華とは栄える花と書くなれば
              咲いて乱れて あとは散るなり”

松村紫乃の アーティストバンク原稿届けに文化振興事業団に・・ウッカリ今日が締切だった。

昼から5時間稽古場で独り練習・・性も根も尽き果てた・・手が痛いのでぶッ続きで弾いた訳ではない。レコード聴いてみたり

下の写真
右は私の子供の頃の赤い爪箱・赤い錦の爪輪で爪は厚め今とは程遠い 爪はいつの間にか失った・左は今の印伝爪箱  写っている楽譜は母の楽しみに弾いてたであろう昭和23年印刷の変色して戦後で紙質も悪し・・箏を始めたのは数え年の六歳 嫌いだった箏で生業(なりわい)で生きてる今を不思議に思うばかり




シェイクスピア亡くなった日

2018年03月23日 17時28分00秒 | 民族音楽
シェクスピア・記念銅像は腐り大理石に刻まれた名は摩耗しても気高い思いとけがれ無き行いの思想は永遠不滅

10:00~11:50分 ジムどんなに頑張っても左上腕は職業病痛いから かばってしまう・・やれやれ腹が立つ

13:30~14:30 篤子姫レッスン・・甘え御法度稽古

14:30~17:00前迄 出来損ないの私を大好きと慕ってくれ・不平不満 皆無の 奈保子さん
三弦は序の口 丁寧にゴットンゴットン酢が効かない方が良い。箏の手法は過去の癖を叩き直す。今せねば機会が無い

”大河の響き”曲 解説を印刷屋さんにメールで送信
5月20日・演奏会パンフレットの祝辞 元三曲協会会長 田島虚山師~最終原稿許可を戴いた

困った 三曲現在 会長としての松村の 挨拶文未完成


懐かしのアルバム再登場
 春秋会記念 向かって左から
故人 岸本景葉・菊和野由利子両師お二人と
   良い邦楽時代 菊由瀬育氏と松村紫乃


ゲーテが亡くなった日

2018年03月22日 06時27分00秒 | 民族音楽
怠らず行かば千里の外も見ん
   牛の歩みの よしおそくとも
(今日は1832年ドイツの文豪げゲーテの亡くなった日)
          私の少女時代”若きウェルテルの悩み”を読みふけったのが懐かしい


サテ・かつて造作なく弾けた中国古典大曲を 思い起こし数年ぶり数時間挑戦 情けなきかな半分も弾けず頭は迷路に・・情熱を掛けた曲 絶対弾けると自信過剰結局は頭も腕も朽ちて行く事が己の観念に無かった。

門徒の山崎が三弦パート譜に直した手書き”岸辺の景色はセピア色”曲を先週拝借 目を通したり今日も寛ぎはない・・努力 幼い頃からの信条頑張る。自慢落ち込み裏腹今支離滅裂

セピア色の想い出・実は私子供の頃・自宅の三畳程広い写真専門暗室有り 何度も入って・モノクロ写真をセピア色にする技術を父に教わった 

定着液に浸けた後印画紙水洗・・ヘロタイプ乾燥などもした。セピア色は好きである・タンクにフィルムを入れてハイドロキノン現像もした・焼き着け引き伸ばしの技術も出来たんだよ (手札版キャビネ版の種板・細長いペンシル5㎝あろうか?での修正凄い技術が要る私は出来なかった・母は修正技能の天才・

家にあった写真機はアンソニー写真機 今はレトロ・どっしり大きかった・・貧乏とは疎遠の私だったが・貧しても絶対お金を追わない紫乃さん・・でも想い出貯金はづっしりで重いよ



パソコンでセピアにしたいに こんな時代手法は暖かみがないしこの程度 モンゴル馬頭琴ライハスロウさんと